アメリカ大使館爆破テロの背景をさぐる

98年8月14日  田中 宇


 8月7日、アフリカ東海岸のケニアとタンザニアで、アメリカ大使館が爆破され、多くの犠牲者を出したことは、海外で働くアメリカの政府・企業関係者を震撼させたが、事件発生の20日ほど前に、こうした事件が発生する可能性を警告した人物がいた。エジプトのムバラク大統領である。

 ムバラク氏は7月14日、エジプト海軍学校の卒業式での講演の中で、国連の非難決議を受けてもパレスチナの占領地から撤退しないイスラエルを批判した。そして、イスラエルが撤退しない状態が続けば、テロリズムその他の暴力行為が増えるだろう、と指摘し、その場合にテロが起きる場所は中東地域にとどまらず、世界中がテロの舞台となりうる、と述べたのだった。

 ムバラク大統領がこんな警告を発した背景には、イスラエルのパレスチナ占領地からの撤退期限が昨年5月に過ぎてしまっていることがある。イスラエルは撤退しないどころか、逆に占領地にユダヤ人入植者を次々と送り込み、占領を既成事実化している。

 この動きに対して、占領下の生活を続けているパレスチナ人や、それを支援するアラブのイスラム主義者たちの間に、イスラエルと、イスラエルに甘いアメリカのクリントン政権に対して、怒りが渦巻いている。

●反米意識強まるアラブ

 イスラエルとパレスチナの間には、1993年5月にオスロ合意という和平の約束が締結されている。イスラエルは1967年の中東戦争で、パレスチナのうちヨルダン川西岸地域をヨルダンから、ガザ地区をエジプトから奪い、占領を続けている。国連はイスラエルが占領地から撤退するよう求めており、その延長にオスロ合意が結ばれた。

 合意では、イスラエルが1999年5月までにヨルダン川西岸地域のほとんどから撤退する代わりに、パレスチナ自治政府はパレスチナ人のイスラエルに対するテロ行為を取り締まる、と定められた。イスラエル軍の撤退は3回に分けて行われる予定で、1回目の撤退期限が、合意締結の4年後、つまり昨年5月だった。

 イスラエルでは1995年に、オスロ合意の推進役だったラビン首相が暗殺された。その後の選挙で首相となったネタニヤフ氏は、「神が約束の地としてユダヤ人に与えたパレスチナの土地をアラブ人に返すことなどできない」と考える、狂信的なユダヤ教徒たちの支援を受けて当選した人で、占領地からの撤退には消極的だった。

 ネタニヤフ首相は「パレスチナ側はオスロ合意で定められたテロリスト取り締まりを怠っている」と主張し、昨年5月の撤退期限を無視した。

 しかも、これまで中東和平を仲介してきたアメリカ政府は、クリントン政権になってから、イスラエル寄りの姿勢を強めている。アメリカ政府高官は今年に入り、「和平交渉はアメリカが仲介してお膳立てするより、当事者どうしが直接話し合うことが重要」などと、進展しない和平交渉の仲介を放棄するような発言をするようになっている。

 こうしたアメリカの態度変更の背景には恐らく、中東以外の世界での油田発見が相次ぎ、アラブ諸国の産油国としての価値が下がったことや、世界の金融市場の一体化によってアメリカの金融機関が強くなり、それを支配しているユダヤ系アメリカ人の力も強まったことなどがあると思われる。

 アメリカがイスラエル寄りになったことで、アラブ諸国には反米意識が広がることになった。

●アフリカ東海岸はイスラム世界の一部

 今回の爆破事件は、アラブのイスラム主義者がやったという証拠が出ているわけではない。にもかかわらず、アメリカ政府当局者は、イスラム主義者による犯行の可能性が強いと考えている。その理由の一つは、爆破があったケニアとタンザニアがどういう場所であるか、ということと関係があるだろう。

 ケニアとタンザニアの沿岸部には、9世紀ごろからアラビア商人がいくつもの都市国家を作り、アラビア半島やインド方面と盛んに貿易をしており、今もイスラム教徒が多い。

 爆破のあったタンザニアの首都ダルエスサラームは、人口のかなりの部分がイスラム教徒である。ケニアでは人口全体に占めるイスラム教徒の割合は約6%と少ないものの、商人など都会の住人にはイスラム教徒が多い。

 しかもケニアの北隣にはアメリカを敵視するイスラム教国スーダンがある。両国間で密輸をしている人も多い。スーダンからウガンダ、ケニア、タンザニアに向かうルートは、イスラム商人にとっては、知らない道ではない。

 スーダンの北には、冒頭で発言を紹介したムバラク大統領のエジプトがある。アラブの人々にとって、東アフリカの国々は、自分たちの世界の一部として認識されている地域である。

 しかもケニアでは、昨年からモイ大統領に対する国民の不満が高まっている。ケニアでは「ゴールデンバーグ事件」と呼ばれる、大蔵省や中央銀行がからんだ大規模な汚職疑惑が持ち上がっている。IMFなどからの要請で、事件に関する特別の捜査組織が作られて調べが進み、7月には大蔵省の役人が逮捕されそうなところまでいった。

 だがその直後、モイ大統領は捜査当局のトップを解任し、事件はうやむやになりそうだ。しかも、事件に関する重要資料がアメリカ大使館内に保管されており、今回の爆破テロで、それが失われた可能性もあるという。

 IMFはこの事件が明るみに出た昨年以来、ケニアに対する融資を延期しており、ケニアの経済は悪化している。政府に対する国民の不満が高まっている中で、爆破事件の犯人が当局につかまらず、逃げおおせる可能性も強くなっている。

●一番得をしたのはイスラエル?

 事件に対してアメリカのオルブライト国務長官は「地の果てまでも犯人を追いかけて捜し出す」と宣言した。ムバラク大統領の「テロの舞台は世界中だ」という言葉と同様、事件の関係者が広域にわたっていることを示唆している。

 とはいえ、アメリカは今回もまた、テロの容疑者を特定できない可能性がある。「今回もまた」というのは、1996年6月にサウジアラビアの米軍宿舎で起きた大規模な爆破テロに関しても、アメリカ政府は容疑者を特定できないまま、事実上、捜査を終えねばならなかったからだ。

 この時爆破されたのは、サウジアラビアからイラク南部を爆撃する空軍パイロットなどが住んでいる宿舎だった。犯行の背後には、米軍のペルシャ湾岸駐留を非難するイランの存在があるのではないか、といわれ、サウジとアメリカの共同捜査が始まった。

 だが、ほどなくサウジ側がアメリカ側に協力しなくなり、今年3月、サウジ政府は一方的に捜査の終結を宣言した。この背景には、サウジが最近イランと接近していることがある、といわれている。

 捜査が進まないことに業を煮やしたアメリカ人の被害者の遺族は今年、FBIや米軍を非難する声明を出している。オルブライト国務長官は、たとえ今回の爆破テロの捜査がサウジの時と同様に難しいと感じていたとしても、被害者の遺族を意識して「地の果てまでも犯人を追う」と、語気荒く言わねばならないのだった。

 アメリカのメディアは、今回のテロもイランが背後にいるのではないか、と書いている。親イスラエル(反イスラム)色の強いウォールストリートジャーナル(8月11日付け)などは、イランのハタミ大統領の穏健な政策に反発するイスラム最高指導者ハメネイ師の一派が、ハタミ潰しのためにテロを起こし、接近しつつあるアメリカとハタミ政権との関係を悪化させようとしているのではないか、との分析まで、早々と載せている。

 だが、筆者の目から見ると、今回の爆破テロで得をしたのは、イランよりむしろイスラエルだ。爆破テロを通じて、イスラム教徒=テロリストというイメージを強めることができ、「パレスチナ占領地をイスラム教徒に返したら、イスラエルが脅威にさらされる」というロジックを、より強く主張できるからである。

 しかもイスラエルの救援部隊は、今回の爆破現場で被害者の救出などに活躍し、国際的な評価を高めている。ネタニヤフ首相は、窮地に陥るたびに人々の関心を別のところにそらし、非難を免れる、という戦略に長けている人だ。イスラエルの撤退拒否が国際的な非難を集めだした矢先に起きた今回の爆破事件も、ネタニヤフ氏の強運の一つに数えられることになりそうだ。

 

 


関連サイト

米大使館爆破事件の記事特集ページ

 アメリカのYahoo!にある。英語。

ニューヨークタイムスの特集コーナー(英語)

ワシントンポストの特集コーナー(英語)





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