「水は命」を思い知る中東の水戦争

1999年8月2日  田中 宇


 昨年、中東の小国レバノンに行った。そのとき、山間部のベカー平原を訪れて驚いたのが、自然が豊かで水が豊富なことだった。

 平原の風景はちょうど、岩手県の北上側沿いのような感じで、東西に山々を望む細長い盆地の真ん中に川が流れ、畑や森に囲まれて村が点在している。

 秋から春までは、山々は雪に覆われ、古語で「白」を意味する「レバノン」という国名の起源になっている。リンゴやブドウもとれ、この地域では数少ないワイン醸造場の一つ、「ケフラヤワイナリー」もある。

 灼熱の砂漠、という中東のイメージとは遠い、恵まれた環境なのだが、この豊かさは同時に、外から敵を呼び込む原因ともなった。ケフラヤワイナリーがあるベカー平原南部は、1980年代以来、南隣のイスラエルの侵略を何回も受け、空爆にさらされ、村の道はイスラエル戦車によって蹂躙された。

 イスラエル軍がレバノン南部に侵攻した主目的は、この地を拠点にイスラエルを攻撃していたパレスチナ人ゲリラ組織をつぶすためだった。だが、イスラエルの目的は、それだけではなかった。ベカー平原の水がほしかったのである。

 レバノン、イスラエル、シリア、ヨルダンといった、中東の地中海側の地域は、ベカー平原や、近くのゴラン高原などの山岳地帯を除き、雨が非常に少ない。

 そしてイスラエルは、ベカー平原南部ばかりでなく、ゴラン高原をも、中東戦争でシリアから奪い、占領している。中東戦争は、水をめぐる戦争でもあったのだ。

 イスラエルは、これらの占領地を、自国の安全保障のために必要だと主張している。日本で「安全保障」というと、近隣国からのミサイル攻撃の懸念や、スパイ防止といったことしか意味しないが、中東の国々では、「水の確保」が死活問題の安全保障となっている。

●今年は60年ぶりの水不足

 中東の地中海側では今年、60年ぶりの水不足に襲われている。水不足は昨年から始まり、昨秋から今春にかけて降った雨が、平年の4割しかなったため、3月にはすでに、イスラエルもヨルダンも、水不足が深刻になった。

 こんな時には、「水の確保こそ安全保障」という現実を痛感させられる事態となる。中東戦争の勝者であるイスラエル人は、渇水期でも何とか平常通りの生活を送れているのに対して、「負け組」であるパレスチナ人とヨルダン人は、悲惨な目にあっているのである。

 イスラエル占領下のヨルダン川西岸にあるパレスチナ人の町、ヘブロンやベツレヘムでは、水道の蛇口から水が出るのは2週間に一回、数時間程度しかない。市内全域に供給できる分の水がないため、日によって水を流す地区を順番に変えているためだ。残りの日は給水車を待つか、市内に散在する井戸まで水を汲みに行かなければならない。

 ところが、パレスチナ人居住地域から少し離れたユダヤ人入植地では、子供たちがプールで水を跳ね上げて遊んでいる。水をやらないと枯れてしまう芝生も青々としており、もちろん蛇口をひねれば、いつでも水が出る。

 西岸地域に点在する貯水池や水源のほとんどは、イスラエルの管理下にあり、西岸の自治権を与えられつつあるはずのパレスチナ人は、水の管理権をほとんど持っていない。

 イスラエル当局は、水を優先的にユダヤ人入植地に流しているだけでなく、西岸以外の国内の他地域にも、パイプラインを通して西岸の水を流している。すぐ近くに住んでいて、本来は真っ先に水をもらう権利があるパレスチナ人は、後回しにされているのである。

 パレスチナ自治政府によると、西岸のパレスチナ人は、イスラエル人(ユダヤ人)の3分の1しか水をもらっていない。こうした不公正に怒るパレスチナ人の中には、イスラエルが作ったパイプラインにこっそり穴を開け、水を盗み出す「水インティファーダ」を展開する人々もいる。

●敵国に、土地を取られてもらい水・・・

 「水戦争の敗者」という点では、中東戦争で西岸をイスラエルに奪われたヨルダンも同じだ。ヨルダンは現在、中東で最も水問題に弱い国といわれている。

 ヨルダンは長らくイスラエルと敵対していたが、アメリカが仲介した和平交渉が進んだ1994年に、イスラエルと和解した。その際、ヨルダンは毎年イスラエルから7200万立方ヤード(5200万トン)の水を受け取ることを条件に、話をつけた。

 ところが、昨年と今年は水不足なので、イスラエルはヨルダンへの水供給を半分に減らすと通告した。ヨルダン政府は強く抗議したが、効果はなかった。

 窮していたところに手を差し伸べたのは、北隣のシリアだった。両国は、1970年代にヨルダンがアメリカ寄り、シリアがソ連寄りの姿勢を鮮明にして以来、仲が悪かったが、昨年ヨルダンのフセイン国王が死去したあたりから、急速に関係が改善した。

 シリアは、南部にあるダムの水を分けてあげることにより、ヨルダンで不足している水の25-30%を供給するようになった。小国のヨルダンは、外交上でも、これまで何度も危ない橋を渡ってきたが、水問題についても、不安定な状態を続けている。

 ヨルダンやパレスチナ、イスラエルでは、出生率の高さや、イスラエルへの旧ソ連諸国などからの移民で人口が増え、水の使用量も増える傾向にある。

 そのため、ヨルダンとイスラエルの国境にある死海にそそぐ唯一の大河であるヨルダン川の水量が減り、40年前に80キロの長さがあった死海は、今では30キロまで短くなってしまった。

●新たな水源を求めるイスラエル外交

 中東和平交渉は、1996年にイスラエルで右派のネタニヤフ政権が誕生したため、頓挫していたが、今年5月の選挙で和平推進派のバラクが首相になって以来、再び交渉が始まっている。交渉がうまくいけば、来年には、イスラエルはゴラン高原やレバノン南部の占領地から撤退することになる。

 それは、イスラエルが持つ水源が減ってしまうことを意味している。そのため、イスラエルは、近隣で水が余っていそうなエジプトやトルコに対して、もらい水外交を展開した。

 中東戦争後、最初にイスラエルと和解したエジプトには、ナイル川の水を分けてほしい、と頼んだ。だがナイル川は、流域に農業用水を必要とするいくつもの国々があり、水の取り合いが厳しい。本来のナイル流域以外の地域にパイプラインで水を供給することを国際的な取り決めで禁止していることから、イスラエルの要請は断られた。

 一方トルコは、イスラエルとは地続きではない。イスラエルがトルコに要請したのは、トルコからイスラエルまで、海中に給水用のパイプラインを敷設することだった。7月中旬、トルコはイスラエルの要請を了承し、海底パイプライン構想の実現に向けて、両国で検討を進めることになった。

●チグリス・ユーフラテス川でも

 中東ではこのほか、チグリス・ユーフラテス川の水をめぐる国際紛争もある。この2本の川の流域には、トルコ、シリア、イラクの3カ国があるが、相互にあまり仲が良くない。

 特に、3カ国の国境地帯に住むクルド人の独立闘争の問題で、シリアやイラクに拠点を持つクルド人組織がトルコで反政府活動を展開していることが、上流国のトルコを刺激している。

 トルコは1980年代から、ユーフラテス川上流地域にダムを作り、農業開発を進める計画を展開している。その一環で、トルコは1987年、シリアに対して、トルコで反政府活動を展開するクルド人組織を支援しつづけた場合、ダムを使ってユーフラテス川の水を他の地域に流出させ、シリアに流れ込む水を減らす、と警告した。

 その後、この問題は沈静化していたが、今年に入って、シリアを拠点に反トルコ闘争をしていた組織のリーダー、アブドラ・オジャランが逮捕されたことや、トルコとイスラエルが軍事的に接近し、シリアを挟み撃ちにする態勢をとっていることが、両国関係の悪化要因となり、トルコが再びシリアに対して、ダムを使った脅しをかける可能性も出てきている。

●世界的な水問題の勝ち組と負け組

 水をめぐる勝ち組、負け組という区分は、世界的な水問題にもあてはまる。

 今年3月、国連が発表した報告書は、2025年に、世界の人口の3分の1が、水不足に悩む状態になっていると予測している。そのほぼ全員が、中東、アフリカの東部や南部、インドの西部や南部、中国北部といった、発展途上国の人々になりそうだという。

 その半面、地球上でそのまま飲めるきれいな水のほとんどすべてが、日本と欧米などの先進国にある。そして先進国には、世界の人口の20%しか住んでいないことを考えると、水に関しても、世界的に大きな貧富の格差があることが分かる。

 


 

参考にした記事のうち、ネット上で見られるもの

Syrian waters for Jordan

Turkey provides Israel with waters

Dead Sea in danger

Drought-hit Israel to slash water to Jordan

International Study on Water in Mideast Leads to a Warning

Mubarak says Israel will not get Nile water

Iraq, Syria reinvite Turkey to dialogue on water issue





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