燃え上がるチベット人の怒り

98年5月13日  田中 宇


 日本では最近、首つり自殺のニュースが目立つようになり、暗たんとした気持ちが社会に広がっていることを象徴している。

 一方インドでも最近、人々の目を引く自殺があった。それはチベット人による、中国に対する抗議の焼身自殺だった。

 チベットは第二次大戦後、1950年に人民解放軍が進駐して以来、中国の支配下にある。1959年には、チベット社会における政治・宗教の最高指導者であるダライラマ14世が、中国の支配に抵抗して蜂起したが、敗れた。それ以来ダライラマは、インド北部のヒマラヤ山麓の町、ダラムサラに亡命チベット政府を作り、今日に至っている。

 それから40年。インドに亡命したチベット難民たち、そしてチベットに残っているチベット人たちの多くが望んでいるといわれる自治権の獲得(または中国からの独立)は、実現していない。チベット地域は名称こそ「チベット自治区」だが、実際はチベット人による自治の度合いは低い。

 しかも、チベット人たちによると、中国政府は1996年から始めた犯罪取り締まりキャンペーンの一環として、自治権獲得や独立を求めるチベット人に対する弾圧を強めた。

 中国は「厳打」と呼ばれるこのキャンペーンは中国全土で実施され、取り締まりの範囲は刑事犯罪や暴力団組織などに対するものだけにとどまらず、天安門事件以来くすぶっている民主化運動、シルクロードのイスラム教徒ウイグル人の独立運動などに対しても、厳しい摘発が行われた。

 共産党に対する人々の忠誠が失われつつある中で、社会体制を守るため、思想犯、政治犯の取り締まりにも力を入れたのである。

 チベット人組織によるとチベットでは、仏教の僧侶が思想犯として捕らえられ、労働キャンプ(強制収容所)に入れられたり、寺が閉鎖されたりしたという。

 中国政府は「チベットでは経済発展のための公共事業が実施され、チベット族は以前よりずっと幸せな生活を送っている」と主張している。だがどうやら、公共事業だけでは、人間は幸せにはなれないようだ。

 他の地域からチベットに移住してくる漢民族が増え、人口比ではチベット族より漢族の方が多くなっている。公共事業で潤うのは漢族が中心だという指摘もある。

●「ダライラマ万歳」と言いながら自分に火をつけた

 状況悪化の中、このままではチベット人の文化や民族そのものが消されてしまう、という危機感が、インドのチベット難民の間で広がっている。そうした中、今年3月10日、中国の支配に抗議して、6人のチベット人が、インドの首都ニューデリーの中心部にテントを張り、ハンガーストライキを始めた。

 ハンガーストライキは40日以上も続けられ、世界的な注目を集め出した。インド政府は、この動きを迷惑と感じたようで、4月26日、警官隊400人をハンガーストライキ現場に差し向け、6人のうち3人を強制的に病院に運び、点滴で栄養を摂取させた。

 4月28日にも警官隊が押しかけ、残る3人を排除しようとしたところ、ハンガーストライキを続けていた中の一人で50歳の元僧侶、ンゴドゥプ氏が、突然灯油を頭からかぶり、「ダライラマ万歳!、チベット万歳!」と叫びながら、自分に火をつけた。

 警官隊が急いで水をかけたが、全身やけどでンゴドゥプ氏は2日後に死亡した。

 首つり自殺が、自分の心にある苦しみに耐えられなくなって、こっそり死んでいくものだとしたら、この焼身自殺は、その逆をいくもので、死をもって世界に対して主張する行動だった。

●アメリカのチベット問題介入は策謀か?

 このハンガーストライキは、実は非常によく時局に乗った行動だった。

 昨年から始まったアジア経済危機の影響で、中国は経済自由化の速度を上げねばならない状況におかれている。東南アジアの通貨急落で、中国企業の輸出競争力が低下したため、経営難が続いている無数の国営企業の再建を急がないと、失業問題が悪化して社会不安につながりかねない。中国では経済に強い朱鎔基氏を首相に起用し、経済改革を急いでいる。

 そんな中国にとって、世界経済のカギを握るアメリカとの関係を改善することは不可欠だ。米中間の歩み寄りは、昨年秋の江沢民主席のアメリカ訪問に始まり、今年6月末に予定されているクリントン大統領の中国訪問によって、加速しようとしている。

 1989年の天安門事件以来、中国に対して批判的な態度をとり続けてきたアメリカが、中国と再び接近するためには、「人権問題への中国政府の対応を改善させたのはアメリカだ」とクリントン大統領が自慢できる状態を作り出すことが必要だ。

 そして、アメリカにとって中国の人権問題を象徴する二つの柱が、民主活動家への弾圧がなくなることと、チベット問題がある程度解決することであった。(ほかに、中国のキリスト教徒が事実上、信教の自由を認められていないという問題も持ち出されている)

 民主活動家の問題は、1970年代からの有名な活動家である魏京生氏が釈放され、アメリカに行くことを許されたことなどで、政治ショーとしては一定の進展がみられた。

 残るはチベット問題である。アメリカ政府としては、ダライラマと中国政府が40年間途絶えていた対話を始めさせることで、「進展があった」と宣言する、というシナリオを描いているのではないか、と筆者はみる。

 その準備のためか、ダライラマは4月30日から約2週間の日程で、アメリカを訪問している。ニューデリーのハンガーストライキは、こうした流れの上に立つものだったのである。

 これまで、中国の民主化運動は、正確には「漢民族の民主化運動」であり、チベット人など少数民族に対する抑圧のことは、運動参加者の間でも、あまり問題にされてこなかった。

 ところがダライラマは訪米中の5月10日、ボストンで魏京生氏ら漢民族の民主活動家と会談しており、反政府組織の間で横のつながりができつつある。

 アメリカ政府としては、こうした点も「アメリカが中国の人権問題解決に手を貸している」と内外に自慢できる点となる。もちろん中国政府にとっては「内政干渉であり、アメリカの策謀だ」、ということになる。中国政府のダライラマに対する攻撃の言葉の強さも、ヒステリックだった文化大革命時代と同じぐらい、強烈なものになっている。

●意外なことに高まるダライラマ批判

 こうした中、チベット人たちはダライラマのもとで結束して事に当たっている、と思いきや、意外なことにそうとは言い切れない。チベット難民の内部で、ダライラマへの批判が強まっているのである。

 ダライラマは亡命して以来、一貫して非暴力による闘争を主張し続けている。ハンガーストライキや焼身自殺についても、自らの身体を痛めつける行為は、他人に対する暴力と似たところがあるとして、今回のハンガーストライキが始まる以前に、批判的な態度を表明していた。

 だが、チベット難民の若者たちの中には、こうしたダライラマの穏健な方針が、中国の支配を跳ね返せない原因となっている、と考える人が増えている。

 アメリカがチベット問題を重視しているといっても、それはアメリカの都合で動いているだけで、中国に対する一定の効果が挙げられれば、そこで捨てられてしまうだろう、との見方も多い。ダライラマは、米中の大国間のつばぜり合いの道具として、御輿に乗せられているにすぎない、という見方である。

 筆者は、このチベット人の若者の怒りは、イスラエルに抑圧されているパレスチナ人の若者の怒りと、似たところがあると感じる。両者とも、何十年にもわたって自分たちの故郷を奪われ、故郷を見たことがない若者が増えている。

 たとえアメリカが仲介して政治的解決が図られ、リーダーたちは故郷に帰っても、一般の難民の多くが戻れる可能性は薄い。(アラファト議長はガザに戻ったが、パレスチナ難民のほとんどは、まだヨルダン、シリア、レバノンなどに残されている)

 パレスチナ難民の若者が抱いているアラファト氏に対する不満と、チベット難民の若者がダライラマに対して抱いている不満は、同質のものがある。

 ただ違うのはアメリカのスタンスだ。パレスチナ問題の場合、アメリカはイスラエルだけに肩入れし続けると世界から批判されるので、アラファト氏を担ぎ出して「交渉」させるという政治ショーを演じている。チベット問題では、アメリカは中国に対する牽制のために、ダライラマを担ぎ出したのである。

●「生まれ変わり」を探せるか

 さらに、チベット人が危機感をつのらせていることに、65歳というダライラマの年齢の高さや健康問題がある。

 現在のダライラマは、正式には「ダライラマ14世」という。チベットでは、歴代のダライラマは死んでも間もなく、チベット人の男の赤ちゃんとして生まれ変わり、再びこの世に現れる、とされている。同じ人物が何回も生まれ変わっていると考えられているのである。

 このためダライラマが死ぬと、後に残された高僧たちが集まって協議し、生まれ変わりを探し始める。現在のダライラマも、こうして探し出された男の子だった。

 ところが、亡命生活が続く限り、現在のダライラマが亡くなっても、中国政府の妨害などにより、チベットで生まれ変わりを探すことが難しいと予測される。もしくは、中国政府が「当方で次のダライラマを発見した」と発表し、その男の子を中国政府肝いりの存在として育てようとするかもしれない。

 次世代のダライラマ15世が、中国政府の監視のもとで幽閉生活を送るようになったら、チベット人の精神的支柱は失われ、民族として消えてしまう可能性が高くなる。

 チベットではもう一人、転生による代替わりシステムが行われてきた人物がいる。チベット仏教のナンバー2であるパンチェンラマである。先代のパンチェンラマ10世が1990年に亡くなった後、6年間の探索期間を経て、ダライラマ側と中国政府は、それぞれ別な男の子を「生まれ変わりだ」と主張して擁立した。

 結局、ダライラマ側が見つけ出した男の子は中国側によって行方不明にされてしまった。中国側が擁立した男の子は現在8歳。北京で幽閉に近い生活を送っている。

 ところが最近、ダライラマ側が擁立した男の子は、チベットから数百キロ離れた甘粛省で、中国側の監視のもとに生存している、とチベット人組織が発表した。一方、中国政府が擁立した男の子も、2月に突然、北京の寺院を参拝し、久方ぶりに公衆の面前に姿を現した。

 これらの動きは、米中交渉でチベット問題がクローズアップされていることと、関係が深いように思われる。事態は動いているのである。

 

 


外のサイトの関連ページ

Tibetan Government in Exile's Official Web Site

 亡命チベット政府のホームページ。チベット関連のニュースも充実している。英語。

Patience Of Tibetans Wears Thin

 Christian Science Monitorの記事。5月4日。英語。

日本チベットホームページ

 チベット関連のリンク集など。日本語。





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