インド核実験を支える危険な民族主義

98年5月17日  田中 宇


 5月11日、インドではお釈迦様の誕生日を祝う満月の祭り、「ブッダ・プーニマ」(Buddha Purnima)の日で、仏教とヒンズー教の祝日であった。

 だがこの日、インド国内のお祝いムードとは裏腹に、欧米や日本、そしてパキスタンや中国といったインドの周辺諸国の政府関係者たちは、衝撃と不安に包まれていた。インドが24年ぶりに地下核実験を挙行したからである。

 インド政府にとってこの日は、祝日であることのほかに、もう一つ重要な意味を持っていた。1974年、インドが初めて核実験を実施したのが、同じ祝日の日だったのである。その時、核実験実施の担当者からインディラ・ガンジー首相に実験成功を伝えた暗号電文は「ブッダは微笑まれた」であったという。

 今回の核実験は、日付だけでなく、実施場所も24年前と同じだった。パキスタン国境に近い砂漠の中の村、ポカランの実験場で行われた。

 とはいえ政治的にみると、24年前の実験とは大きく違う点がある。前回、核実験の成功を発表したガンジー首相は、核の平和利用が実験の目的であることを強調した。

 それに対して今回、インド政府の高官は、インドが核兵器を持っていることを世界に示すことが実験の目的だった、と明言した。これまでインドは、核兵器の保有を宣言していなかった。世界にはアメリカ、ロシア、中国、フランス、イギリスの5カ国が、核兵器の保有を宣言している。(すべて国連の常任理事国だ)

 インドは今回の核実験により、核武装していることを正式に認めた6番目の国家となった。24年前と同じ場所と日に核実験を実施したことは、24年前から核兵器を持っていたことを示したかった、ということのようだ。

●核武装宣言の裏に政権交代

 インドがこの時期に核武装を宣言した背景には、今年2-3月の総選挙で、1947年の独立以来、インド政治の主流であった国民会議派が敗れ、ヒンズー教徒至上主義を掲げるインド人民党(BJP)を中心とする連立政権が誕生したことがある。

 インドは、人口の80%を占めるヒンズー教徒が多数派だが、それ以外に人口の11%を占めるイスラム教徒、キリスト教徒、シーク教徒、仏教徒などがいる多民族国家である。そのため、民族間の対立を乗り越えない限り、政治が安定しない。

 インドを独立に導いたマハトマ・ガンジーら国民会議派の政治家たちが苦心したのもこの点だった。国民会議派は、宗教と政治を分離し、宗教対立を政治に持ち込まないシステムを作り、インドを独立させた。

 だが、イスラム教ではコーランに政治的な規範が書き込まれており、熱心なイスラム教徒にとっては、政治と宗教を分離することは許せない。一方、ヒンズー教徒の中には、多数派である自分たちが政治的な指導権を握るべきだ、と考える人が独立前から多かった。

 結局、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立は解けず、インドとパキスタンは別々の国になり、独立直後から両者が殺しあう事態となった。

 国民会議派は、宗教戦争の再発を防ぐため、政教分離を徹底させ、政権の座を維持した。イスラム教徒も政権内部に起用することで、宗教を超えた政府を作るとともに、自力更生によって社会主義国家を実現する、という全国民的な目標を掲げることで、国内を結束させた。

 だが、ソ連崩壊によって社会主義の目標は失われる。その後1990年に入り、経済を自由化することで高度経済成長を実現し、国民全体の生活を豊かにすることで、国内の対立を防ぐ、という、中国の改革開放を模した政策を導入した。

 だが、多様な宗教に加え、カースト制度などによって国民の内部が無数のグループに分かれているため、国民全体を豊かにすることはできず、経済成長の恩恵を受けられる人は一部にとどまった。そうした中で国民会議派に対する失望感が広がり、1996年の選挙で大敗した。

●「平和を愛しすぎる」民族の軍事訓練

 その反面、有権者の期待を集め、勢力を急拡大したのが、インド人民党だった。人民党の設立母体となっているのはヒンズー教徒の私兵集団、民族義勇団(RSS)である。

 この組織はインド独立前、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立が激しくなっていた1925年、ヒンズー教徒の自衛を目的に設立された。その後、ヒンズー教徒の若者の軍事訓練を続けるとともに、ヒンズー至上主義による政治思想を練り上げる思想研究機関となっていった。

 インドは16世紀まではヒンズー教の王国があったが、その後イスラム教勢力のムガール帝国が作られ、ヒンズー教徒は支配される側となってしまう。さらに19世紀にはイギリスに支配された。

 このようにヒンズー教徒が抑圧され続けるのは、ヒンズー教徒が平和を愛しすぎるあまり、自分たちを防衛することに消極的だったからだ、と民族義勇団の幹部たちは考え、ヒンズー教を中心に据えた強い国家を作ることが、ヒンズー教徒の幸せにつながる、との方針を掲げた。

 こうした考えの人からみれば、「非暴力主義」を掲げるマハトマ・ガンジーなどは、「平和を愛しすぎるヒンズー教徒」の象徴ともいえる存在だった。当然、ガンジーを殺せ、という動きが広がり、民族義勇団を支持する青年によって、ガンジーは1948年に暗殺されてしまった。

 ガンジーを殺したため、民族義勇団は幹部17000人が逮捕され、その後20年間にわたって事実上、政治活動を禁止された。だが彼らはその間、農村の若者たちに対する勧誘活動を続け、全国に600万人もの会員を抱える組織に成長した。こうした草の根組織は、選挙の際に強いパワーを発揮する。

 民族義勇団は各地の村に支部を作り、村の青少年たちを集め、軍事訓練をする。若者たちはカーキ色の軍服風の制服を着て、インド古来の伝統武器であるこん棒を使う稽古を続けている。

 公民館を借りて開く日本の剣道場のようなもの、ともいえるから、これを「軍事訓練」というのは大げさかもしれない。だがヒンズー教の敵とみなされるイスラム教徒からみれば、恐ろしい存在である。戦前の日本軍による軍事教練や皇国思想の吹き込み、あるいはドイツのナチス青年隊にも似た存在、ともいえるのである。

 民族義勇団の政治組織であるインド人民党は、1984年の下院選挙では2議席だったのが、1996年の選挙では162議席にまで増え、さらに今年3月の選挙では251議席にまで拡大した。インド下院は定数534で、人民党はあと21議席で過半数をとることになる。これに対して、これまで長いこと与党だった国民会議派は、168議席しかとれなかった。

 人民党は、まだ議会下院の過半数をとってはおらず、穏健な政策を好む政党とも連立を組まねばならないため、民族義勇団の過激思想を全てそのまま掲げているわけではない。だがバジパイ首相を始め、人民党の主要メンバーのほとんどは、若い時から民族義勇団のメンバーである。

●「世界から一目置かれたい」と思って核実験

 そんな民族義勇団のヒンズー至上主義を母体にして政権の座についた人民党の政策の一つが、インドを軍事大国にして世界から一目置かれる存在になる、ということがある。強い男として認められたい、と思ってナイフを振り回す日本の中学生のようである。

 彼らは、伝統の重さや人口の多さに比べると、インドは十分な国際的尊敬を受けていない、と考えている。特に昨今、隣の中国が国際社会での信任を高めているのに比べ、インドの国際的地位は低く、国連の常任理事国ですらない。

 核兵器の保有を公言している国はすべて常任理事国なのだから、インドも核保有を宣言することで、常任理事国入りをねらうという戦略が、核実験実施の背景にある、筆者はみる。

 日本人は「国際社会」イコール「正義」と思いがちなため、「そんな暴力的なやり方で、国際社会が受け入れるはずはない」と考える読者も多いかもしれない。

 だが、ここ1-2年間に核実験を行ったフランスと中国はいずれも、国際的な反対を押し切って実験に踏み切り、その後、「今後は核実験をしません」という約束である包括的核実験禁止条約(CTBT)に調印している。

 フランスや中国も「国際社会」の一員であろうが、彼らはイタチの最後っ屁のように、最後に一発かまして自国の強さを世界に誇示してから、条約に調印したのである。「国際社会」とは、「平和を愛する国々の集まり」などではない。核兵器による脅し合いを続けているパワーポリティクスの世界なのである。フランスや中国と同様、インドも核実験をした後で、CTBTに調印するかも知れない、との観測もある。

●モスク破壊を扇動し支持を伸ばした

 とはいえ、インドのヒンズー至上主義は、フランスや中国の大国主義に比べ、はるかに危険な側面を持っている。人民党は、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を煽ることで、より多くのヒンズー教徒の支持を集める、という戦略を展開してきたからである。

 今後、人民党はさらに、パキスタンや中国との対立を煽ることで、インド国内の結束につなげようとする可能性がある。平和主義の国民会議派の勢力を弱めるため、パキスタンとの係争地カシミールの奪還キャンペーンなどを行い、紛争に再び火をつける可能性もある。

 かつて人民党を急拡大させたできごとの一つに、1992年のアヨドヤモスク破壊事件があった。インド北部の町アヨドヤにあるモスクは、16世紀にイスラム教のムガール帝国によって建立されたが、その際ヒンズー寺院を壊してモスクに建て替えた、との言い伝えがある。

 民族義勇団の幹部たちは、アヨドヤにあったヒンズー寺院はヒンズー教の軍神ラムが大昔に生まれた場所を祭るために作られていたのだが、ムガール帝国がそれを破壊した、と主張。モスクを壊してラム寺院を建てるべきだ、というキャンペーンを行った。

 この主張は歴史的事実に基づくものではないが、ラムは日ごろから「強くなりたい」と思っている民族義勇団の若者たちが毎日拝んでいる神様だった。キャンペーンの効果はてき面で、20万人ものヒンズー教徒がモスクを壊そうとアヨドヤに押しかけ、防戦するイスラム教徒たちと戦闘となった。両者の敵対は全国に広がり、双方で3000人が死亡した。独立時に起きた悪夢の繰り返しだった。

 国民議会派の政府は、モスクの破壊を止めるよう命じたが、効果はなかった。政府は、モスクの破壊を黙認したとして、イスラム教徒からも批判された。民族義勇団は、国民の間に対立を引き起こすことで、ヒンズー教徒の民族意識を煽り、自分たちへの支持を増やすことに成功したのである。

 また人民党が「イスラム教徒だけを特別扱いしている法律体系を変えるべきだ」という方針を掲げていることも、今後火を吹く可能性がある。

 イスラム教徒はコーランの教えに基づく独自のイスラム法体系を持っており、イスラム教徒の結婚、財産分与、土地取引などは、インド国内でもイスラム法によって行われてきた。だが人民党は、「一つの中に二つの法体系があるのはおかしい」と主張し、ヒンズー教徒に課せられているのと同じ法律を、イスラム教徒にも課そうとしている。

 これも、ヒンズー教徒とイスラム教徒の対立を煽ることは確実で、再び何千人もの死者が出る紛争になりかねない。これらのやり方は、ユダヤ人や共産主義者を敵視するようドイツ人の意識を煽ったナチスと似たものを感じざるをえない。

●いとも簡単に扇動に乗せられる人々

 さらに危険なのは、こうした扇動に、ヒンズー教徒の人々が、いとも簡単に乗せられていることだ。今回の核実験に対しても、ヒンズー教徒の大多数は、熱狂的に賛同しており、政府に対する支持率も上がっている。

 「インド式社会主義」が国を豊かにせず、「中国式改革開放」も効果がない中で、人々の苛立ちが強まっていることが、「平和を愛しすぎる人々」を好戦的で危険な人々に変えているのかもしれない。そう考えると、経済的、社会的、政治的に閉塞感が強まっている日本でも、かつての軍国主義のような危険な考え方が広がらないとも限らないといえる。

 こうしたインドの変化に対して、仇敵パキスタンは対抗する姿勢をみせている。パキスタンに対しては、アメリカなどがインドに対抗して核実験を実施することを思いとどまらせようとしている。

 だが、パキスタン人の精神的バックボーンになっているイスラム教もまた、ヒンズー主義に劣らず、非妥協で強い信仰を持っている。パキスタンではイスラム主義者や軍部が、シャリフ首相に「こちらもすぐに核実験を実施すべきだ。首相のご命令があれば、1週間で核実験の準備ができます」と進言しているという。パキスタンは中国の支援で核兵器開発に成功したとみられているが、核実験はまだ一度も実施していない。

 パキスタン政府は、今回は核実験を思いとどまる交換条件として、アメリカから10年前に購入が決まっていながら、核開発疑惑などを理由に引き渡しを拒否されてきたF16戦闘機10機の引き渡しを、アメリカに求めるのではないか、ともみられている。

●中国への対抗意識も背景に

 このほか、インドが核実験に踏み切った理由としてあげていることの一つが「中国の脅威」である。核実験の1週間ほど前、インドの国防大臣が「中国は潜在的にインドの最大の敵となっている」と発言し、関係者を驚かせた。

 インドと中国は1962年に国境紛争を起こしているが、その後インド政府は外交的配慮から、中国の脅威を語ることを控えてきた。インド政府が中国の脅威を明言するのは、非常にまれなことだったのである。

 その直後の核実験だっただけに、中国はインドを強く非難した。だが対抗策をこうじる姿勢はみせず、「大人」ぶりを示した。中国に対しては来月クリントン大統領が訪問することになっており、アメリカ大統領訪中を前に、中国は国際的な評価を高めるための格好の材料を得ることになった。

 だが逆にインドにしてみれば、このように中国が国際評価を高め、経済的な影響力も持ちつつあることこそ、妬ましいことであろう。しかも、中国はパキスタンに軍事援助をしている国である。

 インドとしては、自国とパキスタンが国際社会から「けんか両成敗」の扱いを受け、双方が歩調を合わせた軍縮をするよう圧力をかけられる中で、中国だけは無傷で軍事大国であり続けるというストーリーが、我慢できないに違いない。

 とはいえ東南アジア諸国の中には、中国に対して脅威を感じるインドの姿勢に共鳴する関係者もいるようだ。中国はこのところ軍事的な南下政策を強めており、パキスタンのほか、ビルマ国内に海軍基地を作ったり、ベトナム沖の南沙諸島での基地建設を強行したりしている。いわば、インドや東南アジアのまわりに、パキスタン、ビルマ、南沙諸島という3本の軍事進路を築きつつある。

 こうした中国の南下政策に対抗してインドが強くなることで、中国による力の独占を防ぐことができる、と考える東南アジアの専門家もいる。

●CIA世紀の大失敗

 このように、インドの核実験がアジアの軍事地図を塗り替えようとしている中、メンツを潰されたのがアメリカ、特に核実験の実施を事前に察知できなかったCIAである。

 アメリカは核実験が行われたポカランの上空に毎日、偵察衛星を飛ばしていた。だがアメリカ政府高官が核実験を知ったのは、衛星からの情報を精査しているCIAからではなく、インド政府の発表を報じたCNNによってであった。

 何十億ドルという金をかけて偵察衛星を飛ばし、インド国内にも情報網を張り巡らせているのに、CIAは何をやっているんだ、と非難ごうごうの事態となった。

 CIAは1995年には、インドが密かに進めていた核実験の準備を見抜き、クリントン大統領がラオ首相に強く抗議して、実験を止めさせている。この時は偵察衛星が、実験場内で地下に続くマンホールから地上に無数のコードが延びているのを見つけ、核実験の準備に違いない、と判断したのだった。

 インド政府はこの時の教訓から、今回は偵察衛星の行動を把握した上で、衛星が実験場の上空から遠のいた時だけ準備を進めており、そのために事前に分からなかったのだ、とCIAは弁解しているという。

 だが、パキスタン政府は、そんなCIAの弁解を聞いて、冷笑しているだろう。パキスタンのシャリフ首相は、インドに人民党のバジパイ政権が誕生した直後の4月3日、クリントン大統領に手紙を出し、インドが核実験をする可能性がある、と指摘していたのだが、アメリカはほとんど反応しなかったからだ。

 それだけではない。人民党は選挙運動中からすでに、政権をとった後、必要ならば核武装する、と宣言しており、危険信号ははっきりと出ていた。CIAとしては、偵察衛星の軌道を変え、実験場を常に監視できるようにすれば良いだけの話だったのである。

 それを怠ったCIAのミスなのか、それともCIAの担当者は気づいて報告したが、政府上層部でそれを軽視したのか、まだ真相は明らかになっていない。だが、真相はどうあれ、核開発の探知はCIAにとって冷戦時代からの最重要任務の一つであり、それを見逃してしまったのだから面目丸つぶれである。

 早速、北朝鮮などはこれを見て、自分たちも核開発を再開するかもしれない、などと言い出した。米朝交渉で、アメリカから少しでも多くのものを引き出そうとしている北朝鮮にとって、今回のことは格好の「たかりの口実」となったようだ。ただし、どの程度通用するかは疑問だ。

 アメリカは対インド経済制裁を検討しているが、イギリス、フランス、ロシアといった主要国は制裁に賛同していない。状況は今年はじめ、アメリカがイラクを空爆すべきだと主張したがフランス、ロシアなどによって反対された時と似ている。あの時以来、アメリカは世界各地の民族主義政権、独裁政権になめられるようになった、といえるかもしれない。

●「唯一の被爆国」だけではない日本政府の野心

 そんな中、律義にアメリカに同調し、対インド援助凍結を決めたのが、わが日本であった。日本は「唯一の被爆国」なのだから当然のことだ、と考える読者も多いだろうが、筆者はもう少しひねった見方をしている。

 一つは、イギリスで開かれたG8サミットでは当初、日本の景気対策が不十分であることがやり玉にあげられそうだ、と予測されていたが、インドネシアの暴動と並んでインドの核実験が起きたことで、矛先がそれた、ということがある。日本政府としては、この際積極的にアメリカに協力し、対インド経済制裁に踏み切ることで、国際社会でのイメージ回復を図る、という戦略だろう。

 国内の意志一致が難しい景気対策に比べると、核実験に対する経済制裁には、国内の反対も皆無である。しかも、今回は日本との関係が薄いインドが相手だ。中国が1995年に核実験をした時も、日本政府は援助を凍結したが、その額は5000万ドルだった。今回はその20倍の10億ドルの凍結を決めている。ビジネス関係の薄い国だから遠慮は要らない、というところなのだろう。

 また、インドが核実験による威嚇外交で、国連の常任理事国の座をねらっている、という点も、日本政府にとって引っかかる点であるはずだ。インドの野心をくじき、日本が常任理事国の座を射止めるためにも、経済制裁に踏み切ったのではないか、と筆者はみている。

 

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