●北朝鮮への対応めぐりきしむ米韓関係
(96.11.8)
9月中旬、北朝鮮の兵士が潜水艦を使って韓国に侵入した事件を機に、韓国と米国の間の北朝鮮への対応をめぐる食い違いが明らかになった。
ことの起こりは、9月18日に潜水艦事件が起きた直後、米国のクリストファー国務長官が「双方の当事者は、問題を冷静に解決してほしい」との声明を発表したこと。これに対し韓国政府は「同盟国である韓国の側に立って北朝鮮を非難すべき立場の米国が善意の中立者を装った上、韓国が北朝鮮と同様に好戦的な国であるかのような言い方だ」と反発し、韓国のマスコミも米国非難を展開した。
両者の食い違いの根本には、北朝鮮の要求をある程度のむことによって、北朝鮮が自暴自棄な行動に出ないよう引き留めたい米クリントン政権と、北朝鮮に甘い対応をすれば足をすくわれかねないと警戒する韓国政府との、北朝鮮に対する見方の違いがある。
北朝鮮はソ連崩壊後、ソ連の支援なしでも国を維持しようと、1990年ごろから外交攻勢を始めた。90年には南北の首相が初めて会い、日本との国交も正常化、91年には国連加盟も果たした。だが国際社会にデビューしても資本主義の世界で食っていくのは難しい上、国際原子力機関(IAEA)の核査察要求など、国家安全保障上の秘密を公開するよう求められ出したため、93年に核査察を拒否し、再び国際社会との関係を断ち切る挙に出た。北朝鮮ではその後、全ての重要事項を取り仕切っていた金日成主席が死去し、残された息子の金正日書記は外交嫌いなこともあり、武器や麻薬、偽札などの密貿易で細々と外貨を稼いでいるが、成功していない。
これに対し米国は、北朝鮮が核爆弾を開発しているとみられる原子力施設を閉鎖するなら、石油を提供した上、韓国が北朝鮮に発電用原発を作ってやる、という条件を提示し、北朝鮮を交渉の席に引き留めた。味をしめた北朝鮮は韓国抜きの米国との直接交渉を要求し、米国は韓国も含めた従来の交渉とは別に、米朝2者会談も始めるようになった。
韓国は当然、米朝接近に警戒感を強めた。米国が北朝鮮から得た情報の一部を韓国に秘密にしていると勘ぐり、米海軍勤務の韓国系米国人にスパイ役をさせて軍事機密を盗み取ろうとした。事件は潜水艦事件の直前に発覚し、両国の不信感を助長するものとなった。
米韓朝は10月に韓国が北朝鮮に原子力の専門家を派遣し、原発建設の適地を調査することで合意していたが、潜水艦事件の後、韓国は調査団の派遣を取りやめた。さらに韓国高官が北朝鮮での原発建設自体も白紙撤回するそぶりをみせたため、米政府はあわてて特使をソウルに派遣し、原発建設計画自体は続けるとの言質を韓国政府からとりつけた。その代わり、韓国は北朝鮮への刺激を懸念して中止していた米韓軍事演習の再開を米国に認めさせ、11月に演習を実施した。
韓国が潜水艦事件を機に、米国に反発してまでも北朝鮮に対する強硬姿勢をとった背景には、金永三大統領に対する国民の支持が低下しているため、不人気に陥った韓国の歴代政権の常道である「北の脅威」をあおる策に出たということもある。韓国では汚職事件が相次ぐなど、金永三大統領の行政手腕が疑問視される出来事が相次いでおり、韓国軍の規律や指揮系統にも乱れが生じている。
一方、10月にはロシアのウラジオストク駐在で、北朝鮮の出稼ぎ労働者から情報をとる任務をしていた韓国領事が殺される事件が起き、韓国に潜入した兵士が殺されたことの仕返しに、北朝鮮関係者が殺したのではないかとみられている。また北朝鮮は平壌に滞在中の米国人青年をスパイ容疑で拘束し、それを機に米国から新たな譲歩を求めるなど、相変わらずの荒っぽいやり方を続けている。
米国で再選されたクリントン大統領は、対話による外交を理念として打ち出しており、北朝鮮に対する米韓の対応の違いが再び表面化する可能性は十分にある。その摩擦を北朝鮮が利用する恐れもあり、朝鮮半島をめぐる状況は油断できないものになっている。
また蛇足だが、潜水艦潜入事件が起きた背景には、あの潜水艦が浜に乗り上げる前に、韓国軍のレーダー(探知器?)に感づかれてしまい、韓国軍に追いかけられ、何とかうまく逃げたものの、浅瀬に入り込みすぎて座礁してしまったという経緯があったとの指摘もある。韓国側としては、領海防衛の内容が北朝鮮に知れてしまうのでそういった経緯を明らかにしていないが、事件後に韓国の国防大臣が解任されたのは、いったんは潜水艦を探知したものの取り逃がした責任を取らされたのではないかとみられている。