イスラエルが抱える核のジレンマ

98年8月12日  田中 宇


 今年5月、インドが24年ぶりに核実験を行い、核兵器の保有を宣言したのは、国際社会において大国として認められたい、というインド政府の政治的意志からの行動だった。その後、クリントン大統領が中国を訪問し、中国を大国として持ち上げるのをみて、「インドもアメリカからこんな風に扱われたかったに違いない」と筆者は思った。

 アメリカは当初、インドとパキスタンに対して、経済制裁する姿勢をみせたが、結局制裁は短期間で終わり、その後はむしろインドをなだめるような方向の戦略に変わっている。核兵器保有を宣言したことによって、大国として扱われるようになる、というインドの目標はある程度は達成されたのである。

 世界には、そんなインドのやり方とは正反対の戦略をとっている国がある。イスラエルである。イスラエルは1960年代からすでに核兵器を保有している疑いを持たれていたが、これまで一度も保有を認めたことがない。

 イスラエルの核兵器開発については、アメリカやフランスのジャーナリストによって、いくつかの調査がされており、核兵器を持っていることは、ほぼ間違いないことと思われる。だがイスラエル政府は、あえて核兵器保有を否定したほうがプラスだと考えてきた。

 イスラエルの核開発について調べた本「サムソン・オプション」(セイモア・M・ハーシュ著、和訳は文芸春秋発行)や、Arabicnews.comの記事(7月3日付け7月11日付け)などによると、イスラエルが核兵器の開発を始めたのは1950年代。エジプトのナセル大統領が、アラブを統一してイスラエルを叩き潰そう、という計画を持ち、ソ連がそれを支援していることに対抗する方策として始まった。

 原子炉の建設資金はユダヤ系アメリカ人たちが巨額の寄付を行い、フランスが全面的に技術支援して、ネゲブ砂漠の中に「ディモナ原子力発電所」が作られ、1968年から核弾頭の製造が始まった。

 アメリカの大統領は、1961年にケネディ大統領がイスラエルの核開発を牽制したほかは、歴代大統領はすべて、アメリカ国内のユダヤ系の人々との関係が悪化することを恐れ、見て見ぬふりをしていた。

 アメリカの新聞、「クリスチャンサイエンスモニター」の記事(7月21日付け)によると、イスラエルは現在、少なくとも200発の核弾頭を持っているという。

●静かにアメリカをコントロールすればいい

 イスラエルが核兵器保有を宣言しないのは、宣言すれば敵対するアラブ諸国が核武装する可能性が高いからだ。インドが核実験をして核兵器保有を宣言したら、パキスタンも同じことをせざるえくなったのと同じことである。

 イスラエルは、アメリカの金融資本を握っているユダヤ系アメリカ人や、そのユダヤ系の人々のロビー活動によって親イスラエルの傾向が強いアメリカ議会を通じて、アメリカの政治を動かす力を持っている。そのためアメリカは、イスラエルの核兵器開発を阻止することができなかったし、イスラエルがアメリカから軍事機密や核兵器の部品を持ち出しても、不問に付してきた。

 たとえば、前出の「クリスチャンサイエンスモニター」の記事によると、1980年代には、カリフォルニアから「クリトン」と呼ばれる、核兵器に不可欠の特殊なスイッチが810個イスラエルに持ち出され、外交問題となったが、イスラエルは持ち出したスイッチのうち469個しか返還していない。

 また「サムソン・オプション」によれば、イスラエルの情報機関モサドは、1970年代末から、アメリカの偵察衛星が撮影した中東やソ連の詳細写真を、かなり自由に手に入れられる状況となった。核ミサイルの照準を定めるのに、この偵察写真が役に立った、とされている。

 最近になっても、こうした状況はあまり変わっていない。7月24日のウォールストリートジャーナルの記事によると、アメリカ政府は最近、人工衛星を使ってイスラエル領内の高解像度写真を撮ることを禁止し、その種の写真撮影をしている米企業に通告した。

 従来、半径2メートルまでの物体を認識できる衛星写真が世界中で撮影され、都市開発や農地調査など一般に利用されているが、技術開発により、近く解像度が半径1メートルまでアップすることになった。だが、イスラエル領内に関しては、既存の2メートル解像度の撮影しか許可されないという。

 この手の衛星写真は誰にでも入手できる。アラブの国々やヨーロッパの平和団体などがイスラエルの軍事基地について詳細写真を入手し、「核兵器を持っているじゃないか」と言い出したら困るので、アメリカはイスラエルの要求に応じて禁止してしまったのではないか、と筆者は勘ぐっている。

 インドは、核兵器保有宣言によって、アメリカに対して「オレたちも大国の仲間入りをさせろ」と迫ったわけだが、イスラエルはそんな乱暴なことをする必要はない。静かにアメリカ政府をコントロールすれば良いのであるから、核兵器保有宣言など、する必要はないのだった。

 とはいえ、これまで中東問題についてイスラエル寄りの報道を続けてきたウォールストリートジャーナルが、イスラエルを間接的に批判する上記の記事を載せたのは意外だった。ユダヤ系アメリカ人とイスラエルのネタニヤフ政権との間に亀裂が入っていると言われ出してることと、関係があるのかもしれない。

 インドとイスラエルはこのように、やり方や立場が違うものの、共通点を持っている。両国とも、イスラム教の国と敵対しているということだ。そのためか、イスラエルは以前から、インドの核兵器開発に協力してきた可能性が強い。

 最近では、パキスタンのカーン外相が、そう指摘している。外相は、スペインの雑誌とのインタビューの中で、イスラエルがアメリカから持ち出した特殊なスイッチ「クリトン」を、インドにも分け与えたことを示唆している。

●核兵器の安売りが変える中東情勢

 とはいえ、インドとパキスタンの核武装は、イスラエルに、核兵器に関する沈黙作戦を見直したほうがいいのではないか、と考えさせることになった。印パの核実験を機に、イランやイラクも核兵器を持つ可能性が高まったからだ。

 冷戦時代と比べ、核兵器はかなり簡単に開発できるようになっている。ロシアも中国も、軍事技術をカネに換えたくてしかたがない。イランは先日、イスラエルまで届くミサイルを所有するようになった、と高らかに宣言した。あとは先っぽにつける核弾頭だけというわけだ。

 イラクは1970年に核兵器開発を進めていたが、1981年に核兵器製造の中心地だったオシラク原子力発電所を、イスラエルの戦闘機の奇襲爆撃によって破壊された。だが、核兵器製造の技術者は残っており、アメリカ主導の経済制裁が解かれれば、その後1-2年のうちに、再び核兵器を作れるようになると予測されている。

 こうした中、イスラエルには、核兵器の保有を宣言してしまった方が良い、と考えている人もいるようだ。イスラエルの核開発を長く推進してきた中心人物であるペレス元首相は7月中旬、「われわれはヒロシマを生み出すためではなく、オスロを生み出すために核兵器という選択肢を作ったのだ」と発言した。

 「オスロ」というのは、1993年にイスラエルとパレスチナの間に結ばれた、オスロ和平合意のことだ。つまり、人殺しのためではなく、アラブ人からの攻撃を抑止して和平合意にこぎつける目的で、核兵器を開発した、という意味である。

 とはいえ、イスラエルが核兵器の保有を宣言したら、アメリカから強く非難されるだろう。アメリカには、核実験をした国には経済援助をしてはならない、という法律がある。もしイスラエルが核実験から核兵器保有宣言、というコースを歩めば、アメリカからの年間30億ドル(4200億円)の経済援助を止められてしまうことになる。

 ヨーロッパ諸国も最近は、中東和平交渉が進まないのはネタニヤフ政権の責任だ、と考えるようになっており、核兵器保有宣言をしたりしたら、欧米すべてを敵に回すことになりかねない。

 もう一つ、イスラエルが核兵器の保有を隠さねばならない理由としては、中東やヨーロッパ各国などに住んでいるユダヤ人たちからの反発がある。イスラエルに住んでいるユダヤ人にとって、核兵器は自分たちを守るためのものだが、イスラエル以外の国に住んでいるユダヤ人にとっては、自分たちも標的とされているかもしれない、という不安につながる。ユダヤ人はイランやエジプトなどイスラム諸国やロシアなど、イスラエルの味方とはいえない国々にも、商人などとして多く住んでいるのである。

 これらのマイナス要因はあるものの、たとえばイランが核実験に成功し、核兵器保有を宣言した場合、イスラエルも同じことをしなければ国内がおさまらない可能性も強い。イスラエルは難しい選択を迫られている。





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