韓国・経済難に悩む国民の心をつかんだ新大統領

98年2月26日  田中 宇


 昨年12月、韓国の大統領選挙で金大中氏が、対立候補をわずかな差で破って当選した直後、筆者のまわりのコリアウォッチャーの人々は「彼は5年の大統領任期を全うできない。2年ぐらいで退陣に追い込まれるだろう」と予測していた。

 金大中氏は労働組合などの支援を受け、「労働者の立場」から政治活動を続けてきただけに、「経営者の立場」でものを考えることができず、経済難を乗り切る政策を打ち出すことは無理だ、という根拠での退陣予測だった。筆者も、そのとおりだと思っていた。

 だが、それから約2ヶ月間に金大中氏がみせた行動は、彼が経済に疎い人ではなく、むしろこれまでの韓国大統領ができなかった大胆な経済改革により、韓国を国家破産の淵から立て直すことができるかもしれない、と思わせるものであった。

 金大中氏は外国からの評判も良く、「左翼」のイメージから急速に脱却している。その経済政策は株式市場で好感され、アメリカの債券格付け機関は、韓国の長期国債の格付けを一気に2段階引き上げた。経済危機で失墜していた韓国の格が、再び上がったのである。そして2月25日、金大中氏は大統領に就任した。

●クリントンを真似たテレビ公開討論を実施

 前大統領の金泳三氏は、経済危機を引き起こしたことを非難され、支持率は10%程度まで落ちていた。その空白を埋める形で、金大中大統領は就任前から、経済立て直しに必要ないくつかの措置を提案してきた。

 その一つは、国民に失業や賃金カットの苦痛を味あわせることになるであろう経済引き締めと改革の実行について、国民の多くから承認を得たことである。

 金大中氏は1月18日、公営テレビKBS放送の特別番組に出演、主要都市の街頭とスタジオが中継でつながれ、国民の質問に答えた。これは、アメリカのクリントン大統領が世論形成のために好んで取る政治手法である。

 質問の多くは、経済改革の必要性についてだった。「外国企業を歓迎する政策をとると、韓国が欧米や日本の植民地にやってしまうのではないか」という、女性からの質問が出た。

 これに対して金大中氏は「現代は、貿易を盛んにするより、投資を増やすことの方が重要な時代です。投資された資金は、われわれ韓国人の資金となるのであって、植民地になってしまうわけではありません」といった趣旨の説明を展開した。

 さらに返す刀で国民を叱り「世界中で国際化が進んでいるというのに、韓国人は外国人に対して傲慢だ、と評され、遅れた国だと思われている。これを改めないと、外国からの投資はやってきません」と述べた。

●軍事政権を恐れさせた人心掌握の能力

 こうした分かりやすい説明と、国民に進むべき道を明確に示す金大中氏の言葉は、国民をテレビの前に釘付けにした。集会後に行われた世論調査では、韓国人の73%が、金大中氏の経済開放政策に賛成したのだった。

 聴衆を引き付ける金大中氏の話術は、若いころからのものである。金大中氏は1971年の大統領選挙に出馬した際、民主主義を求める演説が有権者の賛同を集め、当選間違いない、という状況を生み出した。

 それでも彼が対立候補の朴正煕氏に敗れたのは、政府が不正行為を含むあらゆる手段を使って、軍部の朴大統領の再選に動いたからだ、といわれている。

 朴大統領は、金大中氏の人心をつかむ能力を非常に恐れ、1973年には東京に滞在中の金大中氏をKCIAに拉致させ、船から海に突き落として殺そうとした。金大中氏が死なずにすんだのは、アメリカ政府が韓国に強く警告し、殺害を止めさせたからだった。

●マイノリティ出身ならではの財閥解体

 また金大中氏は1月、韓国に進出している欧米や日本の大企業幹部25人を集めて会談し、今後の政策について説明した。その中で金大中氏は、政府が非関税障壁を設けて外資系企業の韓国市場参入を妨げている政策を改める、と約束。政府と財閥との癒着体質も改める、と述べた。

 これは、これまでの韓国の政策では考えられないことだった。韓国には10あまりの財閥があるが、彼らが韓国経済を支配しているといっても過言ではない。前任者の金泳三大統領は、財閥への経済集中を改める、という方針を打ち出したが、財閥と政府との結びつきは非常に強く、ほとんど実現できなかった。

 韓国の財閥制度は、日本の官僚制度と同様、経済成長の原動力となり、その後の経済危機では一転して元凶とされながら、改めることができない部分であった。

 それを金大中大統領が解決できるかもしれない、と思われるのには理由がある。金泳三氏までの、独立後の全ての大統領は、韓国南東部、慶尚道の出身だった。韓国の政財官界の中枢は、慶尚道出身者によって占められている。政治家が国家システムを改革しようにも、身内の反対が強すぎて、実現が難しかったのである。

 一方、金大中氏は、韓国の南西部、全羅道の出身だ。全羅道の人々は、たとえ一流大学を出ても、政財官界の中枢に入ることは難しい。この韓国の地方対立は、今から1400年前、慶尚道にあった新羅国が、全羅道にあった百済国を滅ぼしたときの恨みからきているといわれる、根の深いものだ。

 金大中氏はマイノリティである全羅道の出身であるだけに、身内のしがらみに絡め取られることなく、改革を断行できる。金大中大統領の誕生で、外資への市場開放や、政府による規制の大幅緩和などの改革を進める素地は整ったといえる。

●「アジア的和合」に対する挑戦

 金大中氏はまた、大統領就任前に、国際投機筋のジョージ・ソロス氏や、欧米の新聞やテレビをいくつも買収した国際メディア王、ルパート・マードック氏とも会っている。

 ソロス氏はアジアの元首たちから、通貨危機を引き起こした張本人と批判された人物。マードック氏は、日本のテレビ朝日を買収しようとして、日本のマスコミ業界挙げての防戦を受け、あきらめさせられている。いずれも、政財官界の和合(癒着)によって経済発展を実現してきたアジア諸国からすれば、歓迎できる人々ではない。

 大統領に就任する前にそんな人々と会い、政策談義をした金大中氏は、ソロス氏らを嫌う「アジア的価値観」に、真っ向から立ち向かおうとしているようにもみえる。

 特にマードック氏と会ったことは、韓国のマスコミ業界にマードック資本を入れることを歓迎するサインと受け取れる。これはそのまま、韓国のマスコミに対する警告信号である。

 韓国のマスコミは、日本のマスコミと同様、政府が発信する情報を独占する権利を与えられ、政府批判のポーズをとりつつも、政府が望む情報を国民に流し続ける役割を果たしてきた。日韓とも、マスコミは一つの役所のようなものである。金大中氏は、マードック氏の買収力を使い、韓国マスコミの体質を変えようとしているのかもしれない。

●日本にはいないドラマのある政治家

 このように金大中氏は今でこそ、経済改革の旗手のように思われている。だが、つい2-3年前までは、労働者の権利を守り、手厚い福祉を国民に与えられる「大きな政府」が良い、という左派的な考えを持っていた。それがどうして、大きく転換したのだろうか。

 よくいわれる理由は「猛烈な勉強家であるから」というものだ。金大中氏は以前、反国家の罪で入っていた監獄から出てきたとき、「出獄して困ることは、獄中ではたくさん読書ができたのに、外ではそれができないことだ」と語ったほどの読書好き。その貪欲な知識欲によって、経済は自由化した方がいい時代に入ったことを悟ることができた、といわれている。

 このほか、金大中氏の思想的柔軟さも一因だろう。金大中氏は社会主義者ではない。軍事政権に殺されかけても政府を批判し続けた原動力には、正義を重んじる頑固さがあったのではないか。根が左翼ではないのだから、国のために正しいと思えば、左翼的な方針から大きく転換することもできた、と考えられる。

 そして、金大中氏は頑固な正義感ゆえに人々に好感され、選挙に落選しては立ち直り続けた人生が、ドラマチックな感動を呼ぶのだろう。

 今の日本の政界中枢には、金大中氏のような政治家はいない。いたとしても見えない。そもそも、二世政治家の人生にドラマを期待するのが間違っているのだが、そんな政治家ばかりだから、日本では国民が政治と国家に失望し、ドラマを求めてオリンピックなど見てしまうのである。

 今後、金大中大統領の政策が成功するとは限らない。半年たっても経済は好転せず、支持率が低迷しているかもしれない。だが、金大中氏のような政治家が大統領になる韓国の人々の方が、日本人よりも幸せかもしれない、と筆者は思う。(単なる思い込みかも知れないが)

 





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