激動に巻き込まれる南洋の楽園・ブルネイの宮廷内紛98年8月1日 田中 宇 | |
東南アジアの小国、ブルネイは、日本が消費する天然ガスの約13%を輸出している、日本にとって大切な国だ。またブルネイの王室は、日本の皇室に次いで世界で二番目に長い歴史を持っている。とはいえ、ブルネイについては、石油によって世界有数の金持ち国になっているということ以外、あまり知られていない。 ブルネイは、ボルネオ島の西海岸にあって、千葉県ほどの広さ。周りを海とマレーシアに囲まれている。今は小さな国だが、13-14世紀には、マラッカ海峡からフィリピンまでの海上貿易を支配する大国だった。 その後、スペイン人やイギリス人がこのあたりを支配するようになって、しだいに領土をもぎ取られ、首都であるブルネイ市とその周りだけになってしまった。(ブルネイ市は今では、前スルタンの名前をとってバンダルスリブガワンと呼ばれている) そんなじり貧の王国が一発逆転したのは、イギリスの保護領だった1926年に、狭い領土の中で石油が出たことだった。油田はブルネイとマレーシア(当時はイギリス植民地)の国境近くで2ヵ所発見され、一つはブルネイ側、もう一つはマレーシア側だった。イギリスがブルネイの領土をもう少し削っていたら、油田は二つともマレーシア側に属することになり、現在の繁栄もなかっただろう。 第二次大戦後、二度にわたる石油ショックによって、ブルネイは一気に金持ち国となった。隣のマレーシアでは、一つの油田の収入を2000万人の国民で分けねばならないが、ブルネイの人口は30万人しかいない。一人当たりの収入はマレーシアの60倍以上となる。ブルネイの一人当たり国民総生産は、1万4000ドル(約200万円)と、日本の40%ほどだが、東南アジアではシンガポールに次いで二番目に高い。 ブルネイは中東のクウェート同様、教育や医療が無料、公営住宅の家賃も破格の安さで、国民は希望すればほとんど誰でも公務員の仕事をもらえる。小学校の英語の先生の多くはイギリス人などのネイティブスピーカーだから、ブルネイの小学生の英語は驚くほど流暢だ。 ●豊かだが退屈な国 こんな恵まれた環境にあるとはいえ、ブルネイは退屈な国である。イスラム教を国教としており、スルタンの方針で厳格なイスラム社会を維持しているため、派手な娯楽や酒類の販売が禁止されている。 人口の16%を占める中国系住民や、その他外国人などイスラム教徒以外の人々が酒を飲もうと思ったら、入国する知人に持ってきてもらうか、ヤミで買うしかない。その点ではマレーシアやインドネシアよりはるかに厳しい。 ブルネイ政府は人々に対して、酒やポルノ、賭博などイスラム教で禁止された娯楽をやらせない代わりに、もっと健全な娯楽を楽しめるよう、ディズニーランドの向こうを張るような「ジュルドンパーク」という巨大な遊園地を郊外に作り、無料で開放している。 ブルネイが退屈なもう一つの理由は、政治的な言論の自由がないことだ。この国の議会は、1984年にイギリスから完全独立した直後にスルタンが解散して以来、一度も開かれていない。1962年に議会の多数派政党が王政打倒を叫んで起こした反乱を鎮圧して以来、スルタンは政党不信となったらしく、スルタンは「国民が前向きな討論をできるようになったら、議会を再び開く」と表明しているが、その日はまだ来ていない。 潤沢な石油収入で、人々の生活が豊かである以上、たいした政治不満もない、という時代がこれまで続いてきた。ブルネイは、アジア経済危機の影響もあまり受けていない。石油や天然ガスの収入はドル建てだから、為替の変動によって経済難に陥ることがなかったからだ。 ●挫折した「殿下のプロジェクト」 とはいえ、危機は別のところから忍び寄ってきている。過去1年間に価格が半分近くに下がった石油相場によって、国家収入が大幅に減ったことである。 石油相場の下落によってブルネイの国家財政がどの程度の影響を受けているかは不明だ。ブルネイでは、財政に関する数字は国家機密になっているからだ。だが、王室直轄の大規模な建設プロジェクトのいくつかは途中で止まっている。 インドネシア、タイ、フィリピンなどから来ていた外国人労働者の中には、仕事がなくなって帰国した人が多くいる。英語の週刊誌「アジアウィーク」の記事によると、ブルネイに約4万人いたタイ人労働者の3分の1以上がすでに帰国したという。 さらに、王室の資金が豊かだったバブリーな時代の終わりを象徴するかのように、王室内部で王族どうしの対立、内紛が起きている。 7月初め、ブルネイ屈指の大企業「アメデオ社」(Amedeo)が倒産した。アメデオは普通の会社ではない。スルタンの弟、ジェフリ・ボルキア殿下が経営していた王室直属の特別な会社だった。同社は建設業を中心に、観光、交通、通信など、幅広い事業を手がけていた。巨大な無料遊園地「ジュルドンパーク」の建設を手がけたのもアメデオだった。 アメデオは2万人の雇用を抱えていたが、倒産によってこれらの人々は職を失ってしまった。人口30万人のブルネイでは大変なことである。建設現場で働くことが多いタイ人の出稼ぎ者たちも、割を食うことになった。 アメデオが倒産したのは、ずさんな経営が続いていたからだ、とされているが、その全貌は分かっていない。だがたとえばアメデオがジュルドンパークの一角に建設した「ジュルドンパークホテル」は、1泊500ドル(7万円)の料金で、空室率が10%以下という状態が50年間続かないと利益が出ない、と言われるほど、金をかけたつくりとなっている。 また、首都バンダルスリブガワンの中心街には、ジェフリ殿下直轄の大規模再開発が進められていた。かつてブルネイ人の大半が住んでいた水上集落の一部をつぶして埋め立て、モダンなビル群を建てる事業だったが、それは人口30万人のブルネイには不必要に巨大なものだった。 それらのプロジェクトは、景気が良いときは王室を挙げて取り組んでいる事業とされていたが、今ではその失敗はジェフリ殿下の責任によるところが大きい、とされつつある。 ●ミスアメリカからのきつい一撃 筆者は1995年に取材でブルネイを訪問したが、そのころジェフリ氏は大蔵大臣として権力を振るっていた。ブルネイでは報道の自由がないので、人々は噂話を貴重な情報源として生きているが、その噂の一つが、ジェフリ殿下の金遣いの荒さと色欲についてだった。 とはいえ、浪費癖や放蕩に関しては、お兄様のハサナル・ボルキア氏も、スルタンになる前はけっこうお盛んだったと言われており、権力者一族の常として仕方がないものとされていた。 だが、昨年3月にジェフリ殿下が、それまで11年間つとめていた大蔵大臣を突然辞任したあたりから、様子が違ってきた。ジェフリ氏はこの時、大蔵大臣と同時にすべての政府ポストを辞任しており、事実上、兄のスルタンによって政府を追われる形となった。大蔵大臣のポストはそれ以来、スルタン本人が兼務している。 ジェフリ殿下の辞任理由は明らかにされなかったが、それから半年ほどたつと政府の会計監査がアメデオに入り、乱脈経営が指摘されるに至った。だがジェフリ殿下は経営の失敗を認めなかった。 さらに昨年8月にはアメリカで、ジェフリ殿下とスルタンが被告にされたセクハラ裁判の存在が明らかになった。訴えたのは元ミスアメリカの女性で、彼女はジェフリ氏らから「モデルの仕事がある」と言って誘われてブルネイに行ったところ、王宮に閉じ込められて性的虐待を受けそうになった、と主張し、9000万ドル(約130億円)の損害賠償を起こした。 彼女は敗訴したものの、ブルネイではこの裁判は王室の気品を傷つけるものとして問題になった。そして、その責任はジェフリ殿下にあるとして、王室内でも厳格なイスラム政治を求めるムハンマド殿下が、ジェフリ殿下を攻撃するようになった。この2人とスルタンは兄弟どうしである。ここにきて事態は、王室内の兄弟争いの様相を呈するようになった。 その後、石油価格が下落し、王室財政が圧迫されるようになると、ジェフリ氏のアメデオ社の資金繰りが悪化していき、王室直轄の建設工事を進めることができなくなって倒産した。その後ジェフリ殿下はブルネイを脱出し、ヨーロッパのどこかの国に潜伏しているといわれている。 ●スハルト失脚も他人事には見えない・・・ アメデオ社の負債は8億ドル(約1100億円)だが、ブルネイ王室が最近抱えた資金的圧迫は、これだけではない。 ブルネイには石油収入による潤沢な資金を運用する政府機関として「ブルネイ投資庁」というのがある。ここも大蔵大臣だったジェフリ殿下の影響力が強い組織だったが、最近の調査で、投資庁にも30億-40億ドルの使途不明金があることが分かった。それに加え、昨年以来の周辺諸国の通貨危機で、王室財産のうち他の東南アジアの通貨建てのものが目減りしたことによって、約50億ドルの損失が出ているという。 さらにブルネイは、通貨危機に陥ったインドネシアやタイに対する資金援助を行っており、これによる支出増が20億ドルほど。これらを合計すると、ブルネイ王室は過去1年ほどの間に110億ドル(約1兆5000億円)の資金を失ったことになる。(概算の数字はイギリスのフィナンシャルタイムスによる) 王室の財産はこれまで380億ドルといわれてきたが、その4分の1が失われたことになる。 しかもブルネイの石油はあと25年、天然ガスはあと50-60年で掘り尽くしてしまうと予測されている。そのためスルタンは以前から、石油以外の産業振興策を計画してきたが、ほとんどうまくいっていない。その一方で王室による巨大プロジェクトは金食い虫だった。 世界の流れは、かつての工業中心から、金融や情報産業が中心となる方向となっている。工業を支える石油や鉱物資源、金などの商品相場の価格は、低迷する傾向にある。こうした傾向の中にあって、スルタンは危機感を抱いており、そのことがジェフリ殿下をバブルの象徴として追放してしまう、というシンボリックな行動につながったのではないか、と筆者はみている。 7月15日、ブルネイではスルタンの52歳の誕生日を祝う行事が行われたが、例年に比べて質素なものだった。2年前の50歳のお誕生日には、アメリカからマイケルジャクソンを招いて無料のコンサートを開くなど、金に糸目をつけなかったのと比べ、対照的だ。 とはいえスルタンは、誕生日の挨拶の中で、公務員の手当や年金を最大で14%アップすると発表し、国民を喜ばせた。こうした引き上げは10年ぶりのことだ。またブルネイ政府は6月、止まっているジェフリ殿下系の公共事業に代わり、新たに2億ドルの公共投資を行うと発表している。 ブルネイから近いインドネシアでは、スハルト大統領が子供たち一族の利権あさりを批判され、政権の座から引きずり降ろされた。マレーシアではマハティール首相に対する風当たりが少しずつ強くなっている。スルタンにとって、これらのことは他人事には見えないに違いない。王室の財政は苦しくなっても、臣民たちを喜ばせつづけねばならないのは、そのためだ。 退屈だが豊かで平和な「南洋の楽園」も、世界の激動からは無縁ではいられないのである。
外のサイトの関連ページブルネイの公式サイトと思われる。英語。 日本外務省のサイトにある。歴史や現状を紹介している。 T's NETというサイトにある。昔ながらの水上集落に住む人々の様子などが描かれている。 |