ミステリアスな「初期不良」に悩むアジアの巨大新空港

98年7月12日  田中 宇


 昨年からのアジア金融危機は、一つの国で発生した難局が、他の国に伝染して広がったが、これと同じようなメカニズムを思わせる事件が、今度は巨大な空港を舞台に発生した。

 6月30日にオープンしたマレーシア・クアラルンプールの新空港が、コンピューターシステムの不調などで、一週間以上も満足に機能しなかった。航空貨物の仕分けができず、生鮮食料品が腐ってしまったり、乗客が乗り降りする際に何時間も待たされたりする状態が続いた。

 そして、7月6日にオープンした香港の新空港でも、よく似た事態が発生し、香港では輸入できない生鮮食品が値上がりしたり、店頭から消えてしまう、という状況に陥っている。

●仕分けできず腐ってしまう航空貨物

 クアラルンプールの新空港は、年間に2500万人の乗降客をさばける能力を持っているのが自慢だ。人口約2000万人のマレーシアにとってはとてつもない乗降人数だが、マレーシアを目的地とした客だけでなく乗り換え客まで見込んだ、東南アジアのハブ空港(中継地)となることを目指している。

 新空港はコンピューターネットワークを使った集中管理システムにより、発着する飛行機の航空券の発券や手荷物の受け渡し、貨物の積み下ろしや仕分けが少ない人数でできることが特徴だった。

 だが、オープン初日の6月30日のうちに、コンピューターシステムが不調に陥った。到着客は、手荷物を受け取るまでに最大で4時間も待たされることになった。自動で動くはずの乗降システムが動かず、飛行機から降りられないまま1時間以上待たされる人々もいた。

 貨物部門の混乱もひどかった。貨物の管理システムがダウンしてしまったため、手作業で仕分けをせねばならなくなった。到着したコンテナ入りの荷物は、貨物ヤードに何日も放置せざるを得なくなり、生鮮食品は腐ってしまった。腐った荷物を積んだごみ収集トラックが、空港と近くのごみ捨て場との間を何往復もすることになった。

 問題の多くは、1週間後の7月6日までには何とか解決された。だが貨物管理用のコンピューターシステムが安定するには、少なくとも1ヶ月はかかる見通しとなっている。

●香港では貨物情報を集めたファイルが消失

 一方、香港の新空港の事態も、上記の文章の「クアラルンプール」という地名を「香港」に置き換えればそのまま使えるほど、よく似ている。

 香港の新空港は、年間3500万人が乗降できるアジア最大級の空港で、建設費用も約200億ドル(2兆8000億円)と、関西新空港に次いで世界史上2番目の巨額だ。

 これまでの香港の空港である「啓徳空港」は、航空貨物の取り扱いが世界一スピーディーな空港として、自他ともに認める存在だった。新空港はコンピューターによる集中管理システムによって、その評判をさらに高めようとする野心を持っていた。

 だがオープンしてみると、「香港の空港は効率が良い」という国際的な評判を、数日で壊してしまう結果となった。

 オープン初日から、貨物を取り扱う主要企業、香港航空貨物ターミナル社(HACTL)の貨物管理用コンピューターシステムがダウンした。夜通しかけて直そうとしたがうまくいかず、翌日には逆に、空港内の貨物情報を一ヵ所に集めた大切なファイルが消えてしまうという、致命的エラーに発展した。

 メインのコンピューターにはバックアップがほどこされていたが、なぜかその機能はきちんと動いていなかった。結局、貨物ターミナル社は3日目に非常事態を宣言し、その後1週間は新しい貨物を受けつけない、と発表するに至った。

 この大混乱を収拾するために貨物ターミナル社がとった究極の選択は「古巣に戻る」ということだった。貨物の処理を啓徳空港に戻すことにしたのである。

 新空港で飛行機からおろした輸入貨物を、トラックなどで啓徳空港の貨物ターミナルまで運び、そこで仕分け作業を行うというもので、今後数ヶ月間、コンピューターシステムが満足に動くことが確認されるまで、旧空港を使うことになる。(ただし、輸出貨物の受付は7月18日から新空港に戻す)

 香港新空港の悲劇は貨物だけでなく、旅客ターミナルでも発生した。初日には何回も電源供給が止まってしまい、エアコンやエレベーターが動かなくなった。断水となってトイレの水も流れなくなった。発着便の電光掲示盤もおかしくなり、多くの便の情報が間違って表示されたままとなり、人々を混乱させた。

●最先端の管理技術は大丈夫なのか?

 どうしてこんな事態に陥ったのだろうか。

 香港とマレーシアの新聞のウエブサイトなどで情報集めをした筆者の目にとまったのは、香港もクアラルンプールも、新空港のコンピューターシステムを請け負ったのは、ロンドンにあるゼネラルエレクトリック社(The General Electric Company、GEC)というメーカー(アメリカの大手家電メーカー、ゼネラルエレクトリックとは別の会社)だったという、香港スタンダードの7月9日付けの記事だった。

 その記事によると、GECは香港新空港にシステムを入れる前に5回のテストを行ったが、実際の飛行機発着数はテスト時をはるかに上回るものだったため、過剰な負荷がかかり、パンクしてしまったのだという。

 香港の空港管理局の幹部の一人は、以前からGECに香港新空港のような巨大なシステムを引き受けられるのか不安があった、と証言している。だが、GECが香港とクアラルンプールに納入したシステムが同じものだったかどうかは、確認できていない。

 筆者が次に気になったのは、香港の空港管理局(Hong Kong Airport Authority)の総裁であるヘンリー・タウンゼント(Henry Townsend)氏がアメリカ人で、アメリカの大手エンジニアリング会社ベクテル社の上級副社長から総裁に転身したということだった。

 ベクテルは世界各地で空港の設計、建設、管理などを請け負っており、関西新空港の建設にも関わった。ベクテルはアメリカの国際政治と表裏一体の関係にある政治色の強い企業で、シュルツ元国務長官、ワインバーガー元国防長官など、元ベクテル首脳からアメリカ政府の要職に転身した人も多い。

 冷戦時代は、アメリカの息のかかった第三世界の多くの国々で、ベクテルがアメリカの援助資金を使って空港や港湾、発電所などを建設する、というプロジェクトが展開された。

 そして冷戦後は、アメリカ政府が外交政治力を使って世界各国の航空業界を開放させる一方で、ベクテルが各国の空港建設にたずさわり、ボーイングが飛行機を売り込むという戦略になった。関西新空港建設への参入も、こうしたアメリカの圧力によるものだった。

 こうした流れからすると、世界最大級の空港である香港新空港のトップにベクテルの元副社長が座っていることは、「民営化」の行き着くところとして当然ともいえる。

 だが、逆に言えば、アメリカが誇る空港管理の最新技術が香港新空港に結実しているわけで、そのシステムが初日からクラッシュしてしまうということは、世界的にかなりヤバいことともいえる。今後更新される他の巨大空港のシステムにも、不安があるということだからだ。

 アジアでは、ソウル、バンコク、マニラ、中国・広州などで、新空港の建設が計画されている。

●金融システムと似た空港システムのクラッシュ

 上で述べたアメリカの国際航空戦略は、金融の世界戦略と似たところがある。

 アメリカ政府が世界各国に圧力をかけて金融市場を開放させ、それに続いてアメリカの大手金融機関が、新開発の金融商品や市場テクニックを持って世界に進出した。

 それから数年でアジアで金融がクラッシュし、今やロシアや中南米に飛び火しそうになっている。今春以降、アジア金融危機をどうやって収めれば良いか、アメリカ政府やIMFですら、判断がつきかねる状態になっている。

 一方、金融と同様、1日に何百機もの飛行機が離発着する巨大空港の管理も、今や非常に複雑なシステムとなっている。香港やマレーシアの当局は、原因究明の特別チームを作って調査を始めたが、原因の特定には時間がかかりそうだ。

 金融も空港管理も、コンピューターを使って効率を高めた結果、システムが複雑になりすぎて、クラッシュした際の原因がシステム発案者のアメリカ人にも分からない、という事態になっている。

●先を争ってオープンしたのが間違いのもと

 もう一つ、香港とクアラルンプールの新空港問題の大きな類似点は、両者とも経済難からの復興の起爆剤として位置づけられていたことだ。

 当然、「アジアのハブ空港になる」という似通った目標を持つ二つの空港は、先を争ってオープンを急いだ。その結果、十分な事前準備をしないまま、開港に踏み切ってしまった、といえる。

 香港の新空港は昨年オープンする予定だったが、香港返還に英中間でもめた資金調達問題などが尾を引いたため延期された経緯がある。中国政府からは「返還1周年を迎える7月までにオープンせよ」との圧力がかかっていた。

 準備の不十分さは随所にみられ、たとえば電話回線工事の際の接続間違いから、新空港の公衆電話の多くが、初日につながらないという事態が起きた。新空港に移転したばかりの空港管理局の本社ビルには、まだ電話やファクスの線がつながっていない部屋が多いという。

 啓徳空港から新空港への移転作業も、ひと晩で行われた。7月5日深夜に啓徳空港から最後の飛行機が飛び立った後、7月6日早朝に新空港から一番機が飛ぶまでの約6時間に、空港各社の手荷物ハンドリング用器材などが、あわただしく移設された。

 クアラルンプールでも、貨物ターミナルが1階は完成したものの2階がまだ工事中で、オープン時にすべての作業を1階で処理しなければならなかったことが、混乱の一因となった。

●空港職員を削減して大丈夫か

 ところで、日本を含むアジアやヨーロッパでは今、公務員の削減が課題となっており、アメリカやIMFは、公務員を削減しない政府を悪者扱いする傾向を作り出している。

 だが、空港や鉄道など、今は多くの国で公務員かそれに準じる立場の人々が管理しているシステムに関して、人員削減や本格的な民営化を進めることは、危険を伴う作業といえる。コンピューターがダウンした場合、最後に頼りになるのは、経験豊富な職員たちの存在だからである。

 筆者は以前の記事で、公務員を半減させる決断を下した中国政府を賛美し、公務員を減らせない日本政府を批判するトーンで記事を書いたことがあるが、安全の維持という点では、その考えは間違っている可能性がある。

 香港やクアラルンプールでは、客を待たせたり荷物が腐る程度ですんだが、空港管理の失敗は人命が失われる事態もありうるわけで、空港の「近代化」は、壮大な人体実験をしているようなものともいえる。

 





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