南米発、怪しげな世界通貨統合

1999年7月26日  田中 宇


 このところ、韓国やタイなど、最近まで金融危機に苦しんでいたアジアの国々の経済が、急速に回復している。株式市場は、おおむね上昇を続け、韓国のように、一昨年に通貨危機が始まる前の水準を取り戻したところもある。政治混乱が続くインドネシアでさえ、今年は2%の経済成長が見込めると予測されている。(ただし日本と中国は、まだ調子が悪い)

 これに対して、いまだに危機の最中なのが、南アメリカである。南アメリカでは、面積や人口でブラジルが圧倒的に大きく、大陸全体の人口3億人のうち、1億6000万人がブラジルに住んでいる。そのブラジルが今年1月、通貨レアルの対ドル両率を引き下げて以来、ブラジル向けの輸出で稼いでいた周辺の国々の輸出産業が、打撃を受けている。

 南アメリカの国々の通貨は、多かれ少なかれ、米ドルとの交換比率を一定に保ち、為替を安定させてきた。その中でブラジルのレアルだけが大きく下がったため、周辺国で作られた製品の値段より、ブラジルで作った同種の製品の値段のほうが安くなり、周辺国で作ったものが、ブラジルで売れなくなってしまった。

 為替というものは、なるべく変動しない方が良い。たとえば日本の場合、円高になると、日本の輸出企業が困り、逆に円安になると、輸入品の価格が上がり、海外から日本に投資していた人が損をする。

 だが世の中、ことにアメリカには、為替相場を変動させて儲ける「投機筋」と呼ばれる人々がいる。彼らは、借金が多すぎて返せない可能性がある国を見つけて「この国は借金を返せないかもしれない」という不安を煽りながら、ある日その国の通貨を大量に売りに出す。

 そうすると、他の投資家も不安に駆られて,通貨を売り逃げしようとするので、その国の通貨は暴落してしまう。そんなメカニズムで一昨年、東南アジアの通貨が暴落し,ロシアに不安が飛び火し、さらにブラジルに感染し、レアルが急落した。

●アルゼンチンの通貨評議会制度

 南アメリカ諸国の中で、ブラジルの通貨下落の影響を最も強く受けているのが、アルゼンチンだ。ブラジルとアルゼンチンは、国民性もかなり違うが、通貨のシステムも異なる。

 両国を比べると,ブラジルの人々は、自由や気ままさを好む傾向が強いのに対して、アルゼンチンの人々は、秩序や威厳を大切にする傾向がある(と筆者には感じる)。

 それと並行するかのように、ブラジルでは為替が自由に変動することを前提とした変動相場制をとっている一方,アルゼンチンでは通貨ペソと米ドルとを1対1の為替比率で維持する固定相場制を導入している。

 両国とも、1980年代には、金を使いすぎた政府がお札を刷りすぎて、超インフレになっていたが、そこから立ち直るのに、ブラジルは変動相場制、アルゼンチンは固定相場制をとり、今日に至った。

 固定相場制は、正式名称を通貨評議会(Currency Board)制度という。アルゼンチンの中央銀行には、240億ドルのドル資産があるが、このドルを裏づけとして、中央銀行は240億ペソまでの通貨を発行できる。(実際に発行されているのは150億ペソ程度)

 もしアルゼンチンの国民が、ある日突然に政府を信用しなくなり,ペソからドルへの両替を求めたとしても,政府の手持ちのドルを出せば応じられるようにしてある。こうすることで、人々は不安を抱かず、ペソの価値を維持できる。

 この制度は、かつてイギリスが植民地政策として始めたもので、今ではアルゼンチンのほか、香港(対ドル)、ブルガリア(対ドイツマルク)、エストニア(対フィンランドマルカ)などで導入されている。

●ペグ制度は、抜けやすいクギ

 一方、ブラジルがとっている変動相場制は、その他の世界の多くの国々が採用しているものだが、為替相場の変動は、経済に悪い影響を与えるので、実際には人為的に、米ドルとの相場を一定に保っている。

 為替が上下したら、中央銀行が大量の売買をする「市場介入」によって相場を支えたり、金利を上下させて通貨に対する需要を調節したりする。

 結局のところ「変動」相場制といっても、通貨評議会制度よりも場当たり的なやり方で「固定相場」を実現しているのである。これを「ペグ(くぎ)制度」というが、そのやり方が場当たり的でしかないところを、投機筋に狙われて、ブラジルやタイの通貨が暴落させられた。

 たとえば、中央銀行が100億ドルの外貨を持っていたとしたら、投機筋は100億ドル分の現地通貨をどこからか借りてきて、数日間のうちにどんどん売っていく。

 中央銀行は、この売りで相場が急落することを避けるため、ドルを売って自国通貨を買う市場介入を行うが、最後には国庫の中のドルは空っぽになってしまう。そこから先は、中央銀行は自国通貨が下がっていくのを、傍観するしかない。(IMFがドルを貸してくれれば別だが)

 このようにペグ制度は、投機筋によって壊される可能性が高い。IMFが支援するにしても、コストがかかりすぎる。一昨年以来の通貨危機の教訓として、今ではIMFやアメリカ政府も、ペグ制度は不充分なものだと考えるようになっている。

 ブラジル通貨危機が起こり、ペグ制度に問題があることが、世界の経済専門家たちにはっきり認識され出した今年1月、アルゼンチンのメネム大統領が、自国の通貨評議会制度を、さらに厳格化し、ペソを廃止して、米ドルそのものを、アルゼンチンの通貨として使うことを検討し始める、と発表した。

 これは、ブラジルの切り下げで輸出競争力が失われたアルゼンチンの政府が、輸出力回復のため、固定相場制を突然中止し、ペソ切り下げを断行するのではないか、という憶測が流れたことに対抗する発言だった。

 アルゼンチンのペソは、公式にはドルと同じ力を持つものだったが、実際には、アパートの家賃や携帯電話の料金など、長期継続型のサービスの支払いは、ドル払いを要求されることが多く、人々は以前から、ペソよりドルを信用していた。

 街では、ドル札とペソ札が混ざって流通しているが、預金の金利は、ドル建てよりペソ建ての方が高い。ペソの信頼が低いので、その分、金利が高くなっている。

 ブラジル通貨危機の発生で、さらにペソへの信頼が落ちることを恐れたメネム大統領は、ドルとペソを切り離すことはなく、今よりペソとドルを近づけて、最後は全部ドルにするから、ペソを信頼してほしい、という意味を込めて「ドル化計画」を発表した。

●アルゼンチンから始めたい南米全体のドル化

 これに対して、アメリカの経済専門家たちが、別の方向から意義を見つけて飛びついた。彼らは、アルゼンチンを含むすべての中南米諸国の通貨、そしてアジアの通貨をもドル化することにより、国際通貨危機の再発の防ぐことができる、と考えた。その最初の実証例として、アルゼンチンのドル化が望ましい、という考えだった。

 IMFやアメリカ金融当局者の間では、世界各地の通貨の今後のあり方として、ペグ制度を止めさせる代わりに、次にどうしたらいいか、議論が続いていた。

 政府介入なしの、完全な変動相場制が望ましい、という考えもあったが、それだと今後も国際通貨危機が再発する可能性がある。特に、先進国以外の国々では、市場の規模が日本や欧米よりずっと小さいので、投機筋は少ない資金で相場を揺さぶり、利益を手にすることができてしまう。

 変動相場制が駄目だとなると、残りは固定相場制しかない。だが通貨評議会制度は、都合が悪くなったら、政府の意思でいつでも止めてしまうことができるので、不安定さが残る。それならいっそのこと、ドルを通貨にすればいい、という理論である。

 中南米ではすでにパナマなどが事実上、通貨のドル化を実現している。パナマより経済が大きいアルゼンチンがドル化することで、中南米全体のドル化の現実性が増すという考えもあった。

 中南米では、政治的な体質が、通貨危機発生の背景にある。メキシコでは、6年間ごとに通貨危機がやってくるといわれている。これは大統領選挙の周期と一緒で、選挙の前になると与党は人気取りのために、政府の金を使って公共事業などの大盤振る舞いをするので経済のバランスが崩れ、通貨が暴落してしまう。次の選挙は来年である。このような政治的な「持病」も、通貨をドルにしてしまえば起きない、というわけだ。

 ヨーロッパで通貨統合が実現したことに対抗して、アメリカ大陸でも通貨統合を進めるべきだ、という考え方も背景にあった。ヨーロッパが、中南米との経済統合を進めようと接近していることも、アメリカの警戒感を誘発した。

 アメリカは、メキシコ、カナダと結成している自由貿易圏「NAFTA」を、2005年までに中南米にも広げ、南北アメリカが、アメリカを頂点とする一つの自由貿易圏になる構想を進めている。その構想と並行して、ドル化による通貨の統合をしていけばよい。そんな主張が、アメリカのメディアに載るようになった。

 たとえば、ニューヨークタイムスの2月25日の記事「Buck Doesn't Stop: Now Argentina May Adopt it」や、ウォールストリート・ジャーナル(会員制サイト)の「The Dollarization Debate」 (4月29日)、「Global Markets Need Golden Rule」 (6月16日)、フォーリン・アフェアーズ99年7-8月号の「From EMU to AMU」などだ。

 フォーリン・アフェアーズやウォールストリート・ジャーナルは、アメリカ政府内部で浮上している意見やアイデアの動向を示す記事が良く載るメディアである。

●アメリカ当局の躊躇の裏にあるもの

 だが、アメリカ政府のまとまった方針として、ドル化を推進することは、まだなっていない。

 4月下旬、アメリカ議会上院の銀行委員会の公聴会に、米財務省のサマーズ副長官(当時)らが呼ばれ、外国でドルが通貨として使われることに対して、金融当局者の立場からどう考えているか、尋ねられた。それに対してサマーズは、外国でのドル化に賛成するかどうか、はっきり答えなかった。

 アメリカ当局が、この件に関してどのような方針を持っているか、情報がほとんどないので、正確なところは分からない。だが、一ついえそうなのは、ドルがアメリカだけの通貨であれば、国内の経済状況だけに合わせて通貨供給量や金利を決められるが、外国がドル化すると、その国の状態まで視野に入れて金融政策を決めねばならない、ということを恐れているのではないか、ということだ。

 一方、ドル化を最初に言い出したアルゼンチンの側でも、メネム大統領の発表以来、ドル化に対する反発があちこちから出ている。

 反対理由の一つは、自国通貨がなくなることは、愛国心が許さない、というものだ。南米では全般的に、アメリカの支配に反発している人々が多く、日々の生活ではペソやレアルよりドルをほしがる人々も、精神面では自国のお金をなくしてドルに一本化することは望んでいない。

 そういった理由から、アメリカとアルゼンチンの間で今後、ドル化の方向性が、より明確に打ち出されたとしても、実現するのは何年も先、ということになりそうだ。メネム大統領の任期は今年10月までで、その後は大統領が変わるため、ドル化構想自体、なくなってしまう可能性も大きい。

 アルゼンチンがそんな試行錯誤をしているうちに、隣のブラジルは、現実的な対応をした。通貨切り下げ後の今年2月、ブラジル政府は、世界で最も有名な投機筋であるジョージ・ソロスの部下をしていたアルミニオ・フラガ(Arminio Fraga)という、ブラジル人の資金運用の専門家を、中央銀行の総裁に任命したのである。

 前任の総裁は、就任からわずか3週間でクビになってしまった。フラガ氏の総裁就任が決まる直前に、IMFの首脳がブラジルを訪問し、通貨危機に対する緊急融資をすることを決めており、この時の融資条件として、総裁の交代要求が入っていた可能性が強い。

 つまり、IMFがブラジル政府に対して、中央銀行総裁に投機筋の大御所を据えるよう、求めた可能性が大きいのである。

 中央銀行は、投機家と戦う役目を担っているのだから、その長に投機家自身を座らせるということは、まるで、暴力団幹部を警察庁長官に任命するようなものだ。暴力団でも、ある種の秩序を守ってくれるのだろうが。

 マレーシアのマハティール首相は以前、今回の国際通貨危機について、ジョージソロスとアメリカ金融当局がグルになって起こした犯罪的行為だ、と発言し、欧米メディアから非難されたが、実はマハティールは正しかった、と思える一件であった。

 思えば、IMFとその背後にいるアメリカ政府が、ソロスのような投機筋とグルであったのだとしたら、ドル化による世界通貨統合に、アメリカ当局が賛成するはずもない。投機筋が儲けることのできる環境が失われてしまうからである。そんな恐ろしいことは、信じたくないのだが。

 


 

参考にした記事のうち、ネット上で見られるもの

'Dollarization' by Argentina Hits Resistance

Rivals in Argentina Rally Around the Beleaguered Peso

In Surprise Move, Brazil Names Soros Ally to Head Bank

 






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