産油国の金庫は空っぽ - 政治不安呼ぶ原油安1998年7月28日 田中 宇 | |
今年3月、ガソリンスタンドのセルフ給油方式の解禁で、ガソリンの安売り競争に拍車がかかり、じりじりと小売価格が下がっている。1リットル80円を割り込んだあたりで、すでに多くの業者が原価割れしているともいわれ、スタンドどうしが共倒れするような無用な戦いはやめよう、という気風も広がっている。 ガソリンが安くなったのは、石油を輸入できる業者を制限していた特石法の廃止など規制緩和によるところが大きいが、原油価格の低迷も少し関係している。 原油価格は昨年10月ごろは1バレル22ドル前後だったが、現在では13ドル程度だ。9ヶ月で40%も下がってしまった。1バレルは約160リットルだから、1リットルあたりだと14セントから8セントへの下落である。円建てで考えると、昨年10月には1ドル120円前後、現在は140円前後だから、17円から11円に下がったことになる。 とはいえ、国内で売られるガソリンには、この原油価格の上に1リットルあたり約54円のガソリン税が課され、さらに精製費、流通コストなどもかかるため、1リットルあたり80円以下には下げられない、という状況になっている。 つまり、80円のガソリン小売価格のうち、70%以上がガソリン税や消費税などの税金であるのに対し、原油価格は14%である。これでは、原油価格が半分近くに下がっても、あまり影響はない。 国内のことだけを見ているなら、「何にしても値下がりは消費者のプラスになるので規制緩和はいいことだ。それにしても、こんなに高いガソリン税、何とかなりませんかね」とかいう結論に落ち着くのだろう。 ●「石油成り金国家」はすでに昔の話 だが、世界に目を広げると、話はここで終わらない。石油消費国にとっては、わずかなプラス要因にしかならない原油価格の大幅下落が、逆に産油国にとっては、国家財政を致命的な危機に陥れる深刻な打撃となっている。 たとえば、世界最大の石油輸出国であるサウジアラビア。ここでは、国家収入の4分の3が石油の売上代金である。1バレルあたりの原油価格が1ドル下がると、サウジの国家収入は25億ドル(約3500億円)減ると概算されている。 昨年10月の22ドルから現在の13ドルへと、原油価格が9ドル下がったことにより、サウジの国家収入は3兆円あまり減ったことになる。サウジの国家予算総額は約400億ドル(5兆6000億円)だから、その半分以上にあたる額が失われた。 サウジアラビアの周辺にあるクウェート、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦(UAE)、オマーンといった国々も、石油依存に関しては似たような状況で、国家財政の60-80%を石油売上代金が占めている。特にクウェートは石油依存度が80%以上と高い。(ペルシャ湾岸諸国の地図はこちらから) これらのペルシャ湾岸の産油国はこれまで、あふれる石油収入が、国民の豊かな生活につながっていた。教育や医療はほとんど無料だし、電気料金なども非常に安い。家がほしいと言えば、金利ゼロの長期住宅ローンを組んでくれていた。 仕事がない国民は、簡単に公務員になれた。これらの国々は石油以外の産業がほとんどないため、労働人口を吸収できる部門といえば、政府だけということになる。クウェートでは、国民の労働人口の93%が公務員だ。 しかも、公務員といっても、政府・王室が国民の人気を維持するため、公務員にすることによって収入を与えるという政策が、その背後にあるから、政府は公務員の効率アップをあまり求めてこなかった。 クウェートでは、公務員の給料や手当ても、人事評価によってではなく、家族が何人いるかによって決まる部分が大きい。仕事をしてもらうために公務員として雇うというより、王様から国民に与えられる社会保障と言った方が近い。当然、多くの公務員はあまり働く気が起きない。 クウェートやサウジの政府は、石油以外の民間経済を育てたいと考え、国民に民間企業への就職を奨励している。だが民間企業は当然、公務員より仕事がきついから、ビジネスマンとして成功したいという一部の人々以外の大多数は、公務員のままでいたいと考えている。石油価格の低迷による国家財政の危機は、そんなこれまでの生活を、根本から覆しかねない。 ●カネの切れ目が政府支持の切れ目に? 1995-96年には石油価格が1バレル20ドル台で、今よりは高かった。そのころ、サウジアラビアなどは、石油依存の経済体質を今のうちに改革しておくよう、IMFなどから要請されていた。だが、すでに述べたように、人々を公務員から民間企業に転職させるインセンティブが働かず、体質改善はできなかった。 しかも、1970年代のオイルショック以来30年間近く豊かな社会が続いた結果、出生率は3-4%と高くなっている。教育費や住宅の家賃がとても安いため、何人産もうと育てるのにそれほどの苦労がかからなかった。だが今後も財政難が続けば、教育や衣食住への補助金は減らさざるを得なくなる。しかも、豊かだった時代に生まれた子供たちがどんどん成人しており、失業率も上がりそうになっている。 さらに問題なのは、サウジやクウェートの財政難が、政治不安と結びつく傾向が強いということだ。サウジやクウェートの王室はもともと、今世紀初めにオスマントルコが崩壊した際、イギリスの支援によって国を統治する座についた歴史を持っている。その後はアメリカとの同盟関係を強めたが、アメリカはアラブの仇敵であるイスラエルを支援している国であり、中東和平の座礁により、親米派である王室への不信感が強くなった。 石油収入が豊富で、人々がどんどん豊かになっている間は、王室に対する不満も少なかったが、今後はカネの切れ目が人気の切れ目になる可能性もある。 その兆候はすでに出ている。サウジ政府は1990年の湾岸戦争でアメリカから武器を膨大に調達し、その後の石油価格下落もあり、国家財政の窮乏が始まった。1994年には小麦に対する補助金をカットせざる得なくなったが、小麦の値上げに苦しむ人々の不満を吸い上げる形で、イスラム原理主義の立場にたつ何人かのイスラム聖職者たちが反政府的な説教を展開、逮捕者が出る結果となった。またサウジ王室を批判する「al-Saud House」という英語のウェブサイトも作られている。 反政府・反王室の言論が高まることを恐れるサウジ政府は、補助金や社会保障をカットできない状況に追い込まれている。だが国の金庫に資金がなくなれば、補助金カットや公務員の削減に着手せざるを得ない。ペルシャ湾岸諸国は今後、政治的混乱に陥る可能性がある。 ●ベネズエラやマレーシアでも・・・ 石油価格の下落に悩むのは、中東の産油国だけではない。メキシコ、ベネズエラ、マレーシアなど、中南米やアジア、アフリカの産油国も、多くは似たような苦境に追い込まれている。 たとえば南米のベネズエラは、こまれで国家予算の半分ぐらいを石油関係の収入で賄ってきたが、今年はこれが40%を切る状況となりそうだ。ベネズエラのカルデラ大統領は1993年に、国民の間で不人気だった一般消費税(VAT)を廃止することを公約に掲げて当選し、消費税廃止を実行した。 今やカルデラ政権は消費税を復活し、しかも16.5%も課税する政策を打ち出さざるを得なくなった。とはいえ、ベネズエラの国会は反大統領派が過半数を占めており、消費税復活案は議会を通過しないと予測されている。 またマレーシアでは、国営石油会社ペトロナスがこのほど発表した昨年の決算が、ドルベースで減益となった。マレーシアは経済危機によって外国から入っていた資金が流出してしまい、石油からの収入は貴重なものになっている。そんな中でのペトロナスの減益は痛い。 ●崩れつつある産油国の談合 このように世界の産油国を苦しめている石油価格低迷の背景は何なのだろうか。原因は、昨年来のアジア経済危機によるアジアでの石油消費の不振、それから昨年の冬が暖冬だったため、欧米での暖房油消費が少なかったことなども原因とされている。だが、理由はそれだけではない。 これまで石油価格の高値維持を実現してきたOPEC(石油輸出国機構)の生産枠カルテル(談合)が、産油国自身のカルテル破りなどによって機能しなくなっていることが、大きな原因として存在する。(OPECは加盟国の生産量の上限を定めることで、価格維持を図っている) もともと今回の原油相場の値下がりは昨年11月、サウジアラビアが音頭を取ってOPEC全体の石油生産枠を10%増やしたことが原因だった。昨年11月といえば、アジアの経済危機が深刻化していたときで、石油需要の落ち込みが予測できたはずだが、サウジ政府は国内の社会不安を回避するために、石油収入を増やさざるを得なかった。だが増産は収入増につながらなかった。増産は価格低下を引き起こしたからである。 アジア経済危機のほか、国連決議による対イラク経済封鎖が解除される可能性が高まっていたことや、カスピ海沿岸の中央アジアでの大規模な油田開発が注目されたことも、原油安の要因となった。さらに、昨年京都で開かれた地球温暖化防止会議などを通じて、環境保護の立場から石油消費への課税強化など、需要抑制策が打たれそうな状況になったことも安値要因となった。これらのマイナス要因を押し切って増産したことが、価格破壊を招いてしまった。 一般には、モノの値段が下がれば消費量が増えるが、石油の場合は事情が違う。日本だけでなく欧米でも、石油製品に対する課税率が高いため、原油価格は消費者が払う小売り価格の、ごく一部でしかない。原油安がガソリン小売価格の下落につながらず、消費増がおきないのである。 このような仕組みは、オイルショック以来の石油消費国の知恵の結果ともいえる。オイルショックの原因となった石油価格の大幅値上げは、アラブの産油国が、イスラエルを支援する国を懲らしめるための政治戦略として、第3次中東戦争が始まった1974年に発動された。 それに対して欧米や日本がとった対抗策が、「省エネ対策費」「道路建設費」「環境保護費」などの名目で、石油消費に高い税金をかけ、原油価格が上下しても末端の石油製品の価格には大した影響が出ないようにしてしまうことだった。その分、産油国が石油価格を操作することは難しくなった。 ●「市場介入」する新生OPEC構想 昨年11月の増産が産油国にとってマイナスにしかならないのを知り、サウジアラビアを中心とするOPECは、再び減産の方向に持っていこうとした。それで、今年3月と6月、2波にわたる減産決議がOPECでまとまり、実施されたが、あまり効果はなかった。 その理由の一つは、ベネズエラやナイジェリアなどの国々が、自国に割り当てられた生産枠を超えて輸出しているからだ。ベネズエラはすでに述べたように、国家財政の危機に陥っており、サウジアラビアの見込み違いで増産したり減産したりするのに付き合わされるのはたまらん、と自己正当化をはかっている。 こうした談合破りは10年ほど前から、しだいに目立ってきており、石油相場が上昇すると割当量以上に輸出する国があらわれ、相場を再び下げてしまう、ということが繰り返されてきた。 そもそも、世界経済全体がどんどん自由市場化しているときに、石油についてだけ国際的なカルテル(談合)が認められるというのは時流に逆行しており、しだいに談合がうまくいかなくなるのは当然ともいえる。 それにもかかわらず、OPECの機能を強化しようとする動きが、サウジアラビアから出ている。サウジの石油大臣は最近、市場介入によって原油相場を維持する機能を持った新生OPEC構想の存在を示唆した。各国の中央銀行が、為替相場に市場介入して通貨を安定させるように、OPECが石油市場に介入する、という構想らしい。(うまくいかないと予測する専門家が多いが) 時流に逆行するOPECの機能強化が検討される背景には、欧米諸国の中東政策との関係もある。もし原油価格の低迷が続き、サウジやクウェートの政府補助金がカットされて社会不安が拡大し、王室が倒されてイスラム原理主義の政権ができたらどうなるか。アラブに敵対し、イスラエルを支援する国には石油を輸出しない、ということになりかねない。 そんなことになるぐらいなら、談合でも何でもやってもらい、石油価格を1バレル20ドル前後の水準で維持したほうが良い、と談合を黙認・奨励しているのが欧米政府の本音ではないか、と筆者は推測している。
外のサイトの関連ページ沖縄銀行によるレポート「けいざい風水」の一部。ガソリン価格についても書いている。 「エネルギーと暮らし・市民の会」のウエブサイトにあるコラム。
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