「改革」に背を向ける熟年国スウェーデン98年10月2日 田中 宇 | |
社会福祉に関心がある人々の多くにとって、北欧の国スウェーデンは、希望の星であった。老人福祉に関するケアの手厚さ、出産や育児に関する制度の充実、障害者にとっていきやすい社会的配慮、十分すぎる失業保険制度など、スウェーデンはこれまで、社会的弱者を大切にする国として知られていた。 資本主義と社会主義、どちらが優れているのか激論が戦わされていた冷戦時代の1970-80年代には、高福祉という社会主義的な部分と、自由経済という資本主義的な部分が融合するスウェーデン式の国家システムは、資本主義でも社会主義でもない「第3の道」として注目され、遠くアメリカやアジアからも、視察団や研究者の訪問が絶えなかった。 そんなスウェーデンの高福祉国家システムに、かげり見えて久しい。スウェーデンはもともと、2度の世界大戦を中立国として過ごし、破壊を受けなかったため、ずっと経済成長を続けられたことが、豊かな国造りの基盤となった。1870年から1970年までの100年間をとってみると、スウェーデンは世界一の経済成長を遂げた国だった。 だが、高福祉国家を実現するため、1970年代に税金の率をどんどん上げた結果、労働者の税込み賃金が高くなり、スウェーデン企業はしだいに国際競争力を失った。高くなった法人税を嫌って、欧州の他の国に移転していく企業も増えた。 野心ある若者たちは、高い税金を敬遠し、ドイツやアメリカなどの会社に転職し、国を出て行く傾向が強まった。スウェーデンでは、年収3万ドル(約400万円)の人が、収入の59%も税金で持っていかれてしまうからである。これらの要因のため、1980年から87年までに、所得税率は全体で1.5倍にアップしたものの、政府が得た税収は0.6%減ってしまった。 1990年代の初めには、金融業界の不良債権問題が持ち上がり、政府は通貨クローナの切り下げに追い込まれた。輸入品の価格が上がり、政府の財政赤字は4年間で2倍に増えた。OECDの調べによると、1970年代にはスウェーデンの一人あたりGDP(国内総生産)は世界第3位だったが、現在では第7位で、あまり豊かではないと思われていたイタリアより下になってしまった。 このようなジリ貧状態を受けて、長年与党を続けてきた、高福祉システムの生みの親といわれる社会民主労働党(SDP)は、1991年の選挙で、右寄りの穏健党に敗れた。 SDPは1994年の選挙で政権の座に返り咲いたものの、福祉関連の公務員の人減らしなどによって予算の削減を行う一方、さらなる増税によって財政赤字を減らす政策に転換せざるを得なくなった。 また、昨年にはEUに加盟した。スウェーデン式の高福祉国家運営から離れ、「財政均衡」「小さな政府」などをキーワードとするアメリカ型の「世界標準」の国家運営へとシフトし始めたのだった。 ●世界の流れに逆行するスウェーデンの人々 だが、9月20日に実施された総選挙の結果は、こうした動きに真っ向から反対するものだった。4年ぶりの議会選挙で、与党SDPは最大政党の座は何とか守ったものの、前回1994年の45%から、37%へと、支持を大幅に減らした。 半面、その減った分の多くが、高福祉国家の維持を掲げた左翼党(旧共産党)に回った。(左翼党の得票は前回6%、今回は12%) しかも、「減税」や「改革」を掲げて戦った、右寄りの穏健党は、ほとんど支持を伸ばすことができなかった。(前回22%、今回23%) (公式の選挙結果はこちら) 左翼党は、SDPが過去4年間に減らした社会福祉予算を、再び増やすよう主張していた。そんな左翼党が大きく票を伸ばし、減税を主張した穏健党が伸び悩んだということはつまり、スウェーデンの国民は、税金をもっと増やしてもいいから、これまでのような高福祉国家を続けてほしい、と思っているということである。 日本を含む世界中が「減税」や「小さな政府」に向かおうとしているときに、この意思表明は驚きである。 とはいえ、今回の選挙結果は、スウェーデンの人々の立場からみれば、当然ともいえるものだ。スウェーデンでは、収入の50%以上を政府から受け取っているという公務員やそれに準じる人々が、国民の約半分を占めている。またGDPの63%が、公共の支出に使われいる。つまり、全くの民間部門で生きている人の方が少ないのである。 公的補助は、国民生活のすみずみにまで行き渡っており、政府の予算カットは、自分たちの生活水準のダウンにつながりかねない、と人々は考えている。 日本では、多くの人々にとって、税金は昔の農民の年貢とさして変わらないもので、「お上」に一方的に取り立てられ、何に使われているかよく分からないというイメージだろう。だがスウェーデンでは、人々はもっと自覚的だ。政府の情報公開度が高いため、自分が払っている税金が自分の生活向上に使われている、という意識を持てる。そのため、税金が上がってもいい、ということになる。 また、以前からスウェーデン(やその他の欧州諸国)で検討されている、失業率を減らす方法は、みんなが労働時間を短縮し、その分多くの人々が働けるようにする、というものだ。こうした考えは「自由競争」言い方を変えれば同僚どうしの足の引っ張り合い)を第一に考える、アメリカ型の労働市場システムとは対極にある。 ●最大企業がスウェーデンを見捨てる? だが、将来的なことを考えれば、すでにスウェーデンは高福祉国家システムを続けていける余裕はない。経済統合に向かっている欧州の他の国々は、アメリカ式の国家運営を採用しつつあり、税金も低くなっている。そんな中でスウェーデンだけが高い法人税を維持しそうなため、たとえばスウェーデン最大の企業、通信機メーカーのエリクソン社は、政府が法人税を下げなければ、本社をイギリスに移す、と言い出している。 スウェーデンでは、経済専門家や知識人の多くは、こうした現実を理解しており、国内3大新聞はいずれも、自由経済原則を拡大していくべきだ、という社論を張っている。知識人にとっては、スウェーデンが目指した「第3の道」は、すでに過去のものである。 だが有権者、つまり一般の人々の考え方を最も重視せねばならない政治の世界では、話が逆転する。政界では「自由市場」や「改革」を持ち出すことさえ、人々の支持を失いかねないため、ほとんどタブー視されている。 また、「穏健党」は、他国の「保守党」にあたる政党なのだが、スウェーデン語の名称は「中道」という意味である。堂々と「保守」を名乗ることなど、マイナスになりかねないというわけだ。 スウェーデンの政治が現状維持から抜け出しにくいもう一つの理由は、比例代表選挙制をとっているため、中小政党が林立する状況になりやすく、歴代政権はほぼすべて連立政権にならざるを得ないことだ。 今回の選挙でも、SDPは単独過半数をとれず、左翼党とその他もう1党とで連立を組まないと、議会過半数を取れない。左翼党は、連立に参加する条件として、減らされた福祉部門の公務員の数を元に戻し、福祉予算も再び増やすことを求めており、SDPはこれを飲まざるを得なくなった。 ●欧州統合への懸念の高まり 左翼党は、欧州通貨統合への不参加と、EUからの離脱を方針として掲げている。1994年の国民投票では、53%がEU加盟に賛成したが、最近の世論調査では、その率は31%まで下がっている。かつてはバラ色の夢と思われていた経済統合だが、実際に進めてみると、国境をなくしてしまうことによって、さまざまなマイナス面が見えてくるようになった。 特に、人口密度の低い、豊かな高福祉国家であるスウェーデンの人々には、失うものが大きくなりそうだ。通貨統合への参加問題については、政府は批判を恐れて国民投票すら実施できない状態にある。 スウェーデンの人々が、これまで「ばら色の未来」と思われてきたアメリカ式システムや、欧州統合の計画に反対を表明していることは、最近「自由市場」「IMF方式」に対して、反旗を翻した始めたアジアやロシアの状況と、合い通じるものがある。 実際、IMFに言われるままの経済政策をした結果、人々がどんどん貧乏になっているロシアやインドネシア、韓国の状況を見れば、スウェーデン人でなくとも、「世界標準」といわれるやり方に従わない方がいいのではないか、と思うのは当然だ。 今回の選挙でスウェーデンの人々が下した判断が、時代遅れのノスタルジーだったのか、それとも慎重で懸命な選択だったのか。それが分かるのは、世界を揺るがす出来事が、あと何回か起きた後のことだろう。
関連サイト9月20日の選挙結果を報じた、スウェーデン外務省が運営する公式サイト。英語版。 スウェーデン政府公式サイトの英語版。スウェーデンの政府と社会について詳述している。 ●Swedes Have Seven Parties,But Little Choice ウォールストリージャーナル欧州版に載った選挙結果に関する解説。9月21日付。英語。 ●SWEDISH ELECTIONS - Voters turn back to welfare state 選挙結果について報じたシドニー・モーニング・ヘラルドの記事。英語。
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