飢餓の北朝鮮で何が起きているか98年3月10日 田中 宇 | |
中国・吉林省の東部、北朝鮮との国境沿いに、延辺朝鮮族自治州という地域がある。第2次大戦前、ここは日本が支配する「満州国」の一部だった。その時代、日本は植民地だった朝鮮から、延辺やその他の満州国内へと、朝鮮人の移民を奨励(または強制)する政策をとっていた。 朝鮮では、1910年に日本が植民地にしてから、日本語教育や各種の「日本人化」政策が実施され、日本人にとって朝鮮人は、満州に住む多くの中国人よりも扱いやすい人材だった。そのため、多くの人が朝鮮から満州に移住し、日本の敗戦後も、約200万人の朝鮮系住民(中国では「朝鮮族」と呼んでいる)が延辺に住んでいる。 最近まで、延辺には日本占領時代からの建物が多く残っていたが、1980年代後半に中国が改革開放政策を始めると、この地域には韓国企業が多く進出し、新しいビルが次々と建てられた。韓国に比べて労賃が安い上、韓国語が通じる地域だったからである。 この地域は中国と北朝鮮、ロシアの3カ国が接する地域で、ここに国際貿易都市を作って「北の香港」にしよう、という「豆満江開発計画」も立てられた。豆満江とは、中国の延辺と北朝鮮の国境を流れる川の名前である。(中国では「図們江」とも呼ぶ) だが今、アジア経済危機によって、韓国経済は大打撃を受け、中国とロシアの関係もあまり好転しないまま、開発計画は座礁している。延辺各地には、地ならしされたまま、建物が建たずに放置されている工業団地、立派に建ったものの入居者がないビルが目立っている。 ●近代史上最悪の飢餓? だが、輝かしい「北の香港」の構想が消え、再び忘却の地へと後戻りしようとしているかのような延辺の地に最近、異様な訪問者が増えている。夜はマイナス20度以下にもなる、この極寒の地に、着の身着のまま、コートも着ず、時には裸足で北朝鮮から逃げてくる人々が、後を絶たないのである。 餓死寸前の状態で、延辺の国境沿いの町の家々の戸をそっとたたき、食料を恵んでくれと頼んだり、ごみ捨て場を漁る人もいる。図們江の河原近くで凍死体で見つかる人もいる。中朝国境は南北に1700キロあり、延辺はその北端に位置するが、南の方の鴨緑江沿いの国境地帯にも、北朝鮮難民が流入しており、その総数は4万人に達すると推定されている。 北朝鮮からの難民は昨年春から目立つようになった。北朝鮮の食糧不足は、秋に収穫された作物を食べ尽くしてしまう春先から、次に食物がまかなえるようになる夏までが、最も厳しく、食べ物がなくなった北朝鮮の人々が、町を離れて農村をさまよい、その果てに食料を求め、中国へと越境してくる、ということのようだ。難民の多くは、食糧配給が途絶えた都市の住民で、農村に住んでいた人は少ない。 そんな中、衝撃的な報告書が、最近発表された。約2400万人の北朝鮮の人々のうち2割、500万人前後が、すでに飢餓によって死亡した可能性がある、というものだ。 これは、韓国の仏教系NGOが、昨年10月から4ヶ月かけて、北朝鮮から延辺に逃げてきた難民500人弱に聞き取り調査をした結果である。難民たちに「あなたの家族で、1995年以後に餓死したり、病死したりした人は何人いますか」といった質問をしたところ、対象者の家族のうち、30%近い人々が死んでいたことが分かった。この比率を北朝鮮全体に広げると、500万人という数字が推定できる、としている。 近代に入ってからの世界の大飢餓といえば、1980年代中頃のエチオピアで4000万人の人口のうち100万人が死んだ飢饉、1950年代末の中国で「大躍進」政策の失敗により、人口5億人のうち3000万人が死んだといわれる飢饉などがあったが、いずれも国民全体に対する死者の割合でみると、北朝鮮よりは少ない、ということになる。 ●毎朝20人が餓死していた さらに衝撃的なのは、聞き取りに応じた人々の証言だ。たとえば、32歳のキムさんという女性は、北朝鮮北東部の工業都市、咸興(ハムフン)に住み、靴工場に勤めていたが、かなり以前から勤務先の工場は閉鎖されたままで、過去2年間、食料の配給はほとんどなかったという。北朝鮮の食料流通の8割は、配給に頼っており、配給がないということは、食料がほとんど手に入らないということだ。彼女の夫を含む男性たちは、農作業のため、集団で田舎の方に駆り出され、そのまま戻ってこなかった。 残された家族は、食べ物が全くないまま飢え、彼女は閉鎖された職場で手に入れた銅地金を持って中国との国境地域に行き、国境沿いに立つ市場で食料と交換して帰ってくることにした。だが駅に行っても、何日も列車は到着せず、駅で待っている無数の人々のうち、毎朝20人ほどが餓死していった。 人々は死ぬずっと前に身分証明書を食料と交換してしまっていたので、死者の身元も分からなかった。(厳しい管理社会の北朝鮮では、身分証明書は金になる最後の財産である) こうした事情から、北朝鮮当局も、死者の数すら把握できない状況にある。 ようやく国境沿いの町、恵山市にたどり着いたが、銅地金は警察に没収されてしまい、身一つになった彼女は、餓死を免れようと、凍てついた豆満江を夜中に渡り、中国側に入った。女性たちの中には、中国側に売られていく人も多いという。山地が多い両江道では、飢えた人々が人肉を食べたという未確認情報もある。 6歳以下の子どもは、海外からの援助食料が配給される施設に入ることができるが、それ以外の人々は自宅で飢えるか、食料を求めてさまようしかない、との証言が多い。 ●中国は難民追い出しに必死 難民たちは、中国に入っても安心できない。中国政府は、越境者を見つけ次第、北朝鮮に送還する方針をとっているからだ。中国当局は、越境者がいることを当局に通報すると、一人見つけるごとに5元(約70円)の報奨金を出す制度を作った。逆に、越境者に食物を渡したり、雇ったりしたことが見つかれば、最高で5万元(70万円)の罰金を科せられる。 中国側では、朝鮮族は同胞ということで暖かく迎えてくれる人も多いが、延辺の人口の約半分を占める漢族(漢民族)に見つかれば、通報される可能性が高い。北朝鮮に送還されれば収容所に入れられ、死はますます近くなる。中国側では山狩りが定期的に実施され、山中に隠れている北朝鮮の人々を探し出している。越境者はなるべく早く国境沿いから脱出し、中国内陸部の大都市に向かおうとするが、国境近くには検問所が多く、難しい。 こうした報告書の内容に対して、アメリカ政府や国際援助団体の多くは、大げさに語られすぎている、とコメントしている。「中国に越境してきた人々は、北朝鮮の中でも特に飢饉の被害を受けている人たちであり、これがそのまま北朝鮮全体の餓死者数をはかる根拠にはなりにくい」「聞き取り調査の対象となったのは難民だが、難民は一般に、自分の苦境を大きく見せたがる傾向がある」といったことが、その理由だ。 北朝鮮における餓死者について、アメリカ政府は100万人以下、国際的な援助機関である「ワールドビジョン」は200万人程度、と推測しており、餓死者500万人という数字は、それらをはるかに上回る。だが、北朝鮮からの越境者に対して直接、大規模な聞き取りをしたのは、今回が初めてであり、その意味で報告書の内容は重要といえる。 ●奇妙な三つの経済体制 実は、国連の食糧援助機関、「世界食糧計画」(WFP)が北朝鮮に対して行っている食糧支援は、WFPの歴史始まって以来の大規模なものだ。しかもWFPはこれまで「援助食糧の配給は末端に至るまで、問題なく実施されている」と主張してきた。それなのになぜ、「過去2年間ほとんど配給がなかった」という証言が出てくるのであろうか。 一つの可能性は、援助食糧が飢えた人々に回らず、軍や労働党に優先的に分配されているかもしれないということだ。WFPなど支援する側の援助機関は、受け取る側の地域に代表団を派遣して、配給がきちんと実施されていることを見届けることができるよう、北朝鮮側と掛け合った。 だが、監視団はずっと地方にとどまることが認められず、一定期間がすぎれば、首都のピョンヤンに戻らねばならない。監視団が帰った後、配給先が変えられる可能性は残っている。 北朝鮮には、三つの経済があるといわれている。一つは軍、二つ目は朝鮮労働党、そして最後が一般の人々の経済である。以前から、この三つの経済は、生産や流通システムが別々に組まれていた。軍は国家からの食糧配給のほかに、独自の農場を持ち、そこで生産した食糧を独占的に消費してきた。今、飢えているのは、三つ目の「平民経済」の話である。 金日成主席は晩年、中国の改革開放に見習って外資導入や経済の自由化を進めようとしたが、それによって、この三つの経済が一つに融合していく可能性があった。1990年にソ連が崩壊し、北朝鮮経済の根幹であったソ連東欧との貿易体制が消滅したため、こうした動きに拍車がかかる。1991年には、中国・ロシアとの国境地帯にある羅津・先鋒地区を経済特区として開発する方針を決め、外国資本との合弁事業のための法律整備なども進めた。 だが、北朝鮮には韓国との対立という大きな軍事問題があるため、軍の特権を減少させることはできず、政治的な権力集中体制を変えることもできないため、経済自由化は芳しい成果を上げなかった。 ●金日成の死去で自由化への動きが逆行 そうこうするうちに、1994年に金日成主席が死去してしまう。北朝鮮にとっては極度の国家危機である。そこで非常事態として、軍の権限増大が行われた。金日成主席の死去に乗じ、内外の反対勢力によって、北朝鮮の体制転覆の策動がなされるかもしれない、という懸念から、経済の自由化は見送られ、軍と党の力は、逆に強化されることになった。 北朝鮮は、少ない資金や資材を、軍事力の維持に注ぎ込み続けた。1995年から2年連続で水害が発生しても、実は復旧に国力を挙げて取りかかるという状況ではなかったことが想像できる。すぐ隣の韓国ではほとんど被害が出ない台風でも、北朝鮮では大きな被害につながってしまうという状態が続くことになった。 北朝鮮の農業が破壊されたのは、天災による要因だけではない。むしろ、毎年続けて作ると地力が奪われてしまうトウモロコシを毎年作ったり、山の木々をすべて削って農地にしため、災害に弱くなってしまった、という原因の方が大きい。農業政策が根本から間違っていたのである。 金日成主席の死後、経済が悪化して民間部門に回す物資がなくなってしまったため、工場や農場ごとに「自力更生」をさせる政策が1996年から始まった。工場にとっては、原料や燃料が足りない部分を、自分たちの工夫で見つけてこい、という指示であり、ほとんどの工場が閉鎖を余儀なくされた。 農場にとっては、作物の一部を自由に売ってよい、という指令になった。自由市場は当初、10日に一度しか開くことを許されなかったが、そのうち毎日開いても黙認されるようになり、閉鎖された工場から外してきた機械類なども売られるようになった。機能を停止した国家社会主義経済に代わり、この自由市場(ブラックマーケット)が民間経済の主流となった。市場で売るものがなくなった人には、飢えが待っていた。 役人にとって自力更生とは、賄賂をとることを意味した。外交官にとっては、外交特権を使って麻薬取り引きなどによって自分たちで金を稼げ、ということになり、世界各地で北朝鮮の外交官が非難の的となることにつながった。北朝鮮の実態は、禁欲的な社会主義のイメージから最も遠いものになっている。 ●朝鮮統一はどこの国も望まない? もう一つ、食糧援助が一般の人々に届いていない可能性について、国際機関やアメリカが無頓着とも思える態度を取っている理由として、考えられることがある。それを説明するには、北朝鮮をめぐる国際情勢の流れをつかむ必要がある。 冷戦が終わり、次は経済重視の時代が来る、ということが予期された時、金日成主席が最初に考えたことは、日本からの賠償金をテコに、北朝鮮経済を立て直す、という計画だった。冷え込んでいた日本との関係を改善し、日本から植民地支配に対する賠償金を引き出した後、その金を使って日本企業に港湾や道路、工場などの経済基盤設備を作らせる、という方法である。 これは戦後、インドネシアなどが日本との間で行ったやり方で、その後で日本のODA(政府開発援助)増大につながっていく。この方法は日本企業に仕事が入る上、基盤施設が整えば、その後で日本のメーカーが工場を作りに行き、両国にとってますます結構、という仕掛けだった。この線で自民党のドンだった金丸信氏が訪朝し、金日成主席と会って感涙にむせぶことになった。 だが、この動きを聞きつけてアメリカが介入する。アメリカは日本に圧力をかけて北朝鮮との交渉の主導権を握った後、核ミサイル疑惑をテコに新しい原子力発電所の建設を北朝鮮に持ち掛け、それから食糧援助にとりかかった。 アメリカは、ソ連が崩壊した今こそ、アジア大陸極東部における利権を確保する必要があると考えている。ソ連崩壊後、ロシアは極東・シベリア地域での十分な国家運営ができず、権力の空白地帯が生まれる可能性がある。こうした中で北朝鮮国家が崩壊した場合、極東における国家間の力のバランスが崩れ、予測できない展開になるかもしれない。 この空白を埋めそうなのは中国と日本、韓国だが、いずれも勢力が拡大すれば、アメリカの言うことを聞かなくなる可能性がある。また、不安定な状態は経済にとってもプラスとはならず、アメリカはロシアと北朝鮮の体制が崩壊しないよう、気を配らねばならなくなった。 韓国が北朝鮮を併合すれば、大国となった韓国に対し、中国と日本は警戒感を強めるだろう。国民にとって隣国の統一は喜ばしいことかもしれないが、日本政府にとっては喜んでばかりもいられない。中国にとっても、北朝鮮がなくなれば、韓国と直接国境を接するようになる。これは中韓両国にとって避けたい事態といえる。 北朝鮮が崩壊したら、何百万人という難民が38度線を超えて韓国にやってくるかもしれない。今でさえ、極度の経済不振に陥っているのに、これに加えて北朝鮮の人々を養うことは、韓国には無理なこととも思える。もし38度線が渡れない現状が続いていれば、難民は韓国には来ないのである。 こうした事情から、アメリカだけでなく、日本や中国、そして韓国までも、北朝鮮の崩壊は望んでおらず、むしろ現在の体制がしばらく続いた方がいいと考えている可能性が強い。そのため、援助した食糧が軍に優先的に分配されたとしても、それはむしろ北朝鮮の体制崩壊を防ぐこととして、黙認されているのではないか、と筆者は考える。 ただ、北朝鮮に体制改革の可能性が少ない以上、飢餓は広がりこそすれ、縮小する可能性もまた低い。いつまでも現在のような状態を続けられないことは、アメリカや周辺国も分かっているはずだ。韓国では金大中新大統領が、北朝鮮との関係改善の意志を表明しており、南北直接対話が始まって、事態が変わる可能性もある。
外のサイトの関連ページ東京万華鏡に載った記事。延辺に逃げてきた北朝鮮難民の証言。続編もある。 「羅津・先鋒特区」がアジア危機で打撃を受けている、という世界日報の記事。 松下政経塾、平島廣志さんの論文。
新聞などに載った英文記事記事はすべて英文です。 ●North Korea's Crisis Management Measures, and Their Limits コリア・ヘラルド(韓国英字紙)に載った、北朝鮮の政策変化についての論説記事。 ●Famine Witnessed by 472 North Korean Refugees Interviewed in China 韓国の仏教団体が延辺で実施した難民聞き取り調査についての説明。 ●サウスチャイナ・モーニングポスト
●Inside View of N. Korea Famine アメリカの新聞、クリスチャンサイエンス・モニターの記事(97年8月26日付)
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