「民主化」「自由経済」とともに世界を汚染する麻薬問題

98年6月11日  田中 宇


 「日本人は全員お金持ちだと思われているから、世界のどこに行っても”ウェルカム、ウェルカム”でしょ。それに比べてコロンビア人は、どこに行ってもコロンビア人と分かったとたん、”麻薬持ってるか”ですよ。コロンビア人は誰でも麻薬密売人だろうと思われるんです・・・」

 最近、東京在住のコロンビア人の青年から、こんな言葉を聞いた。アメリカ風の流暢な英語を話す彼は、コロンビアの外務省に勤めた後、日本の大学院に留学している。そんな立派な経歴にもかかわらず、海外から成田空港に着いたときは必ず、麻薬犬たちのお出迎えを受け、入国管理局の係官に靴の底まで調べられるそうだ。

●ヒッピー文化がコロンビア破壊のきっかけ

 たしかにコロンビアの現代史は、麻薬の存在なしには語れない。コロンビアでの麻薬栽培が盛んになったのは1970年代のことで、アメリカ向けに輸出するマリファナ栽培が急増した。

 アメリカでは1960年代に社会の自由化が進んだことから、「ヒッピー」など若者の間でマリファナを吸うことが流行したが、最初はメキシコが主な栽培地だった。1970年代に入って、麻薬の広がりを嫌ったアメリカ政府が、アメリカ・メキシコ国境の警備を強化し、メキシコ産のマリファナがアメリカに入りにくくなると、生産地はコロンビア北部に移った。

 コロンビア産のマリファナは、カリブ海の港からアメリカ南部へと船で運ばれるようになった。カリブ海沿岸のコロンビア人たちは、急に豊かになった。だが同時に麻薬組織も作られ、彼らの間で抗争が増加する。麻薬で儲けた人々が、マネーロンダリングを目的に、地域の銀行やホテル、交通機関などを買収し、経済的な力を握りはじめた。

 とはいえそれは、コロンビア北部の海岸地域だけのことだった。それが、コロンビア国家全体が麻薬組織に牛耳られるようになったのは、1970年代後半から、アメリカでマリファナに代わってコカインがブームになったことがきっかけだった。

 コカインは「コカ」の葉を原料に精製して粉末にしたもの。コカはかつて、コロンビアやペルーなどに住むインディオの人々が、興奮剤として日常的に噛んでいたものだ。アメリカでは、リラックスするマリファナより、気分が昂揚するコカインが好まれるようになっていった。

●アンデスの「タニマチ」

 コロンビアでコカイン生産を引き受けたのは、アンデス山中の大都市であるメデジンやカリを中心に動いていた犯罪組織だった。彼らはそれまで、麻薬取引とはあまり関係なかったが、近隣諸国のボリビアやペルーからコカの葉を密輸してコロンビア国内で精製し、アメリカのマイアミにある兄弟組織あてに送り出す、という仕事を引き受けたことをきっかけに、麻薬組織へと発展していった。

 マリファナ時代は、葉っぱを栽培している農家が中心だったのが、コカイン時代になると、日本の暴力団組織にも似た、都市のマフィアが牛耳るようになったのである。

 彼らは豊富な売り上げ資金を元手に、コロンビアの大手企業や銀行、新聞社などを次々と買収した。その動きを妨害する政府当局者や政治家などには巨額の賄賂を払って味方につけ、それに応じないと暗殺してしまった。

 一方、メデジン・カルテルの頭目だったパブロ・エスコバルなどは、スラム街に住宅を作るなど、貧民救済事業に乗り出し、民衆からの支援を集めて政治力を持つことを目指した。エスコバルは、人々に娯楽を与えるため、選手に金を出してスポーツチームを作り、スタジアムまで作った。

 日本でもバブル経済のころ、不動産取引などで巨額の資金を集めた怪しげな人々が、慈善事業をしたり、政官界に金をばらまいたりして、「タニマチ」と呼ばれたりしたが、あれと同じようなものだ。

●大統領まで麻薬組織の代理人?

 1978年になると、コロンビアの麻薬組織は、アメリカ国内でのコカイン流通までも牛耳ろうとする動きに出た。コカインの値段は、コロンビアから出荷するときは、1キロ2000ドル前後だが、アメリカでの末端価格は1キロ6万ドル前後である。実に30倍になるのだが、その利益の大半はアメリカ側の流通組織のフトコロに入ってしまう。

 コロンビア側は、より多くの分け前を得ようと、アメリカでの主なコカイン輸入地点だったマイアミでの勢力拡大闘争に動き出した。アメリカの麻薬組織との間での暗殺合戦となったが、アメリカ側とコロンビア側の組織がゆるやかに結合する形で組織拡大することには成功した。コロンビアの麻薬組織は、連合体という意味で「カルテル」と呼ばれるようになった。「メデジンカルテル」「カリカルテル」などの誕生である。

 これにはアメリカ政府も危機感を強め、コロンビア政府を動かして、麻薬カルテルをつぶしにかかった。コロンビアでは当時、麻薬組織のほか、左翼ゲリラによる反政府テロが増えていた。コロンビア政府は、左翼ゲリラとは和平して結託し、その力で麻薬組織を粉砕しようとした。

 だが、麻薬組織はすでに、政府の中枢にまでたっぷり賄賂を渡してあったから、政府の動きは筒抜けだった。麻薬組織は左翼ゲリラに、コカの栽培地域を警備してもらう代わりに、活動資金や武器を提供するという提案を行って、逆に左翼と結託し、政府の戦略をつぶしてしまった。

 1990年代に入っても、コロンビアの体制は変わらなかった。1994年に当選した現職のサンペール大統領は、選挙活動中にカリカルテルから600万ドルの運動資金を受け取っていた疑いが強い。本当に受け取っていたのなら、日本でいえば山口組の代理人が首相になったようなものである。

 サンペール大統領は議会の懲罰委員会にかけられたが、証拠不十分でお咎めなしとなった。議員の8割は何らかの賄賂を受け取っているといわれる状況だけに、コロンビア国民の多くは、この決定が真実に基づくものだとは思っていない。

●コカイン利益の大半はアメリカ人のフトコロに

 このようにコロンビアの歴史をみると、麻薬に関する大きな変化は必ず、アメリカでの動きが原因となっている。しかもコカイン取引から得られる利益の大半は、今でもコロンビア人ではなく、アメリカ人のフトコロに入っている。

 コロンビアの有力新聞「エル・ティエンポ」の記事(英訳版)によると、1キログラム2000ドルというコロンビアでのコカインの出荷価格と、1キロ6万ドルというアメリカでの末端価格との差額5万8000ドルのうち、コロンビア側の組織に入るのは1万5000ドルでしかない。

 残りのうち3500ドルは、コロンビアとアメリカの税関を買収するためなどの「越境費用」として使われ、残る約4万ドルは、アメリカ側の麻薬組織に入ってしまう。麻薬問題の諸悪の根元のようにいわれるコロンビアのカルテルだが、彼らは麻薬の全利益のうち4分の1しか受け取っていない一方、アメリカ国内の麻薬組織は3分の2を取っている。まさに、ここにも「南北格差」がある。

 しかも、アメリカで麻薬売人というと、黒人やヒスパニック系というイメージが強いが、こうした人々は麻薬流通の末端で働いている人々であり、巨額の利益を得ることはない。一番おいしいところを手に入れているのは、アメリカを支配している白人層であるはずなのだが、牢屋に入れられるのは黒人やヒスパニックが多い。

 ここまで見ると、麻薬問題はアメリカの「国内問題」であることが分かる。アメリカ国内で麻薬を栽培すると取り締まりが厳しいから、取り締まりが弱い「南の国々」に生産拠点を移した、ということなのである。

 麻薬取り締まりに力を入れているクリントン大統領は1996年に、コロンビア政府がアメリカの麻薬撲滅作戦に協力的でないとして、経済支援を減らす政策を打ち出した。だがアメリカ政府の作戦に一番協力しないのはコロンビア政府ではなく、コカインを注射し続けるアメリカ国民であることは間違いない。

●「民主化」「自由市場経済」「民営化」が麻薬を呼び込む

 とはいえ現在では、麻薬問題はアメリカだけの問題ではなくなった。「アメリカナイズ」されたすべての国の問題になりつつある。

 ニューヨークの国連本部では6月8日から、麻薬特別総会が開かれた。この席上、世界各地の発展途上国からきた代表たちは口々に、自国で麻薬問題が深刻化していることを訴えた。

 特に社会主義国から資本主義国に転向した旧ソ連がひどく、アルメニアでは1993年からの5年間で麻薬の押収量が30倍になった。ラトビアでは現在、高校生の8割が、麻薬をやった経験があるという。

 こうした変化の根底には、政治の「民主化」で人々に急に行動の自由が与えられたこと、「自由市場経済」が出現して、金さえあれば大体のものは手に入るようになったこと、「民営化」によって国営企業の従業員が大量解雇され、麻薬密売人になるしかない人が増え、自暴自棄になった麻薬を吸いはじめる人も増えたこと、などがある。

 「民主化」「自由市場経済」「民営化」。いずれも、輝かしい将来を約束する言葉のように受け取られているが、麻薬問題という観点から見る限り、地獄に近づくための呪文となっている。「お金持ちになれます」という話に乗ると身ぐるみはがされるだけ、という教訓を思い起こさせる。

●日本のODA的問題解決には疑問

 この国連の会議では、アメリカに対する批判も強まった。メキシコのセディジョ大統領は「世界の麻薬需要の大半は、世界一の経済大国(アメリカ)で消費されているのに、それによって引き起こされるマイナス面の多くは、麻薬生産国(コロンビアなど)や中継国(メキシコなど)の犠牲となっている」とスピーチした。

 (アメリカ政府は最近、メキシコで秘密捜査を行い、メキシコの銀行家26人が麻薬資金のマネーロンダリングで利益を上げているとして告発したが、一切メキシコ側に連絡せずに捜査したため、メキシコ側の怒りをかった。セディジョ大統領のスピーチはその仕返しだ、とアメリカのマスコミは報じている)

 こうした動きに対して国連では、コカや大麻など、麻薬原料の栽培に携わる農家に対して、代わりの作物を用意するとともに、欧米や日本からの援助資金で、栽培地域に道路や学校、病院を建ててやり、農民を麻薬栽培から足抜けさせるという計画を検討している。

 代わりの作物を用意することは、これまでも試みられてきたが、たとえばコロンビアでは、トウモロコシを栽培しても、利益はコカ栽培の10分の1しか出ない。(世界のトウモロコシ相場はアメリカの巨大穀物会社が動かしている) そのため今回は、道路や学校、病院などのオマケつきで農民を懐柔しよう、ということらしい。

 だが、この案に対してはイギリスなどから「一つの地域に資金援助して麻薬栽培を止めさせたところで、もっと貧しい別の地域での栽培が始まるだけではないか」といった懸念が出ている。貧しい地域に道路や学校を建てる、というのは日本のODAのからくりを思わせる。欧米や日本の建設会社に金が入る、というだけで終わるのではないか。

 一方、欧米ではオランダのように、麻薬を合法化することで、麻薬がらみの犯罪をなくすことを目指す試みや、アメリカでは麻薬吸引者に対して取り締まりよりリハビリを重視するプロジェクトなどが行われている。麻薬問題の解決は、「麻薬問題の解決」というのはお題目だけで、実際の目的は全く別のところにある、といった、これまでの政策を変え、問題がどこにあるか見極めるところから始まるようだ。

 

 


外のサイトの関連ページ

コロンビア大使館ホームページ (日本語)

1996年のコロンビアとアメリカの関係悪化についての記事

 (サンケイ新聞)

「地域研究組織GEO」

 国際問題に関心がある東京の学生やビジネスマンが集まって作っている非営利団体で、世界各地の情勢について毎月、専門家を招いて講演会を開いている。筆者が記事の冒頭で紹介したコロンビア人青年の話を聞いたのは、この団体の講演会でのこと。

 


メインページへ