難所にきた中国改革(3):ノンバンク錬金術の終わり

98年11月17日  田中 宇


 半年に一度ずつ訪れても、そのたびに町の景観が大きく変わっているのに驚かされる・・・。上海の都市開発の速さや規模をさして、そんな風に言う人が多い。いつも、街のあちこちでビルや高速道路が建設され、槌音が聞こえている。

 だが上海では、ビルがどんどん建つ一方で、入居するテナントがほとんどないオフィスビルも、目立つようになった。上海のビジネス新市街である浦東地区では、空室率が70%に達している。全体の3割しかテナントが埋まっていないのだ。

 テナントビルの空室率の増加は、北京でも44%になっている。賃料も下がり続け、上海や北京のテナント料は、過去1年間で約30%も値下がりした。(香港スタンダード 10月29日付の記事による)

 上海や北京だけでなく、広東省や福建省などの中国の沿海地域全体で、オフィスビルの空室率は増える傾向にある。中国では1992-3年ごろまでの建設ラッシュでビルの建てすぎ状態が起こり、その後の金融引締めによって空室が一気に増えた。さらに今年に入っての経済成長の鈍化で、外資系企業や民間企業のビジネスが思うように拡大せず、テナントの需要が伸び悩んでいる。

●改革開放の申し子として生まれた信託投資会社

 空室率が上がると、ビル事業で利益を挙げようと投資していた人々が損をすることになる。日本では、バブル崩壊後のビル事業の悪化で大損してつぶれたのは、銀行系などのノンバンクだった。中国でも、ビル事業に金をつぎ込んだ「信託投資会社」と呼ばれるノンバンクの経営が、危機的状態になっている。

 日本のノンバンクはバブル期に、親会社の銀行や生保などが直接貸せないリスクの大きな融資を担当する「汚れ役」をさせられることが多かったが、中国の信託投資会社は、トウ小平氏の改革開放政策の目玉の一つとして、1980年代初頭に設立された公的機関だ。

 中国には従来から4大国有銀行があるが、1980年代以降、これらは中央政府の指令に基づいて、経営難に陥った国有企業への救済融資を、主に担当するようになった。それに対して信託投資会社は、省や市などの地方政府の指令に基づいて、道路や発電所など、その地方の経済発展に欠かせないインフラ(生産基盤)の建設費をまかなう役割を持った。

 4大銀行が、過ぎ行く社会主義時代の残務処理役という、影の役割を果たしてきたのに対し、信託投資会社は、市場経済に向けた中国の高度成長を支える資金調達機能という、日の当たる部分を担った。中央政府の管轄下にも、CITIC(中国国際信託投資公司)という、全国の信託投資会社の元締めのような組織が設立された。各地方の信託投資会社は、CITICをモデルに作られたところが多い。

 信託投資会社の資金は、利回りの高い債券の発行や借入金などで調達しており、海外の銀行など投資が多かった。だが、高利回りの利払いをこなすため、信託投資会社は、公共のインフラ整備事業だけでなく、利幅の大きな不動産開発や、香港での株式投資、先物投資にも手を染めるようになった。

 信託投資会社は、地方政府の子会社のようなものだから、不動産開発を手がけても、役所の許認可取得に悩まされることなく、純民間企業より有利にプロジェクトを展開することができた。

 また、信託投資会社の香港の関係会社が株式を上場すれば、香港や海外の投資家たちは、中国の地方政府そのものが株式を上場したような高い評価を与えた。上場株の購入申し込みは何百倍という人気となり、上場後も値上がりを続けた。

 いつしか、地方政府そのものが、信託投資会社を通じて、不動産や株式投資を行っている、という形になっていった。自分たちの権力が、株や不動産を通じて巨万の利益に化けることを知った地方政府の幹部たちの中には、利益の一部を私物化する輩も出てきた。

 信託投資会社は儲かる、ということで、全国各地の地方政府が新会社を設立するようになり、最盛期には700社を超える信託投資会社があった。後で設立されたものほど、本来のインフラ整備はそっちのけで、株や不動産などの投機に走る傾向が強くなった。(中央政府の規制によって、今では約240社に減らされた)

 中央政府傘下のCITICは、国務院(内閣)の一機関として位置付けられ、国家全体の投資戦略を練る「超エリート集団」と呼ばれた。香港が中国に返還される際には、キャセイ航空や香港の海底トンネル会社など、香港のインフラ部門を担う大企業の株式の10%前後を、CITICの香港現地法人「CITICパシフィック」が購入していき、中国政府が香港に影響力を及ぼすための代理役を担った。

 中国政府が香港の大企業の株を直接買い取ると、香港が掲げる「自由主義経済」のイメージを損なうことになる。かといって、香港の主要企業に対して中国政府のにらみがまったく効かないというのも中国政府にとって面白くない。そこで、CITICパシフィックに株を買わせる、という間接的な方法を取った。

●ロシア危機から始まった世界的信用縮小で資金繰りが悪化

 こんな歴史をたどってきた信託投資会社だが、今年に入ってから、ビル空室率の上昇や香港株の下落、それから世界的な金融危機による外国金融機関の貸し渋りなどによって、経営危機に陥るところが多くなった。

 特に、海外からの資金については、今年の夏以降、新たな投資や融資はまったくない状態で、以前からの融資の借り換えも、次々と断られて返済を迫られている。

 そんな中、10月6日には、CITICに次いで2番目に大きな信託投資会社だった広東省の「広東国際信託投資公司」(GITIC)が、朱鎔基首相の命令によって閉鎖された。外国の金融機関から返済を迫られた24億ドルの負債を返せないことが、破綻の原因だった。

 GITICは、資産をすべて売却しても約5億ドルにしかならないため、足りない分は4大銀行の一つである中国銀行が肩代わりして、外国銀行を中心とする債権者に返済することになった。

 だが、中国銀行は長年、経営難の国有企業に対して戻ってくる見込みのない政策融資を続けてきたため、経営にあまり余力がない。そのため「GITICの資産状態を精査するのに時間がかかる」という理由をつけ、来年1月まで、債権者への返済を延期すると発表した。

 GITICに対しては、欧米や日本、韓国の金融機関が融資や投資をしていたが、これらの金融機関から見れば、GITICは中国の政府機関の一部だった。GITICの債務が返済されなければ、外国銀行の中国に対する信頼が揺らぎ、海外からの資金がますます入りにくくなってしまう。

 しかも、GITIC以外の信託投資会社の多くも、経営難に陥っている。GITICが債務を返せないと言ってきたとき、中国政府がこれまでのように4大銀行からの緊急融資を行わず、GITICを倒産させてしまったのは、他の信託投資会社に対して「債務を返せなくなっても中央は助けない」との警告を発する意味もあったようだ。

 中国政府は、中央銀行(中国人民銀行)の中に、信託投資会社を調査するチームを作った。現在約240社ある信託投資会社は、今後100社程度、ひょっとすると40社程度にまで減らされる可能性もある。CITICも、国務院の一部門から外され、中央銀行の管轄下へと格下げされた。

 GITICの閉鎖はまた、上海閥である江沢民・朱鎔基政権が、言うことを聞かない広東省の勢力をたたくための政治的攻撃だった、との見方もある。

 現政権は、最大のライバルといわれていた北京市の陳希同元市長の汚職を摘発し、裁判所に16年の懲役判決を出させ、北京派の抵抗力をくじくなど、汚職摘発を武器に、地方政府の力を削いでいる。各地の信託投資会社の整理縮小は、地方政府の資金源を断つ、という意味もありそうだ。

 改革開放とともに拡大し、一時は花咲いていた各地の信託投資会社が消滅することは、20年間にわたる改革開放の時代が終わりつつあることの象徴といえるかもしれない。






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