難所にきた中国の改革:「希望の星」朱鎔基のかげり98年11月6日 田中 宇 | |
中国の未来を切り拓く希望の星、と思われていた朱鎔基首相が打ち出した改革政策が、次々に後退を余儀なくされている。 中国は、トウ小平氏が1980年代から始めた改革開放政策によって、社会主義経済から市場主義経済へと転換し始めた。だが、その後20年近い移行期間の中で社会・経済上の制度のひずみが増した。市場経済化が進んでいる部分と、社会主義制度が残っている部分との矛盾が目立つようになり、改革開放の足を引っ張るようになった。 そのため、今年3月に首相に就任した朱鎔基氏は、1998-99年を改革強化の年と位置付け、これまで社会的・政治的な事情で市場経済化を進めることができなかった部分の改革を、一気に進展させようとした。 朱鎔基氏の改革案は、(1)公務員の数を半減させて役所の効率アップを図り、財政建て直しに貢献させる、(2)政府から国有企業への支援を止め、利益を出せない企業には倒産、身売りさせる、(3)これまでほとんど無料だった住宅、教育、医療などのサービスの有償化、市場経済化・・・などを柱としていた。 いずれも、多くの人々に犠牲を強いるもので、国民から猛反発を食らっても、おかしくないものだった。だが、朱鎔基氏の評判は下がるどころか、逆に礼賛の声が多くなり、巷では朱鎔基氏の3月の首相就任演説を収めたビデオテープがベストセラーになったりした。 それは、朱鎔基氏が清廉潔白なイメージを持ち、腐敗した官僚たちを容赦なく懲らしめてくれる人だ、と人々が思っているからである。 20年間の改革開放政策は、「先に富めるものから豊かになって良い」という原則だったが、これは「ずるいことをしても豊かになって良い」と受け取られがちだった。かつて清貧で知られた中国共産党の役人たちの多くが、賄賂や横流し、縁故重視などに手を染め、腐敗した官僚制度に対する人々の不満が強まっていた。 そこに現れたのが、「腐敗した役人、無能な役人は即刻クビだ」という方針を持った朱鎔基氏だった。また、「市場経済化することによる人々の苦しみ」よりも、「社会主義時代の不自由さから解放される」ことのプラス面をアピールしたことも、好感を持たれた。 ●3ヶ月で行き詰まった「希望の星」 ところが、3月から始まった朱鎔基氏の改革は、3ヶ月もしないうちに、行き詰まりを見せ始めた。 公務員の数は、中央政府だけは半減させ、省庁も統廃合した。だが省や市町村など、地方政府については、手をつけられるメドがほとんど立っていない。中国では中央政府と地方政府の権力争いが強く、中央からの命令でも、地方にとってマイナスとなるものは、実施されないことが多いからだ。 公有住宅については、賃貸料を値上げし、民間の物件との格差を縮めていく予定だったが、値上げの開始時期を地方政府が各地の事情に合わせて決めて良い、という方針に変えてしまった。各省はこぞって値上げ時期の延期を発表し、この政策も事実上、棚上げされている。 また国有企業の民営化についても、「民営化という名目で、企業のトップが自分の家族や親戚に企業の資産を格安で売り、実は業務上横領の疑いが強い、というケースが多いので、急速な民営化は問題だ」という理由で、企業の売却に制限がかけられてしまった。 これらの改革の後退はいずれも、中国の経済成長が、今年に入って鈍化していることに原因がある。 朱鎔基氏の改革は、公務員や国有企業の従業員を削減する代わり、クビを切られた人々が民間企業に就職しやすいよう、景気を良くして民間の雇用を拡大する、という考え方に基づいていた。そのためには、中国が今年、8%以上の経済成長を果たす必要があった。経済成長が1%鈍化するごとに、失業者は500万人ずつ増えてしまう、と予測されている。 (中国の都市の労働人口の大半が、今も国有企業で働いている) ●マイナスのらせん状態に陥っている中国の内需 朱鎔基首相は3月、今年の成長率は必ず8%以上にしてみせると「公約」し、夏からは国を挙げての「8%キャンペーン」が始まった。ところが、今年1-9月の経済成長率は7.2%で、8%には届かなかった。 その理由としては、昨年からのアジア危機で、中国から東南アジアや日本、韓国向けの輸出が減っていることや、中国が今年、40年ぶりという大規模な洪水の被害に見舞われていることなどもある。だが、それらのことよりも大きな理由は、国内消費が増えにくくなっていることであるようだ。 朱鎔基氏の改革は、人々が生活を豊かにしようと思えば、きっと民間企業に転職して収入を増やし、新しい住宅を借りて、どんどん消費してくれるから、経済成長率も上がるだろう、というプラスのらせん思考に基づいていた。 だが実際は、これまでの仕事や住宅を失うことに不安を抱き、消費を増やすどころか、少しでも多く貯金しておかないと、どうなるか分からない、という状況の人々の方がはるかに多かった。 朱鎔基氏が改革の号令をかければかけるほど、人々の財布の紐はしまり、経済成長も鈍化するという、マイナスのらせん状態に陥っている、と筆者は考える。 政府の発表では、今年1-9月の消費支出は、昨年同期より6.3%多いとされている。それが正しいとすれば、筆者の理論は崩れるのだが、この数字に疑問を抱く経済専門家が多い。というのは、1-9月の卸売物価指数は、前年同期比マイナス2.5%で、市場では値引き合戦が起きているからだ。 普通、消費支出が増えるときは、卸売物価指数もプラス、つまりモノは少しずつ値上がりする。物価指数がマイナスということは、商品が売れないから値下げせざるを得ない状態となっていると考えるのが一般的だ。 しかも、昨年9月分の消費支出は、今年9月分の発表と同時に、統計の取り間違いがあったとして修正され、その理由は発表されていない。ちなみに9月の卸売物価指数は、マイナス3.3%と、値下がり幅が広がっている。 また中国では、貨物の移動量も前年比でわずかながらマイナスとなっている。商品の売れ行きが増えたのに貨物量が減るのはおかしい。 ●経済成長率の統計は粉飾か? それだけではない。最近の中国の統計に関しては、7.2%の経済成長という数字の信憑性さえ、欧米や香港の専門家からは、疑念の眼で見られている。 経済成長の一部をなす鉱工業生産の増加は、今年1-9月に8%増だったが、その一方で電力消費量は2%しか増えなかった。中国の鉱工業生産は電力依存度が高いので、生産と同じくらい電力消費が伸びなければおかしい。 また、国有企業の収益の1-3月分は当初、前年比82%のマイナスと発表されていたが、それも最近になって58%のマイナスに修正された。 中国の方々には失礼な言い方になってしまうが、どうも朱鎔基首相が「今年は8%成長だ」と言ったことに合わせるため、統計データをあちこちでいじっているのではないか、と思うのだ。 中国では、1960年代始めの「大躍進」政策のとき、「驚くべき生産増加を達成した」と発表されたが、実は統計数字が大幅にごまかされており、実際には人々は飢餓に苦しみ、餓死者が大量に出ていた、という歴史がある。 今回も、「8%成長を達成しよう」といったスローガンが全国各地に張り出されていることとあわせて考えると、どうも大躍進の時と似たものを感じてしまう。 少なくとも、そうした懸念を外国の人々に与えてしまうのは、率直さを大切にする朱鎔基首相らしくないやり方である、と思う。 ●中国の改革は志が高いのだが・・・ とはいえ筆者は、中国政府が進める現在の改革開放政策は、全体としてみると、非常に志の高いものだと思っている。 中国は19世紀初頭には、全世界の物資の生産量(GDP)の3分の1を生み出し、一人あたり平均の収入は、世界平均よりも高かった。だがその後、王朝の衰退と戦乱、欧米や日本の植民地支配により、社会主義革命直後の1952年には、世界のGDPの20分の1しか生産できず、一人あたりの収入も世界平均の4分の1にまで減ってしまった。この約150年間に、世界のGDPは8倍になったのに、中国では減少したからだ。 その後中国は、再び世界のGDPの3分の1から4分の1程度を生産できる国に戻ろう、という壮大な目標を掲げて動き出した。「大躍進」や「文化大革命」、そして東側陣営の崩壊と天安門事件など、後退や危機が何度かあったが、この20年間の改革開放政策の効果で、今では世界のGDPの10分の1、一人あたりでは世界平均の半分にまで回復している。 そして今後15年間、年率5.5%の経済成長が続けば、2015年には、世界のGDPの6分の1を生産してアメリカに追いつき、一人あたりでは世界平均に等しい収入を得られるようになる、と予測されている。 そうした予測が実現した場合、中国はどんな国になっているだろうか。経済成長が止まり、今より貧しくなってしまった日本に対して、横暴に態度をとるのだろうか。かつて、成長が止まった中国に対して、日本が横暴に接したように・・・。 筆者は、そうはならないのではないか、と思う。中国が目指しているのは、200年前までのような、世界から尊敬される国になることだろう。だとしたら、2015年までの間に、民主主義、人々のセンスの良さ、創造性などを身につけねばならないはずだ。 だから、目標が達成されたときの中国の人々は、現代のわれわれが知っている中国の人々より、もっと魅力的な存在として見えるに違いない。かつて日本人が漢字や国家制度をもらってきたときと同じような魅力を持つようになるはずだ。また、そうなっていなければ、世界のGDPの3分の1を生産したところで、世界の人々から尊敬されるようにはならないだろう。 こうした、壮大な国家目標を持つという発想は、かつて壮大だった中国にはできても、文明の周辺国である日本には持ちにくいものだ。日本(や韓国)は「世界に追いつく」ことが目標だが、中国(や西欧)は「世界を造る」ことが目標だから、ともいえる。 逆に、日本や韓国には、外のものをうまく受け入れる能力がある。近代に中国が衰退したのは、自らの伝統に固執して西欧技術の受け入れに失敗したからだし、欧米がアラブ・イスラム文明との対立から抜けられないのも、異文化の受容力で劣っているからだ。 中国の改革開放政策は、単に資本主義国に追いつくことを目的としているわけではなく、もっとスケールの大きな「中国の復興」あるいは「中国のルネサンス」を目指すものである、と筆者は思う。(希望的観測にすぎないかもしれないが) そういった視野から朱鎔基氏の改革を見てみると、1980年から約20年間の改革開放の時代と、2000年から15-20年間の、次の発展の時代との中間地点に位置するものであることが見えてくる。これまでの経済成長で出てきた矛盾点を整理して、次の成長に備えるという時期だ。だから、中国にとって朱鎔基氏の改革は重要になってくる。 だが、中国が今年8%成長をすることは、まず無理のようだ。IMFは5.5%と予測しているし、香港などにはもっと低い予測をするアナリストもいる。そうなると改革が滞り、「世界を造る」計画にも狂いが生じる可能性が強くなる。 (続く)
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朱鎔基改革の難しさを解説しているアジアウィークの記事(8月21日) 朱鎔基氏と江沢民氏がどのようにのし上がってきたかを解説している。視点が鋭い。BCNの記事。
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