中国で頻発する人さらい 96/07/13

 子供のころ、日没後も外で遊び続けていると、大人から「早く家に帰らないと人さらいにさらわれるよ」などと言われたことのある人は多いはず。今の日本では「人さらい」という言葉自体が死語になり、どういうことを意味しているのかさえ、イメージしにくくなっている。ところが中国では今、人さらいが深刻な社会問題の一つになっている。犠牲者のほとんどが、10代後半の女性だという。

 香港の新聞「明報」6月11日付けの記事は、香港に隣接する深セン市のバスターミナルでカモを待つ「人さらい」(中国語で「人販子」)のことを紹介している。深センのバスターミナルには毎日、何百人という出稼ぎ労働者が、中国南部の各省から、市内の工場で働くためにやってくる。
 人さらいたちは四川省出身で、同じ四川省から来た女の子たちが長距離バスから降りたばかりのところを狙い、故郷の方言で「四川省の出身でしょ。どこの工場に行くところですか。同郷の人たちを放ってはおけないから、連れていってあげるよ」などと言い寄る。女の子たちは四川省の農村から、初めて深センのような大都会にやってきた人ばかりだから、不安で仕方がない。そこに、懐かしい故郷の方言を話す人が声をかけてきたら、怪しげだと思う余裕もなく、ついて行くことにしてしまう。
 そしてマイクロバスや乗用車に乗せられ、工場ではなく深セン市から150キロほど東へ行った広東省の海豊市、恵来市という地域のある村まで連れていかれてしまう。そこは村を挙げて人さらいに協力している、または見て見ぬふりをしている場所で、拉致してきた女性たちを閉じこめておく建物が用意されている。そして何日かするうちに周辺地域から買い手がやってくる。売春宿の経営者だとか、農家に嫁を売り歩くブローカーたちである。こうして深センの工場で働くはずだった女の子たちが、広東省の村で無理矢理、農家の嫁にさせられたり、売春婦にさせられたりしてしまう。嫁といっても幸せなものではない。子供を産み、目いっぱい働かされる奴隷のような存在である。
 人さらいはまた、週末に休みをもらった女工たちがよく行く商店街などに車で乗り付ける。近くを歩いている女の子に、もっと給料が良い職場があると誘う。きれいな寮を完備しているので、とりあえず今日はそれを見に来ないか、と言って、車に乗せる。あとはバスターミナルの手口と同じである。彼女たちは大体、同郷者どうしで一緒に行動しているから、いっぺんに3、4人を拉致することになる。

 しかし、一人だけ連れ去られるのではないのに、逃げたり対抗したりできないのだろうか。また、奴隷嫁にされても、その村の警察の駐在所に駆け込むとか、夜にこっそり村を逃げ出すとかできないのだろうか。
 連れ去られる途中、マイクロバスから身を乗り出して大声で助けを求めたとしよう。日本では通行人がすぐに警察に届け、パトカーが追いかけてくるであろうが、まず中国では警察があてにならない。「民事不介入」どころか「民事賄賂介入」であるから、届けても取り合ってもらえない。それを知っているから、人々は「かわいそうに」と思いつつ、見て見ぬふりをする。
 村の駐在も当然、犯罪グループに鼻薬を嗅がされているか、下手をすると一味に加わっているから、駐在に駆け込んだら逆効果である。村では嫁不足が深刻で、大昔から嫁は外から買ってくるものと定まっていたりする。だから現代になっても嫁買いが続いていてもだれもおかしいと思わないし、逃げようとする嫁を見つけた村人は当然、村の人的資産を流出させたくないから、引き戻そうとすることになる。「人権意識」というものは全く存在しないのである。

 こうしたことは、広東省だけの出来事ではない。上海から東に行った安徽省の人口約500人の村では、半数以上の村民が、村を挙げて行われていた人さらい事業にかかわっており、結局検挙されて60人が刑を受けた。四川省の重慶市では、年間に審理される人さらい関係の裁判が144件あったという。  中国では依然として、村ごとに固まる意識が強く、隣村の人々と水利や刃傷沙汰の報復をめぐって殺し合い、憎み合いを続けるケースが今も珍しくない。中国共産党が人々の間に公共意識、国家意識を植え付けようとずいぶんがんばったのだが、共産党の力が少し弱まってくると、すかさず伝統的な村意識がもどってきてしまっている。中国はまさに、近代と中世が入り交じった社会である。