五百年の歴史につぶれる大蔵省改革
(96.9)
▽満州国の幻影
日本の中央官庁が立ち並ぶ霞ヶ関。ある日、ここを歩いていて、ふと気づいたことがあった。並んでいるビルが、皇居に向かって姿勢を正して並ぶ家臣たちのようにみえたのだ。皇居の桜田門から向かって右には旧内務省ビル、外務省、大蔵省、文部省。内務省は戦後GHQに解体され、自治省、建設省、運輸省、警察庁などになっている。そして左には法務省、農水省、通産省、郵政省。
もしかして、戦前にこの区割りを作った時、重要な官庁ほど皇居に近いところに置くという考え方で、順番に並べたのではないか。「天子南面」というが、皇居にいる天皇が南を向くと、官僚たちが並んでいるという格好になっている。戦前は今ほど経済重視ではなかったから、大蔵省や通産省が後ろの方になったのかも知れない。その真ん中を貫くのは国道一号線。国家の大動脈は皇居を出て霞ヶ関の官庁街を抜け、全国につながっている。この形が表すところの構図は戦前に作られたものとはいえ、今も変わっていない。
この霞ヶ関の街並みを見ていて、中国の吉林省長春市を思い出した。長春の街は戦前に「新京」と呼ばれ、満州国の首都だった。そこには今も、日本が建てた満州国政府の建物群がある。新京の市街地から少し離れた場所に、満州皇帝溥儀の宮殿が建ち(この建物は満州国の崩壊までに完成せず、中国政府が後に完成させた)、その南に国務院、満州国軍司令部など八つのビルが真ん中の大通りをはさんで並んでいる。そのビル群、今は大学や研究所、病院などに流用されているが、いずれも石造りの威圧的な建物だ。
注目したいのは、満州国の主として君臨する形をとっていた溥儀が、何の力もない傀儡で、清朝が滅びた後に隠遁生活をしていた先から半ば無理矢理、新京に連れてこられたということだ。また満州国では、大臣は中国人だったが、次官が日本人の官僚だった。満州国には東京の各官庁が、自省の誇る「エリート」たちを満州国に出向させていた。
日本の傀儡国家として作られた満州国に対する、中国人からの反感を和らげるために、国家の象徴的な存在として溥儀や中国人の大臣を置いたのだろうが、満州国の遺構からは、「皇帝」や「大臣」を奉り、家臣たる日本人の官僚たちが国家運営をするという形が見て取れる。これは当時の官僚が「自分がコントロールできる存在を中心に据え、自分はその下につくような形をとりながら権力を握る」という国家運営のやり方を好んでいたからではないか。
こうした手法は、何を起源としているのだろうか。あまり書くと日本国のタブーに触れることになるが、もしかして明治維新の時も、これに近いことが行われたのではないかと思う。あの時は失敗しなかったから、天皇に急速に権威が生じたともいえる。明治の元勲と呼ばれる人々は、政治家でありかつ官僚だったが、自ら皇室を奉り、その一番の家臣となることで、上からは決して首を切られないし、下には最高権力者として振る舞えるという力を手にしたことになる。
満州国は国際的な承認を得ることなく、日本は戦争に負けた。満州国の全ては「悪」とされ、その後の日本はアメリカによって「民主的」な国に生まれ変わり、日本国の主人は「天皇」から「国民」になったことになっている。しかし、「国家の主人は単なる象徴で全く力がない。政治家は飾り物だし無能。官僚が実権を握り、国家を支配する」という今の日本の政治の姿は、満州国と意外に似ている。霞ヶ関の建物の配置が戦前と変わっていないのと同様、官僚のやり方が変わったわけではない。
現在の日本の官僚制が持っている特質は、短期間に作られたものではなく、明治維新までさかのぼる。「民は知らしむべからず、依らしむべし」などという行政手法は江戸時代に語られたものと聞くから、四ー五百年も前からの流れかもしれない。
そうすると、最近官僚制の弊害が各所で表れているからといって、もう一度日本国家がつぶれるような大変動でもない限り、これを改革することは簡単ではない。日本人はかつて一度も下からの改革を成功させたことがないので、「市民パワー」で社会を変えることは絶望的だ。社会党が棚ボタで政権をとったにも関らず、何も変えられなかったことが象徴している。
▽財政情報の秘匿が力の源
読者の皆さんがご存じのように、官僚の中でも最近、評判がとりわけ悪いのが大蔵省だ。それは大蔵省が、この国で絶大な権力を持ってしまったことに関係している。大蔵省は、金融の自由化が始まるまでは産業界にとって唯一の資金供給者として君臨していた銀行業界を支配し、予算の配分権を通じて他の省庁を支配し、脱税に対する捜査権や地元への予算配分を利用して政治家にも圧力をかけることができる。
大蔵省が企図していることは、基本的には間違っていない。たとえば消費税の導入は、大蔵省自らが言うように、高齢化と経済成長の鈍化が進む先進国では、必ず検討しなければならない項目になっている。経済成長の鈍化で所得税や法人税の収入が減る一方、高齢化で社会保障費が増えて財政難になりやすいからだ。欧州の先進国では一〇ー二〇%の消費税(付加価値税)を取っている国が多い。
消費税導入の問題点は、税金を何に使うのか、大蔵省がはっきり示さないからだ。徴税と予算編成の実際のところは、大蔵省の担当者でないと分からないような複雑な仕組みになっているし、どこからいくらの金を集めて、どこにいくら使うかという財政の実態的な部分については明らかにされていない。
もしそれが外部者に分かってしまうと、まず予算編成の時に政治家や他の省庁から弱点を見つけ出され、大蔵省の力が弱まってしまう。情報開示をしなければ、任意のマスコミに特ダネという形で情報を流すことで、マスコミを引き付けておくこともできる。自分たちにしか分からない秘密の儀式やお経で権威を保っている宗教のバラモン集団のようだ。国家の仕組みはそんなに複雑にしなくてもやっていけるはずだ。人々が次第に知恵をつけるにしたがって、こうしたやり方は理解を得られないようになる。
住専の不良債権を帳消しにするための国庫支出六千八百億円も、国家的にみれば別に大した額ではない。もしこのぐらいの金で、国内に潜在しているといわれる金融不安がなくなるのならば安いものだ。毎年の国家予算には、ほとんど誰も通らない国道や林道、自然破壊にしかなっていそうもない護岸工事などの公共工事や、政治家の票取りのための農業関連支出などが何兆円もある。無駄遣いとしてはこっちの方がはるかに巨額だ。
バブル崩壊による国民へのツケとしては、すでに新聞で書かれているように、ここ数年、銀行の倒産を防ぐための低金利政策により、預金者が本来得られるはずだったのに得られなかった利子の総額が数兆円になっている。もっというならば、日本の預金金利は戦後一貫して低かったが、これも大蔵省が人為的に維持していた。これは護送船団方式の金融行政で、小さな銀行でも経営を維持していけるように計らったためのもので、この金は大手銀行の莫大な純資産となった。その代わり大蔵省は低金利の国債を銀行に買わせて安く資金調達することができたし、また銀行に天下ることもできたのである。
住専関連の国庫支出の問題点は、どうして六千八百億円なのか、大蔵省がはっきり説明しないことだ。不良債権総額の算出根拠も漠然としている。「知らしむべからず、依らしむべし」の徳川官僚制の背後霊が、ここにしっかりと息づいている。
大蔵省は昨年暮れ、国会で激しい攻撃を受け、何回か住専に関する資料をマスコミに発表した。だが毎回、発表する資料の量はかなり多いにも関らず、内容としては前回に発表した一覧表の右端に一列、欄を付け加えるようなもので、それ以外は全て、これまでに発表されたデータを並べなおしたものだった。私が勤務している会社では、新しい部分がわずかであることに出稿責任者が気付かず、発表のたびに大騒ぎしていた。みかけ倒しの大蔵省戦法だが、なぜかマスコミは引っ掛かってしまうのである。
▽バブル経済への便乗
よく知られているように、住専問題はバブル経済崩壊による金融機関の不良債権問題の象徴である。大蔵省やその支配下にある国土庁は、八〇年代後半から起きたバブルが崩壊するときの処理方法を誤っただけでなく、バブル経済そのものに便乗しようとした。
バブル経済が起きた八〇年代より前の、六〇ー七〇年代にかけて、大蔵省は政界からの圧力などにより、国債発行を増やさざるを得なかった。この結果、財政赤字が膨らみ、「財政再建」の必要が出てきたが、これを効率的に行うために、バブル経済が使われた。高騰する地価を利用して旧国鉄の土地を高値で売却することで国鉄債務を消し、株価の高騰を利用してNTTなどの国有株を売却して財政赤字を減らす。企業業績も良くなるから税収も増える、といういいことずくめになるはずだった。
不動産バブルの始まりは、「日本の金融自由化で、東京は世界の金融センターになるから、オフィスビルが足りなくなる」とする国土庁予測だといわれている。それは一つの要因なのだが、さらにその背景には八〇年代に入ってからの日本の金融自由化で、円高によって強くなった円を使った日本の金融機関の海外投資が増えたことがある。
米国ではそのころ、建設した後のビルのテナント料など将来の資産を担保に金を借り、ビル建設を行う「プロジェクトファイナンス」の手法が盛んになり、そこではビルが建った後に付け加わる「開発地価」を先取りして不動産評価することをやっていた。その手法が日本にも持ち込まれ、従来は「担保の掛け目は七ー八割」というのが不文律だったのが、その時点での担保価値をはるかに超える融資を行うことにつながっていった。
こうした、米国から輸入された考え方を元にしたバブル経済の発生に、大蔵省も乗ったのである。その後、プロジェクトファイナンスの手法は本家の米国でも失敗が相次ぎ、中小金融機関(S&L)の大量倒産につながっていく。
こういうことから考えると、日本のバブル経済は大蔵省が起こしたというより、金融の世界的な自由化と統合を背景として世界に広がり、日本にも輸入されたと考えた方がよさそうだ。実際、日米だけでなく英国などの欧州や、タイなどアジア諸国でも、銀行の過剰不動産投資による不良債権問題が起きている。
東京の新橋駅の隣に、広大な空き地がある。旧汐留貨物駅の旧国鉄用地なのだが、バブルの当時、ここに国際金融センターを作る案があった。日本のバブル経済の背景となった「日本が世界の金融センターになる」というストーリーに基づく計画である。だが、金融当局である大蔵省は、それが本当に実現すると思っていたのだろうか。
国際的な投資家は規制を嫌い、より規制のない市場で取引をしたいと考える。大蔵省は八〇年代の後半から表向きは「金融自由化」を言っていたものの、実際はその後のバブル崩壊過程における行動や、証券市場への裏からの株価維持圧力などをみれば明らかなように、自由化とは全く逆のことを続けている。そのように規制が強いままでは、東京が国際的な金融センターになることなど不可能だと、最初から分かっていたはずである。
さらに問題なのは、アジア各国が製造業に関する力をつけ、やがては日本と肩を並べるか、追い抜いてしまうであろう現状からすると、日本は金融部門での力をつけることが必要だったにもかかわらず、大蔵省が権力を放棄したくなかったために、それに失敗してしまったことである。
金融当局は規則だけ作って金融機関への指導はせず、自己責任原則を貫くという欧米型の金融政策を、最初に「国際金融都市」になると言い出したころに実施していれば、ある程度は成功していたかも知れない。「日本国家を背負って立つ」というのが大蔵官僚の自負だとすれば、このことは彼らにとって非常に恥ずかしいことであるはずだ。
とはいえ、日本における行政権力の規制の強さは、江戸時代から何百年も続いてきたものだとしたら、五年や十年で変えられるものではないので、このような大蔵省への期待は、過剰なものなのかもしれない。
そして、もう一つはっきりさせねばならないのが、なぜバブル崩壊後、事実上経営破綻している多くの金融機関を低金利政策(金融機関の資金調達コストを下げ、経営を助ける)や、裏からの株価維持(資産である株の価値下落を止めることで、決算上の含み損が出ないようにする)などにより生き延びさせたのか、ということである。兵庫銀行や木津信用組合、コスモ信用組合の、抵当証券や異常な高金利の預金集めなどの例に見られるとおり、大蔵省は金融機関経営者に最期の悪あがきを許し、一般預金者の犠牲を増やしてしまった。遅くとも九二年には、これらの金融機関が破綻するだろうということは分かっていたはずである。
日本の金融はまだ、江戸時代からの伝統を受け継いだ「お上」である大蔵省が、誤謬のないはずの判断で決めたことを下々が守るという仕組みになっており、金融の自己責任原則はないので、金融機関が破綻しても経営者や預金者には責任がなく、大蔵省の失策となる。
このことに関して巷間、言われているのは、大蔵省が日本経済について、バブル崩壊後、短期間のうちに立ち直るのではないかと予測していたという見方である。金利収入という「不労所得」で儲けることを「悪だ」と思う日本人の心情を利用して、これまで低い預金金利を続けることができた大蔵省なのだが、その同じ心情が、一回バブル消費に懲りたら、今度は「無駄遣い」に対して過敏になり、なかなか国内消費が回復しないことにつながるとは、思っていなかったらしい。
いくつかの金融機関が破綻、または別の金融機関に吸収されたが、まだ関西を中心として全国に、いくつもの金融機関が破綻予備軍として残されている。「金融機関の不良債権処理が終わらない限り、産業への資金供給が歪んだままになり、景気は本格的には回復しない」という見方からすれば、思い切った処理が必要なのだが、自らの権威を低めることになるので大蔵省は手をつけることができず、当事者能力を失っているように見える。
▽米国が仕掛けた住専問題
このような大蔵省の引き延ばし政策に対し、警告を発したのが米国だった。昨年七月、コスモ信組、木津信組、兵庫銀行が同時に破綻したことを見て、欧米の金融当局や機関投資家は、日本の金融システムに対する懸念を一気に強めた。その直後から、日本の金融機関は欧米の金融市場で資金調達をする際、通常より高めの金利を払わねばならない「ジャパンプレミアム」が発生した。また「OSAKAという地名が不良債権の象徴として見られ、大阪に本店があるというだけで、欧米での資金調達ができなくなってしまった」(大阪の金融機関幹部)などという状況も起きた。もっともこれは関西流の強烈なギャグなかもしれないが。
次の大問題が昨年九月の大和銀行事件だった。米国政府はこれに一罰百戒的な懲罰を下し、それをきっかけにジャパンプレミアムは一気に拡大した。これには日本の金融業界がパニック状態になり、大蔵省はおそらく米国のアドバイスも受け、不良債権問題の象徴である住専問題を年内に処理するという国際公約をせざるを得なくなった。
本来、住専問題の処理は、地価の再上昇を期待しながら今後十年ぐらいかけ4て密やかに処理していくつもりだった。大蔵省はその方針で農水省からも合意をもらっていた。それを大蔵省側の都合で変えるということになり、負担増を求められた農水省が猛反発するということになったのである。
大蔵省はそこで、金融機関の不良債権問題の処理に本腰を入れているということを示すために、六千八百億円という「血税」を注ぎ込むシナリオが必要になった。米国ではS&Lの不良債権処理にあたり巨額の財政支出をした経緯があり、それを見習えば米国当局や機関投資家も「日本も金融健全化に努力し始めた」と思ってくれるという腹だったのだろう。
だが大蔵省は「米国当局や国際金融界からにらまれているので、五千億ー一兆円規模の税金を使った処理計画にしなければならないのです」などと正直に公表するわけにもいかず、国民やマスコミは「支出根拠が不明確だ」として反発し、支出計画は国会でつぶされてしまった。
バブルのころ、世界に冠たる日本の金融界は、米国のエスタブリッシュメントたちにとって脅威だったが、それもバブル崩壊ですっかりボロボロになり、米国経済を握る人々は「これで安心だ」と思ったに違いない。
だが、日本では預金者が従順なため、欧米社会では通用しないであろう不明朗な不良債権処理でも、日本ではまかり通る可能性が強くなってきた。そうなると日本の金融界が再び世界でのさばるようになるかもしれない。こうした不安から、ちょうど発覚した大和銀行事件に対して厳罰を下した。米国がこれまでやってきたことから、そんな筋書きも考えることができる。
▽改革は絶望的
さて、大蔵省をどうするかということが、この記事のテーマである。自らも含め、たいして勉強もしていないくせに「大蔵省改革案」を最近あちこちでぶち上げるようになったマスコミ関係者の一人である自分としては、あまり「大蔵省改革案」など口にしたくない。「優秀」な大蔵省のキャリア官僚が考えるべきことだとも思う。
だが、あえて「改革案」を書くとすれば、財政に関しては、やはり巷で言われているように、税金集めをする主税局の機能と、税金の使いみちの配分を決める主計局の機能は、別々の組織に作り替え、対立する権力にすべきだと思う。そうすれば、財政に関する情報が今よりもオープンになるだろうからである。建前上は分離しても、実際は従来のように主計が主税を支配下に置く、ということになると非常にまずい。
一方、金融行政に関しては、大蔵省以外の第三者機関を作り、自己責任原則を貫いた金融システムに変えていくことが必要だが、誰が新しい金融当局を構成するかということになると難しい。全体としては大蔵省解体が望ましいことになるが、すでに書いたように、大蔵省は官界、政界で比類なき権力を確立しているので、大蔵省自らが反対すれば実現しないだろう。大蔵官僚が、自らの解体を決断するほど格好良い存在だとは思えない。
現状が続くとすれば、アジア諸国の勃興、EU統合など、強力な経済地域が世界各地で作られていくのと比べ、日本の将来ははなはだ暗いものになると予測せざるを得ないのではないだろうか。