政治の潮流変わりゆくカリブ海の国々98年8月7日 田中 宇 | |
最近、サルサやメレンゲといった、カリブ海発祥のダンス音楽が世界じゅうで流行している。東京や大阪にも、いくつも「サルサバー」と呼ばれるバーのついたダンスホールがあって、週末の夜には満員電車並みの混雑だ。 終電で来て、始発電車で帰るという人も多く、夜の11時ごろから混雑が激しくなる。中南米やラテン系のヨーロッパ諸国の人々は、遊びに関しては夜更かしだから、そのパターンを踏襲している。東京のサルサバーに終電で来て始発で帰る若者の中には、群馬県の工場で働いている日系のブラジル人やペルー人、コロンビア人などもいて、本場らしい雰囲気だ。 サルサバーで踊っている人の男女比率は、女性の方がかなり多いようだ。しかも男性の中には欧米やラテンアメリカの人が目立つ。サルサやメレンゲは男性が女性をリードしなくてはいけないので、多くの日本人男性にとっては苦手なことかもしれない。サルサバーにくる常連の女性たちの間では「サルサをやってると恋人できないわよー」と言われているそうだ。 ●本場マイアミで歓迎されないキューバ人演奏家 サルサなどラテン音楽は、アメリカでも大流行だ。特に最近では、キューバの歌手やバンドのサルサコンサートが大人気で、ロスバンバン(Los Van Van)、NG La Banda(エネヘ・ラ・バンダ)、イラケレ(Irakere)といったキューバのバンドの全米ツアーは、どこも満員だ。 とはいえ、そんなキューバのバンドが歓迎されない場所が、アメリカにただ一つある。フロリダ州のマイアミである。マイアミ周辺には、1959年のキューバ革命以来、社会主義のカストロ政権を嫌ってアメリカに亡命してきたキューバ人たちが多く住んでいる。彼らもサルサが大好きなのだが、カストロ政権に賛同しながらキューバで生きているキューバ人が演奏する音楽など聴きたくもない、と考えているのである。 これまでは、ほとんどのキューバ人ミュージシャンは、マイアミでコンサートを開いたことがなかった。ラジオでキューバ人音楽家の曲がかかることもない。昨年マイアミにある大手のラジオ局がロスバンバンの曲を流したところ、亡命キューバ人のリスナーたちから抗議が殺到し、責任者の首が飛んでしまった。 とはいえ、ずいぶん前に冷戦が終わった今となっては、こうした状況は時代遅れだ。アメリカ政府は今もキューバに対する経済封鎖を続けており、アメリカ人は政府によってキューバへの渡航を禁止されているが、禁を破ってキューバを訪れるアメリカ人は増えている。今年3月には50人のアメリカ人ビジネスマンがキューバ政府の招待でキューバを訪れたりしている。 そうした流れの中で、マイアミの亡命キューバ人も、キューバ人音楽家に対する拒絶反応を、少しずつ和らげている。今年4月には、キューバの名ボーカリストであるイサック・デルガド(Issac Delgado)がマイアミのライブハウスで公演し、話題になった。(ロイターの記事参照) キューバ人のミュージシャンがどんどんマイアミでコンサートを開くようになる日も近そうだが、そうなると亡命キューバ人たちの故郷への思いが一気に噴き出し、カストロ政権への憎しみが薄れていくかもしれない。キューバのコンサートは、ミュージシャンと観客全員がリズムを通して一体となってしまう、一種の宗教体験に似たものだと言われているからだ。 ●冷戦終わってアメリカから捨てられるカリブ海諸国 最近、キューバをめぐる敵対関係が薄れている背景には、一つのきっかけがあった。今年1月、ローマ教皇がキューバを訪れ、カストロ政権と正式に仲直りし、周辺諸国に対してキューバと関係改善するよう呼びかけたことである。それ以来、外交関係の流れも変わっている。 7月末から8月にかけて、カストロ議長はグレナダ、ジャマイカなどのカリブ海諸国を歴訪し、各地で歓迎を受けた。 カリブ海諸国の多くは、冷戦時代を通じて親米・反キューバであった。アメリカは、カリブ海諸国を自分の陣営にとどめておくため、巨額の経済援助をしていた。反米政権は容赦なくたたき潰した。1983年にはグレナダでクーデターが発生し、それまでの社会主義政権が倒された時には米軍が侵攻し、グレナダにいたキューバ軍を追い払った。 だがアメリカの態度は、冷戦終結とともに変わった。アメリカからカリブ海諸国への経済援助は、1985年には2億2600万ドル(300億ドル強)だったが、1995年には10分の1近い2600万ドルに減ってしまった。 ソ連の脅威がなくなった以上、アメリカにとってキューバは恐くないし、キューバに対抗するためにカリブ海諸国に良い顔をしておく必要もなくなった。こうした「用済み」扱いに対して、カリブ海諸国は不満を持っている。 しかも、クリントン大統領は、ヨーロッパ諸国がカリブ海諸国から輸入しているバナナが、他の産地に比べ、関税などの面で不当に良い条件で受け入れられている、としてヨーロッパに抗議した。ヨーロッパはカリブ海諸国と仲良くしたいから良い条件でバナナを輸入しているのだが、アメリカは「俺の国の裏庭なんだから手を出すな」と怒ったのである。こうしたアメリカ政府の傲慢さも、カリブ海の人々の反米意識を煽ることになった。 そんなところに登場したのが、キューバからの経済支援だった。キューバはソ連崩壊によってソ連からの経済援助がなくなり、自国の財政も厳しいはずなのだが、カリブ海諸国に対する支援を、1995年の500万ドルから、昨年には2500万ドルにまで増やしている。まさに「長者の万灯より貧者の一灯」とはこのことである。 だからカストロ議長は、カリブ海諸国のどこへ行っても歓迎されるようになった。1983年の米軍侵攻以来、親米政権が続いていたグレナダでも、今やカストロ氏は大歓迎だ。カリブの15カ国でつくる「カリブ共同体」(CARICOM)は、アメリカの意向を無視して、キューバを加盟させようとしている。(英語の関連記事はこちら) カリブ海諸国のリーダーたちは、ローマ教皇がアメリカの対キューバ経済制裁を反人道的だと非難したことを引き合いに出して口実としながら、しだいにキューバと接近している。 ●すさむキューバ人青年の心 このようにキューバは外交的には順調なのだが、キューバ国内の状況をみると、見通しはかなり暗い。ソ連からの支援が途絶えて以来、キューバ政府は新たな外貨獲得策を迫られることになり、1995年には、国民がドル建てで外国人と取引することを認めた。 その結果、キューバの通貨ペソと米ドルとの間のブラックマーケットの為替と、公定レートとの差がどんどん開いていき、観光業など外国人相手の仕事に就いている人は、政府の役人、軍人、医者、教師など、政府からペソ建てで給料を支給されている人々より、何倍もリッチになってしまった。 現在、キューバでは教師の月給が8-20ドルぐらいだが、そのぐらいのカネは、首都ハバナにある外資系ホテルのドアボーイなら一日で稼いでしまう。 若者たちはこうした状況をみて、まじめに働く気を失っている。大学教授より、路地に立つ麻薬密売人や売春婦の方が稼ぎが何倍もいいのに、誰がまじめに勉強したり、こつこつ働いたりするだろう。以前、キューバは犯罪がほとんどなかったのが、最近では強盗や麻薬がらみの事件が増えている。 役人や軍の士気も下がり、汚職が広がっているため、人々の政府に対する信頼感も失われている。たとえば最近、こんなことがあった。キューバの小学校の給食は、ご飯と豆料理だけの質素なものであるため、少し経済的余裕のある親は、子供たちにバナナやゆで卵を持たせ、子供の栄養バランスを保とうとしている。 こうした風潮に対して文部大臣が「一部の子供たちだけが給食のときに特別なものを食べることができるというのは不平等で反革命だ。子供が学校に持ってきた食べ物は没収されるべきだ」と述べた。母親たちは「大臣たちの子供なんて、給食も食べずにエアコン付きのおかかえの車で家まで帰って昼ご飯を食べている。そっちの方がはるかに反革命じゃないか」と怒っているという。イギリスの雑誌「エコノミスト」に出ていた話である。 とはいえ、言論の自由はしだいに認められるようになっており、私的な会話の中で政府を批判しても、かつてのように罰せられることはなくなっている。またローマ教皇が来て以来、カトリック教会も布教の自由を認められるようになった。 キューバ政府は、経済の開放によって人々の不満が高まっても、政治面での改革はゆっくりと進めていった方がいい、と考えている。アジアでいうなら中国の政策と似たものがある。
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