通貨統合で世界最強への復活めざす欧州

98年5月9日  田中 宇


 1968年、ドイツの首都ボンにヨーロッパ各国とアメリカの金融当局者が集まり、会合が開かれた。テーマは、ドイツの通貨マルクの為替レート問題であった。

 当時、アメリカはベトナム戦争を継続中で、戦費をねん出するために財政赤字が拡大し、インフレ傾向が強まっていた。ヨーロッパ経済もフランスなどが不振となる中で、西ドイツだけが好調だった。

 この不均衡を変えるため、欧米の当局者たちがドイツに対して、マルクの切り上げを要求したが、ドイツは抵抗していた。切り上げに応じれば、輸出産業が打撃を受けるからである。会議では、マルクの切り上げではなく、ドルの切り下げなど、アメリカ側の対応を求める声も出た。

 それに対して、アメリカの財務長官だったヘンリー・フォーラーが放ったのは、「ドルは太陽のような存在である。太陽は動かないものだ。変化が必要なとき、動かねばならないのは、太陽ではなく、惑星の方だ」という言葉だった。

 ドルが太陽なら、マルクなどヨーロッパの通貨は惑星のようなもの。惑星たちがえらそうに、太陽に向かって命令する権限などない、という主張であった。

 ドイツをはじめとするヨーロッパ諸国の通貨当局者の多くがこの時に感じた屈辱こそが、来年には実を結ぼうとしているヨーロッパ通貨統合を推し進めるための、大きな原動力の一つとなった。

 このエピソードは、最近イギリスでテレビのドキュメンタリーとして制作され、全ヨーロッパで放映された。屈辱忘れじ、というわけである。

●戦争防止策として始まった欧州統合

 ヨーロッパの通貨統合は、来年1月、ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、オランダ、ベルギーなど、EU15カ国のうち11カ国が参加してスタートする。

 参加各国の中央銀行は、今年中かけて金融政策を一本化していき、来年1月に、政策を実施する権限を、新しく設立される欧州中央銀行に引き渡す。

 通貨を発行する権限は、その後3年間、各国の中央銀行に残され、その間、新通貨「ユーロ」は、現金としてではなく、小切手や銀行口座、株式や債券の額面としてのみ使われることになる。預金者は銀行で、自国通貨建てとユーロ建ての両方の口座を持てるようになる。

 こうした3年間の移行期間を経て2002年1月、各国の通貨はユーロに切り替えられ、その6ヶ月後には廃止されることになっている。

 ヨーロッパ諸国が通貨統合によって目指している目標は、ヨーロッパの世界的な地位の復活である。ヨーロッパは2度にわたる大戦で破壊され、戦後は世界の中心地としての地位をアメリカに奪われてしまった。

 ヨーロッパの人々は、自分たちが大戦を2回も引き起こしたのは、ドイツとフランスという大陸の2大勢力が覇権争いを止めることができなかったからだ、という反省を持っている。再び自滅行為を繰り返さないためには、ヨーロッパ諸国の関係が、対立ではなく統合に向かわねばならない、と考えられた。

 ヨーロッパ統合の考え方は、19世紀にドイツがフランスと対抗する勢力になったころから存在していた。1920-30年代になると、ドイツの通貨の不安定さを乗り越えるための通貨統合構想が打ち出された。だが、その後ドイツではナチスが台頭し、ヨーロッパは再び戦場と化した。

●七転び八起きの執念

 戦後、1952年にEUの前身である欧州石炭鉄鋼共同体が設立され、再び統合への道が始まった。1960年代までは、アメリカが中心となって世界の通貨を安定させるブレトン・ウッズ体制がうまく機能していたため、通貨統合を目指す動きはあまりなかった。

 だが、ベトナム戦争でアメリカが疲弊し、1971年にニクソン大統領が金とドルの交換停止を発表してブレトン・ウッズ体制が機能しなくなると、ヨーロッパでは再び通貨統合を目指す動きが強くなった。

 その動きは1978年、欧州通貨制度(EMS)として結実する。EMSは、EU各国の通貨の変動を、協調介入などによって抑えようとする仕掛けだった。だが、この制度は政治によって振り回された。フランスやイタリアは自国経済を守るために通貨切り下げを繰り返し、ミッテラン大統領は政策の足かせとなるEMSから離脱することすら検討した。

 こうした教訓から、各国が同じ通貨を使うという究極の通貨統合が実施されない限り、通貨の安定は実現できない、という考え方が、独仏政府内に広がり、1992年にマーストリヒト条約が結ばれた。

 だが、生真面目で決めたことをやり通すことを重視するゲルマンの気質に基づいたドイツの金融政策と、現実を重視するあまり奔放に流れがちなラテンの気質に立脚するフランスやイタリアの金融政策を、一気に統合しようとするこの計画は、うまくいくはずがない、と考える人が多かった。

 通貨投機筋の人々は、こうした懸念に乗じてイタリアのリラやイギリスのポンドを大量に売り浴びせ、リラとポンドをEMSで定めた相場圏から離脱させてしまった。昨年、東南アジアの通貨に対して仕掛けられたのと同じ手法の荒稼ぎである。

●良貨を駆逐する悪貨を許さず

 こうした試練を経ながらも、ヨーロッパ各国は、マーストリヒト条約で定められた、通貨統合への参加条件をクリアしようと努力し続けた。財政赤字を大幅に減らし、インフレがほとんどない状態を維持する、というのが条件だった。

 財政赤字が多いと、その国の通貨への信頼が失われる。財政赤字が多い国と少ない国が通貨を統合すると、「悪貨が良貨を駆逐する」という原則によって、赤字が多い国の通貨の方に引っ張られてしまう。これではがんばって財政赤字を減らしている国が損をすることになる。そのため、マーストリヒト条約で、財政赤字の割合を制限したのだった。

 財政赤字の削減は、政府予算のカットを意味した。多くの国で公共事業が減らされて失業が急増し、社会保障も削られた。

 フランスやドイツでは、大規模なストライキが繰り返された。政府に不満を持つ国民が増え、通貨統合のバックボーンとなっている汎ヨーロッパ主義の反対側にある、国粋主義的な考えを掲げる極右政党が力を伸ばした。

 それでも、EUの15カ国のうち、ギリシャ以外の国は、何とか通貨統合参加の条件をクリアした。政治的判断によって、今回は統合への参加を見送ったイギリス、スウェーデン、デンマーク以外の11カ国が、通貨統合に踏み切ることになった。

●冷戦とともに終わる「夢の福祉国家」

 こうした、理想に向かって努力するヨーロッパ諸国の人々の姿は感動的だ。だが筆者には、それだけではないように見える。通貨統合のためだけに、与党の政権の座が危なくなるような大きなリスクをおかすとは、どうも思えないのである。

 そんな疑念を持ってマーストリヒト条約後のヨーロッパを見ると、通貨統合とは別の目的が見えてくる。それは、アメリカが冷戦後の世界で推し進めている、経済の自由化の流れに乗り遅れないようにしよう、という目的である。

 ヨーロッパ諸国は戦後、社会保障を重視する政策を取り続けてきた。東西冷戦は、社会主義と資本主義のどちらが住みやすいか、という競争でもあったから、西ヨーロッパの国々が社会保障制度を充実させることは、時代の要請でもあった。

 1980年代後半になって、冷戦の終わりが予感されるようになると、アメリカはいち早く冷戦後の体制に移行していった。政府は税金を減らすと同時に社会保障も減らし、規制を撤廃すると同時に政府が行ってきた各種の機能を民間に委譲する民営化を実施した。

 企業も同様に、従業員を減らす合理化(ダウンサイジング)を進めた。人類が平等に豊かになることを目指した社会主義の実験が失敗したと判断できる以上、平等を重視するのではなく、人々のやる気を促す信賞必罰の新自由主義が望ましい、というわけだった。

 これは政府と企業の理論であり、必ずしも人々が感じていることではなく、貧富の格差が広がってしまうという欠点もある。だがアメリカ経済は、新自由主義の政策が始まった1990年代に入って、上昇基調が続くようになった。

 サッチャー首相が同様の政策を推し進めたイギリスでも、ロンドンが国際金融都市として復活するなど、成功をおさめた。これを見て、西ヨーロッパ各国の政府要人たちが、冷戦時代と同じ社会保障重視を続けていてはまずい、と思ったとしても不思議はない。

 だが、「皆さんの社会保障を削ってもいいですか」と国民に尋ねても、OKしてもらえるはずがない。選挙を通じて正直に問えば、政治家は落選してしまうだろう。選挙民は、自分の生活を引き下げそうな政治家より、耳触りの良い言葉を放つ政治家に、投票しがちだからである。

●通貨統合は巨大な合理化策?

 こうした「民主主義の限界」ともいえる状況にぶつかった時に現れたのが、マーストリヒト条約であった。

 ヨーロッパの悲願ともいうべき通貨統合を実現し、かつてのような世界的な強さを持ったヨーロッパを蘇らせるために協力してくれませんか、と国民に問えばいい、というわけだった。

 マーストリヒト条約が結ばれた1992年はちょうど、ヨーロッパの景気が良い時だった。ヨーロッパはその後不況に入り、この時に定められた条件をクリアすることは、各国政府にとって非常に高いハードルとなった。ドイツやフランスの失業率は10%を超えた。

 だが「すべては通貨統合のため」という大儀の効果は大きく、ヨーロッパの政府や企業は、アメリカが10年以上かけて実現したスリム化、ダウンサイジングを、短期間で成し遂げるメドをつけたのだった。

 いったん通貨統合が実現してしまえば、参加各国の政府が経済政策を自由に変えることはできなくなる。国民が選挙の力で政策を変えようと思っても、経済政策の面ではできることが減ってしまう。

 国粋主義の政治家が政権を取り、通貨統合から離脱しようとしても、国家はすでに通貨の発行権すら奪われてしまっている。離脱すれば大混乱になってしまうので、実現はまず無理だ。

 つまり、政治家を通じて経済政策を変えるという、これまで国民が (名目上だけかもしれないが) 持っていた権利の一部が、欧州中央銀行という官僚組織の手に移りつつあるのである。これでは、民主主義を自ら捨てていることにならないだろうか。

 民主主義というシステムはヨーロッパの人々が考案したものだ。先駆者である彼らが「脱民主主義」ともいえる動きをしているということは、大きな時代の流れが変わりつつあるのかもしれない。





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