ユーゴ戦争:アメリカ色に染まる欧州軍1999年4月5日 田中 宇 | |
筆者はこれまでに3本ほど、コソボ紛争に関する記事を書いてきたが、最近まで解けない、ひとつの単純な疑問があった。それは、コソボの人口の90%を占めるアルバニア系住民の宗教は何なのか、ということだった。 筆者は記事を書く際、欧米など世界のメディアの関連記事をなるべく多く読み、情報を集めるのだが、欧米のメディアの記事をいくら読んでも、コソボのアルバニア系の人々の宗教が何であるか、説明したくだりは、ほとんどなかった。 どうやらコソボのアルバニア系の多くがイスラム教徒らしい、ということは分かったのだが、新聞には「コソボの独立を求めて戦っているゲリラ“コソボ解放軍”(KLA)は、イスラム原理主義組織などとはまったく異なり、ヨーロッパ型の民主国家を作りたいと考えている」といったような説明がある程度だった。 コソボの人々の多くがイスラム教徒である、とはっきり分かったのは、3月25日にNATO軍の空爆が始まってからだった。中東のイスラム諸国が、同じイスラム教徒だということでコソボ側を支持し、コソボの人々を痛めつけているセルビア軍を非難する声明を相次いで出したのである。 北アフリカからインドネシアまでのイスラム教諸国は、1994年からのボスニア戦争の際も、ボスニアのイスラム教徒勢力(ムスリム人)を支援し、その敵方であるセルビア人(正教会キリスト教徒が中心)を非難していた。その半面、セルビア人と同じ正教会キリスト教徒が多いギリシャやロシアは、心情的にセルビアに味方していた。 ●キリスト教に肩入れする欧米メディアの流れ セルビアやコソボ、ボスニアなど旧ユーゴスラビアは、過去50年近くにわたり、社会主義体制が続いてきたため、国民どうしが宗教の違いを意識したり、異教徒を敵視したり、といったことは、今でもほとんどないという。 だが、周辺諸国は、そういった現地の現実とは関係なく、旧ユーゴの戦争を、勝手に宗教対立に見立てて、自国と同じ宗教の勢力を応援する、という姿勢をとってきた。 こうした傾向は、キリスト教徒中心の欧米の人々も、あまり変わらない。インドやモルッカ諸島(インドネシア)、中国などで、少数派であるキリスト教徒が殺されたり、弾圧されたりすると、欧米メディアは大きくとり上げる。その手のニュースをあまり報じない日本のメディアと比べて読むと、欧米のメディアが自分たちの宗教であるキリスト教に肩入れしていることが読み取れる。 そんな中で、旧ユーゴでは、ボスニアでもコソボでも、イスラム教徒が殺され側で、キリスト教徒のセルビア人が殺す側だ。しかもNATOの空爆は、イスラム教徒であるコソボのアルバニア系ゲリラを支援するためのものだ。 だから、欧米メディアがコソボのゲリラがイスラム教徒であることを報じてしまうと「何でイスラム教徒を支援するためにキリスト教徒(セルビア人)を空爆するのか」という市民感情が、欧米の人々の間に生じてしまうおそれがある。 特にアメリカでは、イスラム原理主義テロリストの恐ろしさを大々的に報じるメディアキャンペーンが目立っており、イスラム教徒イコールアメリカの敵という意識を米国民の間に流布させようとする意図がうかがえる。 そんなこともあるので、特にアメリカのメディアは、コソボの人々の宗教について、話題にするのを意識的に避けたのではないか。筆者はそんな風に感じている。 ●廃語になる「内政干渉」 旧ユーゴ地域の住民の中に、もともと宗教対立などなかったのに、欧米やイスラム世界など、外の世界の戦略家たちが、対立の構造をあおり、戦争が作り上げられたといえそうなのだが、それなら、最もこの戦争を起こしたかった外の勢力は、誰なのか。 コソボをめぐるNATOの空爆を見る限り、それはアメリカ合衆国ではないか、と筆者は考える。 NATOは、ヨーロッパとアメリカの軍事同盟だが、ヨーロッパ諸国では、コソボ問題に対して、軍事介入をすべきだという論調は、必ずしも強くない。もともとヨーロッパでは、冷戦後のNATOを、ヨーロッパの共同防衛のための組織にしたい、との考え方が強かった。 NATOは第二次大戦後、ソ連の拡張主義に対抗するために、西側陣営が作ったものである。1991年にソ連が崩壊し、もはや脅威がなくなってしまうと、NATOは解散するか、もしくは新たな存在意義を定める必要に迫られた。そんな中で、ヨーロッパ諸国は、自分の地域の防衛を、冷戦後のNATOの目的にしようと考えた。 一方アメリカは、NATOに「世界の警察官」としての役割の一翼を担ってほしいと考えた。 アメリカが冷戦後の世界支配の「原則」とした方針は、「人権」や「民主主義」が、国家主権よりも重視すべきものだ、という考え方だった。それまで国家主権は、他国がおかしてはならないものだったから、国内で行われている人権侵害や独裁政治に他国が文句を言うと、「内政干渉だ」と言い返された。 だが、国家主権より人権が重要だということになると、もはや「内政干渉」という言葉自体が、廃語になってしまう。 アメリカを敵視する国のほとんどは、アメリカから見ると「人権侵害」や「民主化運動への弾圧」が行われているから、この方針はアメリカに楯突く国を攻撃するためのもの、と考えることができる。 この新しい原則をもって、アメリカは「世界の警察官」として、冷戦後の世界を統治し始めている。そして、統治のためにアメリカが最近使っている方法が、ミサイル攻撃と空爆である。 これらの戦法は、遠くから、もしくは非常に高いところからの攻撃なので、米軍兵士の命が危険にさらされることがない。1992年のソマリア内戦介入あたりから、アメリカでは、国外の戦争に介入してアメリカ兵が一人でも戦死すると、米国内で大きな拒絶反応が起きるようになっている。そのため、地上軍を一切派遣せずに攻撃するのが、最近の米軍のやり方になっている。 だが、この任務をアメリカ一国だけで担うのは、荷が重い。軍事介入は、金もかかる。財政の黒字化を実現したアメリカ政府としては、なるべく金を使いたくない。そこで、ヨーロッパ諸国にも、NATOを通じて同じ役割を負わせようと考えた。 ヨーロッパ諸国を「警察官」に任命して部下のように扱い、自らは「地球警察署長」に昇格しよう、という寸法だ。 ●設立時の条約に自ら違反するNATO NATOは今年、創設50周年を迎える。4月下旬には、アメリカで50周年の記念式典が行われる予定となっており、アメリカはそれに合わせて、新しいNATOの存在意義を世界に示したいと考えていた。 こうした戦略のもと、コソボへの空爆は、アメリカがNATOを自分の色に染めるための、格好の出来事となった。コソボはセルビア(新ユーゴスラビア連邦)の一地方である。コソボの人々のほとんどは、ユーゴスラビアからの独立を望んでいるが、欧米諸国は、それに反対している。コソボの独立を認めてしまうと、ヨーロッパ各地で起きている独立要求を、すべて認めねばならなくなるからだ。 したがって、セルビア軍が続けているコソボでの人権侵害に対してNATO軍が介入すると、従来の考え方だと「内政干渉」になる。だが、アメリカの新原則でいうなら、コソボには人権侵害があるのだから、むしろ介入すべきだということになる。 ヨーロッパ諸国には、軍事費を増やしたくないうえに、アメリカの子分にはなりたくないという考え方もある。そのため、フランス、イタリアなどが、コソボへの介入に消極的なのだが、「人権侵害を放置するのか」とアメリカに詰め寄られると、反論できなくなってしまう。それで結局、アメリカ主導で、NATO軍の空爆が始まることになった。 とはいえ、空爆によって、コソボ情勢は鎮まるどころか、逆に悲惨さの度合いを強めてしまった。セルビア軍によるの弾圧が急にひどくなり、わずか5日間で6万人が新たに難民と化した。 NATO軍が空爆しても、セルビア軍は兵器を上空から見えないところに隠すなどの対抗措置をとり、空爆の効果がだんだんと上がらなくなっている。(セルビアは空爆の対処方法について、イラクのサダムフセイン政権からアドバイスを受けているともいわれている) こうなると、次の手としては、NATO地上軍をコソボに派遣せねばならなくなるが、これは確実に戦死者を出すことになるため、さすがのアメリカも、世論の反発がこわくて、なかなか踏み切れない。もし地上軍を投入すれば、ベトナム戦争のような泥沼の戦いに巻き込まれるかもれしない。 しかも、NATOの空爆は、国連の決議を経ていない。これは、NATO組織の元になっている北大西洋条約に反している。条約ではNATOは、国連憲章に基づく場合か、もしくはNATO加盟国が攻撃された場合しか、武力を行使できないことになっている。 アメリカが国連の決議を経ずにNATOの空爆を始めたのは、国連の審議にかけていたら、ロシアと中国が拒否権を発動していただろう。アメリカの意のままにならない国連など無視してしまえ、という考えなのである。 ●北朝鮮問題を契機に日本も「世界の警察官」に? 過去1年間ほどのコソボ問題の経緯を見ていると、アメリカがユーゴのミロシェビッチ大統領に対して強硬な姿勢をとり、ミロシェビッチ氏が拒絶するたびに、アメリカは空爆に一歩ずつ近づいていった。 そして最終的に、交渉が失敗して空爆に至ったのだが、その結末は、アメリカがNATOを自分の色に染められるという意味で、望むところだった。そんな風に考えて、ふと目を日本の周辺に移してみると、もしかしてアメリカはヨーロッパだけでなく、日本にも「下っ端警察官」の役割を負わせようとしているのではないか、と思えてくる。日本周辺で、セルビアと同様の役割をしているのは、北朝鮮である。 アメリカが、極東有事の際に、日本に何らかの軍事行動をとらせたい、と考えているところに、どうしたわけかちょうど良く、北朝鮮の怪しい船が日本の領海内に入りこみ、日本人の危機感を一気に強める結果となった。 北朝鮮の脅威が強まれば強まるほど、日本では「平和憲法の維持」よりも、北朝鮮に対抗できる軍事システムを作ろう、という意識が強くなる。アメリカが日本に配備するよう求めているミサイル迎撃システムを導入する可能性も高まるというわけだ。(アメリカは、ヨーロッパにも似たようなシステムを導入するよう求めている) 北朝鮮の脅威が、実際にどの程度のものなのか判断しにくいが、日本人が北朝鮮の脅威を感じれば感じるほど、アメリカが求める方向に日本は動いていく、という仕掛けになっていることは、間違いないだろう。
関連サイトユーゴスラビアの独立ラジオ局B92を支援する日本語サイト ●Christian Science Monitor: Crisis in Kosovo アメリカの新聞クリスチャン・サイエンス・モニターの特集サイト(英語)
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