聖都エルサレムをめぐる人口戦争

98年8月21日  田中 宇


 パレスチナ人は多産だ。シリア人に聞いた話なのだが、シリアでは「シリア人の兄弟姉妹はふつう3-4人だが、パレスチナ人は5-6人、下手をするともっといる」と言われているそうだ。(シリアにはパレスチナ難民が多く住んでいる)

 なぜそうなのか、あるパレスチナ人に尋ねたところ、「これは、戦いなのです」と言われた。イスラエルによって国を追われ、難民として暮らしている彼らは、数が減ってしまうと、存在を忘れられてしまう。パレスチナに帰れるまで、何十年もの間、民族を滅亡させずに生き抜くために、パレスチナ人は自分たちの人数をなるべく多くしようと努力しているのだという。

 ただでさえ失業率が高い難民生活なのに、どんどん人口が増えるので、生活は決して楽になることはないが、民族のアイデンティティを失ってしまうよりはましだ、ということらしい。しかも人数が多ければ、パレスチナへの帰還を許されてユダヤ人と混住することになった場合、選挙で戦う際に力を発揮できる。民主主義とは「数が多いほうが勝ち」だからだ。

 中東では、古代から多くの民族が興亡し、パレスチナやクルドの問題に象徴されるように、民族どうしの生存競争が今も続いている。島国で、ほとんど単一民族に近い日本では、少子化で人口が減っても、日本人としてのアイデンティティが失われることはないのとは対照的だ。

 中東を旅行してバスに乗ると、よくパレスチナ人に話しかけられる。下手な英語でも、何とか意志を通じさせようと努力するし、人なつこい。2-3時間乗り合わせただけで、ぜひうちに遊びに来てくれ、と誘われたりする。これもパレスチナ人の闘争である。世界の人々にパレスチナ難民問題を知ってもらい、味方になってもらう、という戦略なのである。

●「約束の地」を異教徒と共有するなどもってのほか

 そんな中、パレスチナ人とユダヤ人の激しい人口競争が繰り広げられているのが、「聖なる都市」エルサレムである。人口66万人を擁するエルサレムでは、パレスチナ人の方がユダヤ人よりも出生率が30%ほど高いため、過去30年間に市民全体に占めるユダヤ人の割合は、74%から70%へと下がってしまった。ユダヤ人側は巻き返しに必死である。

 エルサレムは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の3宗教にとって、特別な場所とされている。ユダヤ教にとっては、神様が与えてくれた「約束の地」であり、ユダヤ人の祖先といわれるダビデ王、ソロモン王が王国を作った場所。イスラム教にとっては、預言者マホメットが昇天した場所だ。

 キリスト教にとっては、イエス様が十字架にかけられた場所である。キリスト教徒は、現在では中東ではマイノリティとなっているが、ユダヤ教徒とイスラム教徒は、エルサレムを相手方に独占されるのを嫌っている。

 エルサレムは1948年の第1次中東戦争で、西半分がイスラエル領、東半分がヨルダン領となった。その後、1967年の第3次中東戦争で、東半分もイスラエル軍が占領した。イスラエルは、エルサレムを首都とすることを宣言したが、国連は東エルサレムの占領を非難し、エルサレムをイスラエルの首都と認めた国はなかった。

 東エルサレムについては、独立したら首都にする、とパレスチナ自治政府が主張している。イスラエルが占領地から撤退し、パレスチナ国家ができれば、イスラエルのパレスチナ遷都も国際的に認められ、西エルサレムがイスラエルの首都、東エルサレムがパレスチナの首都となる、というのが1993年のオスロ合意で描かれたシナリオの一つだった。

 だが、イスラエルに住む一部の狂信的ユダヤ教徒たちにとっては、「約束の地」を異教徒と分け合うなど、受け入れられないことだった。そのため、彼らの支持を受けて当選したネタニヤフ首相は、エルサレムの人口のうち、なるべく多くをユダヤ人が占めるようにしておき、エルサレムの将来を住民投票で決めたとしても勝てる体制を作ろうとしている。

 イスラエルはエルサレム全体を占領した直後の1960年代末に、エルサレム市の境界線を引き直し、アラブ人が多い地域をはずし、ユダヤ人が多い地域を編入した。それでエルサレムの人口の74%をユダヤ人が占めるようになった。

●宗教紛争を嫌って郊外に逃げ出す一般のユダヤ人

 それがじわじわと減っている原因は、パレスチナ人の多産もあるが、それだけではない。ユダヤ人の人口が減少していることも、もう一つの理由である。

 ネタニヤフ政権になってから、世界中からエルサレムに引っ越してくる狂信的ユダヤ教徒たち(超オーソドックス派)が増えた。彼らは東エルサレムに住むパレスチナ人を追い出そうといざこざを多発させるようになり、以前から住んでいた一般のユダヤ人にとって、エルサレムは住みにくい町となった。(エルサレムに来る観光客が増えすぎて騒がしくなったのも理由)

 そのため、仕事場はエルサレムにあるものの、家は郊外の町に引っ越すという人が増えた。エルサレム近郊の町では、住民税収入が増えることになったが、エルサレム市では逆に税収が減ってしまった。

 新しく市民となった狂信的ユダヤ教徒の中には、仕事を持たず、宗教的行為に明け暮れている人も多いから、課税対象者が減ってしまった。エルサレム市の財政は今、政府から巨額の交付金を受け取っているにもかかわらず、年に1億2000万ドルの赤字を計上している。

 イスラエル政府は、東エルサレムに住むパレスチナ人を追い出そうと、あの手この手を考えている。たとえば住んでいる家の土地の所有権があいまいだと、不法建築だということで取り壊されてしまい、住人はエルサレムでの居住許可を失う。イスラエル建国前にユダヤ人の土地だったことが判明すれば、その後の戦争や混乱の中で持ち主がパレスチナ人に変わっても認められず、ユダヤ人のものとされてしまう。

 また、パレスチナ人地域であるヨルダン側西岸地域から、エルサレムに向かう道路には検問所が作られ、西岸のパレスチナ人がエルサレム市内に入ることを制限している。表向きの理由はテロ防止策だが、実際は、西岸のパレスチナ人がエルサレムに住み着かないようにするための方策である。

 さらにイスラエル政府は、パレスチナ側が東エルサレムの人口調査を実施することも禁止した。昨年、人口調査が実施されようとしたとき、イスラエル議会はそれを「違法行為」と決議し、調査員が拘束されたりしたが、結局は集計までこぎつけることができた。

 結果は、イスラエル政府の調査を15%上回る21万人弱であった。このほとんどがパレスチナ人である。ユダヤ人は42万人だから、パレスチナ側の調査に基づくなら、エルサレムにおけるユダヤ人の比率は70%よりも低く、67%ということになる。もちろん、イスラエル政府はこの人口調査の結果を認めていない。

●「奥の手」は、エルサレム市域の拡大

 このように、各種の謀略を用いても、ユダヤ人の人口上の優勢を崩されつつあるため、イスラエル政府は最近、奥の手を発表した。エルサレム市の市域を西側に大きく拡大し、これまでエルサレム近郊の町であったユダヤ人が住む自治体を、エルサレム市に編入する、というのである。これによって市域は1.5倍となり、ユダヤ人のマジョリティは安泰になる、という寸法だった。

 だが、反発は思わぬところから来た。エルサレムに併合されることになった郊外の町に住んでいる人々の多くは、狂信的ユダヤ教徒が市内に増えたことを嫌って郊外に逃げ出した、元エルサレム市民だったのである。郊外に引っ越して、せっかく静かな生活を送れると思ったら、またエルサレムに吸収されてしまい、税金も値上げされるのではたまったものではない、と彼らは怒り、町を通る幹線道路をバリケード封鎖するなど、過激な抗議行動に出た。

 この計画は欧米諸国にも非難された。エルサレムの帰属問題は、宗教がからんだ非常に重要なテーマなので、オスロ合意では、他の問題が解決した後で話し合うこととされており、それまでエルサレムの状況は変更してはいけないことになっている。

 エルサレム市域を拡大することは、そうした合意に反するとして、アメリカなどがネタニヤフ首相を非難した。ネタニヤフ氏は「市域の拡大は、スムーズな都市計画を実施するためのもの。政治とは一切関係ないから、オスロ合意に違反していない」と釈明した。

●東エルサレムを孤立させる住宅建設

 イスラエルがこのところ、エルサレムを何とかして我が物にしようと力を入れているもう一つの理由は、来年5月にはパレスチナ自治政府が東エルサレムを首都として独立宣言する可能性があるからだ。

 来年5月は、オスロ合意が締結されてから6年目にあたり、合意による和平交渉の期限が切れるときである。その後はパレスチナ人自身が、独立するかどうかを決めることができる。

 パレスチナが独立宣言したら、ヨーロッパや日本を含む世界の多くの国々が、国家として承認するだろう。そうなると、東エルサレムがイスラエルによって占領されていることが、再びクローズアップされる可能性がある。

 イスラエルは、東エルサレムがパレスチナ人のものになったときのことを想定して、妨害措置を取っている。エルサレムから西岸のパレスチナ地域に入って最初の町はベツレヘムであるが、エルサレムとベツレヘムの間に、ヘブライ語でハルホマと呼ばれる丘陵地帯がある。イスラエル政府は昨年初めから、この地域にユダヤ人入植者のための住宅街の建設を始めた。

 ハルホマの入植地は、エルサレムとベツレヘムの間に割って入る位置に横たわっている。周辺の他のユダヤ人入植地とつながると、エルサレムとベツレヘムは分断されることになり、たとえ新生パレスチナ国家が東エルサレムを首都だと宣言しても、アラファト議長を始めとする新政府の人々は誰も東エルサレムに入ることができなくなってしまう。

 オスロ合意に沿ってイスラエルの軍や入植者が西岸地域から撤退すべき時に、新たにハルホマの住宅建設が始められたことに対しては昨年、欧米政府からも非難の声が上がり、それ以来パレスチナとイスラエルの交渉も中断しているが、この中断もまた、ネタニヤフ首相にとっては望むところだったのであろう。ハルホマの住宅建設は、現在も続けられている。

 

 


関連サイト

もの知りニュース「東エルサレム」

 読売新聞のサイトにある解説。分かりやすい地図つき。

Jerusalem May Expand Borders

 エルサレム市域拡大に関するABCニュースの記事。英語。参考になる地図つき。

ネット上でエルサレム首都宣言

 サンケイ新聞の記事。97年8月。





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