イラク危機・アメリカの中東政策を台無しにしたクリントン

98年3月1日  田中 宇


 イラクをめぐる情勢は、国連のアナン事務総長がサダム・フセイン大統領との間で合意文書を取り交わしたことで、アメリカがイラクを爆撃する危機は去った、と思われている。

 アラブ諸国は安堵感を表明し、ニューヨークの国連本部に帰ってきた事務総長はヒーロー扱いされた。クリントン大統領とフセイン大統領の両方が「勝利宣言」を行った。当サイトにも「戦わずに勝ったクリントンの強運」という、MSNBCの翻訳記事が掲載された。

 だが筆者には、ほとんど問題は解決されていないように見える。今回、アメリカ軍の爆撃が行われなかったのは幸いだったが、今回の危機によって表面化した中東情勢の矛盾と行き詰まりは、今後もっと深刻な危機が来る、という予測にしかつながらない。

 クリントン大統領は、とてもではないが「戦わずに勝った」などといえる状況ではない。むしろ、ブッシュ政権時代に築いた中東和平を、クリントン政権が壊してしまった、と非難されてもおかしくない状況にある。(時代の流れからみて、和平が壊れるのは不可避だったのかもしれないが)

●中東問題の根幹はパレスチナ

 クリントン政権が中東外交において危機的な状況にあるのは、アラブ諸国のアメリカに対する信頼感が失われているためだ。ロシアやフランスなど世界の大国、それからアメリカ国内の世論も、クリントンの中東政策に異議を唱えている。

 中東諸国の対米不信感の根底には、パレスチナ問題がある。欧米や日本では、イラクとアメリカの対決ばかりが注目されているが、アラブ世界で最も重要な外交問題は、イスラエルがパレスチナ人の土地を奪い、抑圧しているということである。

 イスラエルは1993年のオスロ合意で、パレスチナ人に土地を返すことを約束しながら、その後は土地を返還するどころか、逆により多くの土地を、イスラエル人の入植地として接収している。オスロ合意以降の4年間で、パレスチナの土地の約10%が、新たにイスラエル入植地になっている。

 国連はイスラエルがパレスチナ人に土地を返し、レバノン南部への侵略からも撤退するよう求める決議を行ったが、イスラエルはこの決議に従っていない。しかもイスラエルは秘密裏に核兵器を開発・保有しており、国際社会の求めにもかかわらず核拡散防止条約に加盟せず、核査察にも応じていない。

 イスラエルは国連決議に違反している上、大量破壊兵器も不正保有しているのである。つまり、イラクと同じ罪を犯している。なのに、イラクがアメリカから何回も攻撃されているのに比べ、イスラエルには何のおとがめもない。

 そうした現状に対し、「これはおかしい。アメリカは二枚舌を使うのをやめろ。イスラエルの横暴を制裁するか、さもなくばイラクへの攻撃をやめよ」というのが、アラブの人々の主張であり、反米・親イラクのデモ行進の原動力となっている。

●湾岸戦争で接近したアメリカとアラブ

 歴史的にみると、アラブの人々が常にアメリカを敵視していたわけではない。1996年あたりまでは、アラブ世界には親米派も多かった。

 1991年の湾岸戦争時、危機的状況にあった中東情勢は、その後、パレスチナ問題の解決に向けて道筋を開いた1993年のオスロ合意、そして1994年のヨルダンとイスラエルの和平合意へと、良い方向に動いていった。

 オスロ合意は、イスラエルがパレスチナ人から奪ったヨルダン川西岸とガザの2地域をパレスチナ自治政府に返還する代わりに、パレスチナ人はイスラエルに対する蜂起(インティファーダ)やテロ活動をやめ、アラブ諸国もイスラエルに対する敵視を和らげて、共存共栄をはかる、という合意だった。

 オスロ合意が締結されたのは、1992年に政権についたイスラエルのラビン首相が和平重視の姿勢をとったことが一因だが、もう一つ、湾岸戦争を機に、アメリカとアラブ諸国のつながりが深まったことも、大きな原因とされる。

 たとえば、湾岸戦争の最中にイラクはイスラエルをミサイル攻撃し、イスラエルはこれに報復しようとしたが、ブッシュ大統領はこれを中止させる措置を取った。このことはアラブ諸国に対して「ブッシュにはイスラエルの暴走を止める意志がある」と思わせる効果があり、中東和平への気運を高めた。

●ラビン暗殺で暗転

 だが1995年にラビン首相が暗殺され、その後に出てきたネタニヤフ政権は、パレスチナ人への土地返還に反対する右派であり、オスロ合意を守らない姿勢を強めた。イスラエルはパレスチナ人に返還することになっていた東エルサレムにイスラエル人入植地を作ったりした。

 この間、1993年にブッシュのあとを継いだクリントン政権は、イスラエルに対する警告措置をほとんど取らなかった。

 さらに1996年には、CIAが仕掛けたサダム・フセイン政権の転覆計画が、イラク側に発覚してつぶされた。アメリカはミサイルを使っても、CIAを使っても、フセイン政権を倒せない、ということがはっきりした。

 イラク問題でCIAが動き出したのは、爆撃によってサダム・フセイン政権を倒すことはできない、ということが湾岸戦争の結論だったからである。

 これはフセイン大統領が、爆撃を警戒して、大統領府などの施設内で寝起きせず、毎晩、民家が密集している地域の一般家庭に泊めてもらい、毎晩違う家にいたことが一因だったとされる。

 アメリカは軍事施設や大統領宮殿は爆撃しても、民家の密集地域を爆撃することはできない、という点をフセインは突いていた。(彼は今もそのような生活を続けているらしい)

●お粗末だったCIAの作戦

 そこで湾岸戦争後、アメリカが考えたことは、イラク国内で反フセインの反乱やクーデターを起こすことだった。CIAは2つの集団に目をつけた。イラク北部でフセイン政権の抑圧を受けていた少数民族、クルド人と、ロンドンなどで反フセインの組織を作っている亡命イラク人である。

 CIAは、クルド人に戦闘訓練をほどこして、反乱の計画を進めるとともに、亡命イラク人と、イラク内部の隠れた反フセイン派との交流を盛んにしようとした。

 だが、この策謀はイラク国内に張り巡らされた治安情報収集の網に引っ掛かり、発覚してしまう。フセイン大統領は、亡命イラク人組織の中にスパイを潜り込ませて計画の全容を探り出し、イラク政府内の反フセイン派を大量に処刑するとともに、イラク北部に軍を派遣し、クルド人の拠点を制圧してしまう。1996年夏のことだった。

 この時、CIA要員は、イラク軍の攻撃の直前、クルド人幹部たちを置き去りにして、イラク北部からトルコへと、命からがら脱出した。アメリカは偵察機などでイラク軍の進撃を察知していたにもかかわらず、クルド人を見殺しにしたのであった。

●中東情勢に無神経だったクリントン

 クルド人の拠点地域は、国連決議によって、イラク軍が侵入してはならない地域に指定されていた。クリントン大統領は、イラク軍の攻撃に対する制裁として、イラク南部にある軍事レーダー施設を爆撃した。

 このとき、クリントン大統領は、サウジアラビアなど、アラブ諸国に対する事前の相談なしに攻撃に踏み切った。このことによって、アラブ側はクリントン政権に対する不信感を抱くことになった。

 当時すでに、イスラエルはネタニヤフ政権となり、反アラブ色を強めていた。そのためアラブ世界では反イスラエル、反米の意識が強まっており、サウジやヨルダンでは、アメリカ寄りの政策をとる政府への反発が強まっていた。イラクに対する国連の経済制裁も長引き、イラク国内の窮乏に対するアラブ世界での同情も強くなった。

 そんな微妙な状況なのに、クリントン大統領は、アラブ諸国に何の相談もなく、ミサイルをイラクに撃ち込んでしまった。アラブ諸国は「クリントンはブッシュと違って、アラブのことが分かっていない」と思い始めた。

 そうした経緯からの教訓を無視して、クリントン政権は今回再び、ミサイルの威嚇によって、フセイン大統領の態度を改めさせようとした。しかもCIAはいまだに、ロンドンの亡命イラク人たちを使い、フセイン政権を転覆させようと目論んでいるという。(2月26日のニューヨークタイムスに記事が出ていた)

 フセイン大統領は、クリントン大統領のことを、嘲笑っているに違いない。

●国連制裁の解除を狙うフセイン大統領

 にもかかわらず、フセイン大統領が国連の査察を再び受け入れることに同意したのは、査察の受け入れによって、国連の対イラク制裁が解除される可能性がある、と読んだからであろう。

 フセイン大統領にとって厳しいのは、アメリカの攻撃より、経済制裁によって、反サダムの意識が強まっていきそうなことだ。今回のイラク危機により、アラブ世界における反米親サダムの意識は強まり、孤立感が減った。この状態で経済制裁が解除されれば、イラクはアラブの大国として、影響力を持つことができる。

 これはアメリカや、サウジアラビア、ヨルダンなどアラブの親米政権にとって、恐いシナリオだ。フセイン大統領のカリスマ性によって、ヨルダンやサウジで反政府運動が広がる可能性がある。

 もともとヨルダンやサウジの王制は、イギリスなど植民地支配者の都合で作られた経緯があり、国民にとって正統性の面で疑わしい部分がある。そこに「アメリカとイスラエル、そしてアメリカの傀儡政権を追い出せ」とフセイン大統領が呼びかけると、非常に危険なことになりかねない。

 実際、すでにヨルダン南部の町マアンでは、イラク支援のデモ行進が反政府デモへと変化したため、軍の厳戒態勢が引かれている。

●クリントンは戦わずして追いつめられている

 アメリカ政府の高官はすでに「イラクが国連の査察を受け入れても、フセイン大統領が退陣するまで、アメリカは対イラク経済制裁の解除には反対し続ける」と宣言している。

 その理由は、フセイン大統領が、これまで国際社会に対して嘘をついてきたので信用できないから、ということだそうだ。

 フセイン大統領は、制裁解除の可能性がないとなれば、いろいろな理由をつけて査察への妨害を再開するだろうし、そうなると再びアメリカは、イラク爆撃のカードを出さざるを得ない。

 しかし、すでにロシアやフランスの爆撃反対ははっきりしているし、アメリカ国内の世論も、イラク攻撃には反対である。クリントン大統領は「戦わずして、追いつめられている」のである。

●イラク危機で得したネタニヤフ

 そして一方、パレスチナ和平交渉は、暗礁に乗り上げたままで、アメリカはイニシアチブを取れないでいる。

 昨年夏あたりから、イスラエル国内とアメリカで、ネタニヤフ政権の強硬姿勢への反発が強まった。こうした中、1月下旬、クリントン大統領はネタニヤフ首相と、パレスチナ自治政府のアラファト議長をワシントンに別々に呼び、オスロ合意に沿ってパレスチナ和平を進展させようとした。

 だが、それとほぼ同時期に、イラクの査察問題でアメリカが態度を硬直化させ、パレスチナ和平に関する話題はイラク危機に押され、かき消されてしまった。

 そして、イラクがイスラエルをミサイル攻撃する可能性が高まったとして、イスラエルではガスマスクが配布され、イスラエルの人々は、湾岸戦争時の恐怖を呼び覚まされた。当然、アラブ人に対する警戒感も強まった。

 国連事務総長のバクダッド訪問によって、当面の危機が回避されてみると、イスラエルの世論は、以前よりずっとネタニヤフ政権を頼もしく思うように変化していた。いったい誰が、こんなシナリオを推進したのであろうか。

●中東の危機は今後深まる?

 クリントン政権は、この方面からみても、イラク危機を終わらせるわけにはいかない。イラク危機が去れば、人々の関心は当然、パレスチナ和平へと戻っていき、アメリカがオスロ合意の実行をイスラエルに強要することは、ますます難しくなっていることが、世界に対して明らかになってしまうからだ。

 イスラエル政界には「もうアメリカからの支援は要らない」と主張する人もいる。危機が一段落して見えてきた景色は、イスラエルの強硬派とフセイン大統領という、極端な勢力どうしが鋭く対立し、その間に立たされているアメリカとアラブ諸国の政府が、無力さを露呈している、というものであった。

 筆者はこのような理由から、中東の危機は今後さらに深刻化するのではないか、と予測している。

 





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