インドネシア:人々のウラをかき続けるスハルト大統領

98年5月21日  田中 宇


 筆者が初めて「ハビビプロジェクト」という言葉を聞いたのは、今から3年ほど前、インドネシアの東野はずれにあるイリアンジャヤ州を旅行した時だった。「ハビビプロジェクト」とは、このほど大統領になったハビビ氏が計画した大規模開発のことである。

 イリアンジャヤはニューギニア島西半分の地域で、インドネシアの中では最も未開発の州の一つ。ほとんどがジャングルにおおわれている。島の中央部には、標高3000-5000メートルの山岳地帯があり、メラネシア系の人々が住んでいる。彼らは肌の色が黒く、インドネシアの大多数を占めるマレー系の人々とは種族的に異なっており、今も山の中でほとんど自給自足の生活をしている。

 インドネシア政府は1970年代後半から、イリアンジャヤの開発に取り組んでおり、無人のジャングルを切り開き、多くの原住民が住む島の中央部の高山盆地と海岸部との間に、道路を建設したりしてきた。そして、将来の開発の目玉が、ハビビプロジェクトだった。

 これは、イリアンジャヤの中央山地に巨大なダムを作って発電所を設け、ジャングルに数百キロの送電線を建設して電力を海岸部まで引き、そこに木材の製材所やパルプ工場を作ろう、という産業振興計画だった。実現すれば、日本のODAの金も注ぎ込まれ、日本のゼネコンがダム建設を受注し、発電機も日本製、というシナリオなのかもしれない。

 とはいえ、イリアンジャヤの原住民の多くは、古来からの自給自足の生活を、今後も続けたいと思っている。筆者が訪れた村の首長は、真っ黒い体にペニスサックしかつけないという伝統的いでたちで、インドネシア空軍が1960-70年代に彼の村を爆撃した時の話を、静かに、だが怒りは決して忘れない、という表情で語った。

 イリアンジャヤでは、インドネシアからの独立を目指すゲリラ部隊が活動を続けており、ゲリラに同情的だと思われた村は、インドネシア軍の容赦ない攻撃を受けた。そんなイリアンジャヤの人々にとって、島の工業化は自分たちに何のプラスになるものでもなかった。

 「ハビビプロジェクト」について最初に筆者に教えてくれたのは、ジャカルタからこの地域に派遣されてきて、筆者と同じ宿屋に長逗留していたマレー系の若い農業技師だったが、彼も「ハビビプロジェクトは無用の長物だ。ハビビがやっていることは、話はデカイが人々の役に立たないことが多い」と言っていた。

●ハビビプロジェクトは「おもちゃ」だった?

 そのハビビ氏は当時、研究・技術担当大臣だったが、今や大統領である。とはいえ、ハビビ氏の評判は、イリアンジャヤだけでなく、インドネシア各地であまり芳しくない。民間からの評判だけでなく、軍にも信用されていないといわれる。

 ハビビ氏は1994年、すでに国家として消失していた東ドイツの軍隊が持っていた軍艦39隻を10億ドルで購入することを、スハルト大統領に頼んで決定した。だが、このことは事前に軍にも大蔵省にも相談がなかった。軍は、旧式の東ドイツの軍艦などまったくほしくなかったので、ハビビ氏に強く抗議したが、ハビビ氏はスハルト大統領の威を借りて、これをはねつけた。

 長いこと技術担当大臣を続けてきたハビビ氏は、自分の息のかかった造船会社や兵器・弾薬メーカーをいくつか持っていた。ハビビ氏は自分の傘下の会社に、東ドイツから購入した軍艦を修繕する仕事を与えるために、軍艦の購入を決めたのだった。ハビビ氏はスハルト政権に参画する前、ドイツの軍事メーカーで約20年間働いた経験があり、この関係でドイツ当局筋からの働きかけがあったのだろう。

 軍艦の購入費10億ドルは、インドネシア軍の予算10年分に影響を与えることになった。この一件以来、軍はハビビ氏を敵視しているといわれる。

 ハビビ氏は、若手将校だったスハルト氏がスラウェシ島に駐在していた1950年、スハルト氏の家の近所に住んでいた13歳の少年だった。ハビビ氏の父親が他界し、不憫に思ったスハルト氏は、利発な少年だったハビビ氏の親代わりになり、手元に置いて教育を受けさせてあげることにした。以来50年近く、スハルト氏はハビビ氏にとって、父親か年の離れた兄のような存在となった。

 ハビビ氏は以前、「私は政治のことは理解できない」と言い、技術者として生きることを望んでいた。そんなハビビ氏だったが、スハルト氏は彼を深く信頼し、「クーデターを起こすこと以外は、何でも好きなことをやって良いから」と言って、ドイツでの仕事を辞め、インドネシア政府の中枢に参加するよう求めた。

 以来、ハビビ氏はスハルト政権の研究・技術担当大臣として、各種の開発プロジェクト、国産のジェット機や兵器の開発などに取り組んだ。だが、それらの「ハビビプロジェクト」の中には、巨額の予算を必要とする割には、国民の幸せには必ずしも結びつかないものも多かった。

 選挙で選ばれたのではない大臣が、科学技術に対する個人的な関心から考案した開発計画は、子供が父親から買い与えられた高価なおもちゃのようなもの、というのは言い過ぎだろうか。

●「ハビビ大統領」を阻止したかった国防相

 そんなハビビ氏ではあるが、スハルト大統領が辞任する直前の4-5日間に見せた政治的な権謀術数は、なかなかのものだった。

 スハルト氏退陣の直前、インドネシア軍内では、民主化要求に同意する傾向が強いウィラント国防大臣と、民主化に反対する傾向が強かったプラボウォ陸軍戦略予備軍司令官が対立していた。ウィラント氏は、ハビビ氏を信頼していなかった。そのためハビビ氏は、プラボウォ氏と組んで、スハルト以後の政権を狙うことにした。ハビビ氏は、スハルト氏に恩を受けてはいたが、大統領になりたいという野心も強かったらしい。

 さらにハビビ氏は国会のハルモコ議長も巻き込んで、スハルト大統領を退陣させる計画を進め、ハルモコ議長は5月19日、スハルト大統領に辞職を求めると発表した。スハルト大統領が辞めれば、3月に副大統領となったハビビ氏が昇格することになる。

 この動きの背景にハビビ氏がいるとみたウィラント国防相は、その数時間後、ハルモコ議長の大統領辞職要求は法的根拠がない、と発表し、大統領の側についた。人々は、民主化を支援するはずのウィラント氏が、スハルト大統領擁護に回ったので驚いたが、その背景には、ハビビ氏を大統領に就任させるのなら、スハルト氏が続投した方がよい、という考えがウィラント氏にあったようだ。

 だがその後、スハルト退陣を求める政府内部の声がさらに強くなり、閣僚が連名で大統領に退陣を要求する事態となった。ウィラント氏は、スハルト退陣を不可避と考えるようになり、ハビビ氏と交渉し、大統領の交代を認める代わりに、自分を国防大臣の地位に留めておくよう、約束させた。

 これを受けてウィラント氏は20日夜、スハルト氏を説得して退陣の決心をさせ、翌日大統領は辞任した。ウィラント氏はその直後、ライバルのプラボウォ氏を、地方の軍の大学の学長という閑職に押し込めてしまった。

 この政争の勝者はハビビ氏とウィラント氏、敗者はスハルト氏とプラボウォ氏となった。だが、ハビビ氏とウィラント氏がその後、和解したとは思えない。対決の時はいずれくる、と筆者はみている。

●激化しそうな分離独立運動

 今回の政権交代にともなって、もう一つ解決されていないことがある。それはインドネシアの軍と政府による支配を嫌ってきたイリアンジャヤなど辺境の人々の心情と、そこに根差した分離独立運動をどうするのか、ということだ。

 分離独立運動はイリアンジャヤのほか、元ポルトガル植民地でカトリック教徒が多い東チモール、独自の厳格なイスラム教徒信仰を持っている国内最西端のアチェなどでも続いている。これらの地域ではこれまで、スハルト大統領の命令で強い弾圧が行われてきたため、独立は実現しなかった。スハルト氏が辞め、民主的な政府を作らねばならないとなれば、もう武力で弾圧することは許されない。

 特に東チモールについては、国連でハビビ政権に対して圧力をかけることが検討されている。旧宗主国のポルトガルなどが、これまで東チモールの自治獲得要求に動いており、運動のリーダーがノーベル平和賞を受賞するなど、東チモールの独立運動は欧米から支援を受けている。それだけに国連は、東チモールで独立を問う住民投票を実施するよう、ハビビ政権に求めるかもしれない。

 だがインドネシア政府は、ジャワ島など人口密集地域の人々を、人口の少ない僻地の島々に移住させ、ジャングルを切り開いて新田開発などをさせる政策を進めている。イリアンジャヤとならび、東チモールもその対象で、すでにかなりの数のマレー系イスラム教徒が移住している。

 この政策は、東チモールを独立しにくくさせることが、狙いの一つとなっていると思われるが、東チモールが独立に向けて動くとなれば、移住してきたイスラム教徒と、元々住んでいたカトリック教徒との間で、殺し合いが激化するかもしれない。(インドネシア軍は、イスラム教徒を背後から支援し、武器を供給したりするだろう)

 一方、インドネシアの今回の民主化運動への参加者は、自分たちの民主化を求めながらも、東チモールやイリアンジャヤの独立要求を平和裏に認めるかどうか、はっきりした答えを出していない。

 ハビビ政権は、これまでスハルト政権に反対してきた政治犯の釈放を開始している。だが、東チモール独立運動のリーダー、シャナナ・グスマオ氏ら、インドネシアからの分離独立を主張する人々が釈放される可能性は今のところ少ない、との見方が多い。

●人々の対立を煽る政治家が出現する?

 また今後、民主的な選挙が行われるとなれば、マジョリティであるイスラム教徒の有権者の歓心をかうため、キリスト教徒や中国系住民への憎悪を煽り立てる政治家が現れる可能性もある。政治家にとっては、人々の「共通の敵」を設定し、そこへの攻撃を強めることによって、政治家自身への求心力を強めることができるからである。

 スハルト大統領は、こうした国内の分裂を許せば内乱につながり、経済を破壊して、結局は全員を不幸にすると考えていた。そのためスハルト氏は、政治の民主化要求や東チモールなどの独立運動を徹底的に弾圧したが、その一方でイスラム教徒が中国系やキリスト教徒を公の場で攻撃することも許さなかった。

 だがスハルト大統領が辞めた今、そうしたタガは外れてしまった。下手をすると、スハルト時代の方がよかった、などということになりかねないように思う。

 スハルト氏にとっては、国内の政治的な安定こそが、とても大切だった。安定さえ保てれば、日本や欧米からの資金援助や企業投資が増え、経済発展ができるからだった。(そうした外から入ってきた金を一族側近で独占したから、破局につながった)

 「民主化」とは、言葉としての響きは良いが、実現する際には試練も伴う。ソ連やユーゴスラビアが解体され、民主化が進んだ結果、宗教の違いなどから各地で分離独立運動が広がり、解決の見通しが立たない地域がいくつもできた。

 強権支配されていた国が民主化されると、必ずといっていいほど「分離独立」にからむ殺し合いが起きる。約300の民族(種族)と、250の種族ごとの言語があるインドネシアも、「海のユーゴスラビア」になる危険がある。

 とはいえ独立から50年、インドネシアの人々の意識の中には、「インドネシア人」という国民としてのアイデンティティが、すでに強く存在していることも確かであり、今後インドネシアがバラバラになるという心配は、杞憂かもしれない。

 インドネシアはもともと、オランダの東インド植民地だった地域を、そっくりそのまま独立させた国である。国境線の多くは、オランダとイギリス、ポルトガルといった、他の植民地支配国との間で取り決めた境界でしかなく、国民全員が話す共通語もなかった。

 それから50年、主に貿易用語として使われていたマレー語を、インドネシア語として普及させて統一言語とした。「われらは皆、オランダや日本軍政からの独立を、ともに戦い取った仲間じゃないか」という独立(ムルデカ)の意識を、国民統合の象徴として使い、今のようなインドネシアを作り上げた。それを実現したという点では、スハルト大統領も評価されるべきだと思う。

●スハルト政権をお手本にしていたミャンマー

 今回の政権交代は、インドネシア以外のアジア諸国の政治にも影響を与えるかもしれない。

 その一つはミャンマーである。ミャンマーではスハルト氏が政権をとる4年前の1962年、ネ・ウィン将軍がクーデターによって政権をとり、その後1981年までネ・ウィン氏が大統領を続け、その後も院政を敷いていた。

 ネ・ウィン氏は1988年に起きた反政府運動を受け、すべての公的な肩書きを返上したものの、今も政権内に隠然とした影響力を持っているといわれる。その彼がミャンマーの将来的な手本として描いていたのが、スハルト大統領がやったような、政治の自由化を抜きにした軍主導の経済発展の方法だった。

 ネ・ウィン氏は昨年、86歳という高齢にもかかわらず、ジャカルタを訪れ、スハルト大統領と会談した。同氏は公職を外れた後、公の場に姿を現さなくなったが、ジャカルタ訪問で8年ぶりに公の場に姿を現した。それだけ、祖国でスハルト型の経済発展を実現させることを、重視していたのだろう。

 だが今や、かつてのお手本はいなくなってしまった。一方、民主化運動の方は今後、インドネシアでの動きをお手本に、活発化する可能性がある。

●中国でも失業者のデモが多発

 もう一国、中国でも動きがある。中国ではインドネシアのような通貨の暴落こそなかったものの、社会主義時代からの体質改善が進まない多くの国営企業で経営不振が続き、失業者が増加している。瀋陽や重慶といった工業都市では、失業後の保障を求める労働者のデモが多発している。

 また、中国を潜在的な脅威と見るアメリカでは、中国で民主化運動を激化させ、共産党政権を窮地に追い込みたいと画策している、と中国政府は主張している。中国政府は、アメリカにいる中国人の民主活動家が中国に密かに帰国し、失業者の組織と結びついて反政府運動が激化することを恐れ、空港や国境での入国管理を厳しくしている。

 失業者が増える一方で、国営企業の幹部の中には、「民営化」の名のもとに私腹を肥やしている人々も多いとの批判が、人々の間で広がっている。中国政府はイメージアップのため、国営企業幹部の汚職を取り締まるキャンペーンを展開しているが、効果のほどは不透明だ。

 昨年からの経済危機をきっかけに、アジア全体が政治的な試練の時期に入っていることは、間違いないようだ。

 

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