中南米政治の仁義なき戦い・パラグアイ編

1999年4月9日  田中 宇


 南米のパラグアイは日本人にとって、日系移民が1万人近くいるということ以外には、ほとんどなじみのない国だろう。

 だが、国際社会のアンダーグラウンドの世界では、ちょっとした存在だ。そのひとつは、海賊版商品の製造・流通拠点として知られていることだ。CDやビデオの違法コピーや偽ブランド品など、自国内やアジアなどで作られた海賊版商品が、パラグアイを拠点として、アメリカやヨーロッパに運ばれるケースが多い。また、モノだけではなく、人の動きに関しても、さまざまな目的地への、密入国の中継地点として使われてきた。

 またこの国は、第2次大戦後、ナチスの残党を受け入れたことでも知られる。その関係で、冷戦時代には、共産主義を敵視する反共主義者の国際的な活動拠点のひとつとなり、1979年には「世界反共連盟」の大会がパラグアイの首都アスンシオンで開かれ、反共組織どうしの世界的なネットワークが作られた。

 アメリカのCIAも、中南米の共産ゲリラを倒すための拠点として、パラグアイを活用していた。かつて反共色が非常に強い国だった台湾(中華民国)は、蒋介石時代から、パラグアイとの親交が深く、パラグアイは南米諸国の中で唯一、台湾との国交を持つ国である。

 パラグアイは海に面しておらず、農林業以外には、大した産業もない。19世紀後半、当時の大統領が帝国建設を夢見た結果、周辺のアルゼンチンとブラジルという2つの大国に対して無謀な戦争を挑み、壊滅的な敗北をして、国土の半分を奪われ、人口も戦死と領土割譲によって半分以下に減ってしまったという歴史もまた、パラグアイの貧しさの原点になっている。

 これらの背景があるため、アンダーグラウンド方面の活動で食っていかざるを得なかった、ともいえる。人口約500万人のパラグアイの国内総生産は、表向きは100億ドル弱だが、これとは別に、統計に表れない地下経済が120億ドルほど存在していると推測されている。

 海賊版の生産流通のほか、武器の国際流通、隣国ボリビア産の麻薬の取引、マネーロンダリングなども盛んなようだ。

 そんな具合なので、パラグアイ政府の腐敗度も高いとされる。ドイツのNGO、「トランスペアレンシー・インターナショナル」腐敗度ランキングでは、85カ国中、悪い方から2番目に入っている。

 とはいえ、反共主義を掲げているだけでドル紙幣が入ってきた冷戦時代は、10年ほど前に終わってしまった。かつては「民主主義=反共」という公式を容認していたアメリカは、今では「民主主義=政府の公正さ」という公式を看板にしており、腐敗しているとみなされた政府には、IMFも金を貸さないようになっている。

 だから、パラグアイには、早くアンダーグラウンドの世界から足抜けした方が良い、と考えている人も多いようなのだが、事はそう簡単ではない。

●与党の派閥争いがエスカレート

 パラグアイの与党は「コロラド党」といい、過去50年間以上、政権を握りつづけてきた。だが党内には、有力者を中心とする派閥がある。冷戦終結後、民主的な政治を行うべきだとの圧力が内外から高まるにつれ、権力をめぐる党内の主導権争いが強まる、という結果になっている。

 強権政治が長く続いたため、民主的な選挙を実施できる土壌がまだ弱いことがひとつの理由だろう。コロラド党の資金源は、密輸品取引の手数料だといわれているが、最近はアメリカが麻薬や海賊版CDの取り締まりを強化しているため、政治資金集めも難しくなっている。また政敵を倒すための人権侵害も、世界的に許されなくなっているため、圧倒的な権力者が生まれにくく、派閥争いが激しくなったのではないか。

 パラグアイは1954年にクーデターで政権を取ったコロラド党傘下のアルフレド・ストロエスネル将軍が、その後大統領となり、35年間、政権を握りつづけた。その間、6回の大統領選挙があったが、さまざまな強権発動や資金集めにより、連続当選を続けた。

 ところが、ベルリンの壁が崩壊した1989年に、コロラド党内の有力軍人であるアンドレス・ロドリゲスがクーデターを起こし、ストロエスネル大統領を追放し、自ら大統領になった。

 その後、1993年の大統領選挙では、軍人ではない人が就任したものの、1996年には、リノ・オビエド将軍(陸軍司令官)がクーデターを起こした。アメリカの介入もあって、クーデターは成功せず、オビエド将軍はいったん逮捕された。

 だがその後も、オビエドの党内での力は強く、昨年8月の大統領選挙では、獄中にいたオビエドの命を受けた実業家、ラウル・クバスが当選した。

 このときコロラド党内は、オビエド派と、ルイス・アルガニャという政治家の派閥とに分かれていた。オビエド派のクバスが大統領になったものの、対立するアルガニャは副大統領として政権に入った。日本の自民党と同じく、各派閥のバランスを考えて、入閣を決める仕組みになっている。

 ところが、その後間もなく、クバス大統領が自分の黒幕であるオビエド元将軍を、刑期を無視して監獄から釈放する命令を出したため、両派の対立が激しくなった。

 今年2月に入って最高裁判所は、大統領によるオビエド釈放命令を不当と判断し、それに基づいて議会が大統領の弾劾に動き出した。平行してアメリカ政府が副大統領のアルガニャに接触した。これはアメリカがオビエド釈放を嫌悪し、アルガニャを支持している、というサインだった。

 これらのことによって、対立はいっそう深まり、ついに今年3月23日、アルガニャ副大統領が出勤途中に暗殺された。軍服を着た数人が、副大統領の車に向けて手榴弾を投げつけた上、マシンガンを乱射するという荒業だった。

 犯人は特定されなかったが、これで一気に両者の戦いが表面化し、アスンシオンでは両派の支持者間の衝突で、暴動状態になった。

 ここで以前なら、オビエド本人か、アルガニャ派の軍人がクーデターを起こし、先週あたり、次の政権が誕生していたかもしれない。だが実際には、軍は出動したものの、クーデターは起こせなかった。

 黒幕といわれたオビエド元将軍は、アルゼンチンに亡命し、クバス大統領も辞任し、ブラジルに亡命してしまった。(政争の敗者は周辺国に亡命できる、というのが、従来から南米政治における不文律になっている)

 後任の大統領には、殺されたアルガニャと親しかったルイス・アンヘル・ゴンサレス上院議長が就任した。

●メキシコやベネズエラでも政治の大転換

 こうなった背景には、アメリカやブラジル、アルゼンチンの動きがあった。これらの国々は、オビエド派が政権を握る限り、経済援助をしない、という意思表示を行い、オビエド派への賛同者を減らそうと動いた。

 今年はじめのブラジル通貨危機以降、パラグアイは農産物その他のブラジル向け輸出が減ってしまい、経済的に大打撃を受けている。そんな中でアメリカやIMFなどからの資金援助を止められたら困る、という事情があった。

 とはいえ、これでパラグアイの政治が完全に安定したとは言い切れない。アメリカは、殺されたアルガニャ副大統領を民主派として持ち上げたが、実のところ彼は、かつて35年間の強権政治を行ったストロエスネル将軍の派閥の流れを組んでいる。アルガニャの父は、ストロエスネル時代に法務大臣をつとめ、反政府系の人々を取り締まる役割を果たしていた。

 独裁者を倒した人が、やがて独裁政治を行うようになり、さらにそれを倒した人の顔をよく見たら、最初の独裁者の子供だった、という、何というか「だまし絵」のような状態になっている。

 そして、似たような状態がパラグアイだけでなく、中南米の各地で、ほぼ同時に起きているところが、また中南米らしい。

 メキシコでは、過去70年間にわたり一党独裁を続けてきた与党「制度的革命党」が、分裂の危機を迎えている。またベネズエラでは、40年間にわたり、2つの主力政党間で権力の分配をめぐって「談合」が行われ、それが制度的に定着していたのだが、昨年12月の大統領選挙で、その体制を崩すと宣言して勝利した元軍人、チャベス大統領が今年2月に就任し、大きな政治的どんでん返しが起きている。

 チャベスはかつて、クーデターを起こそうとして失敗したという点でも、パラグアイの政情と似ている。南米では、今も「2・26事件」のようなことがあちこちで起きている、と考えることができるかもしれない。

 





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