独裁政治を時代遅れにしたのは「市場経済」

98年2月18日  田中 宇


 東南アジアのインドネシアと、南米のチリ。太平洋を隔てた、あまり関係が深くなさそうな、この2つの国で、最近、よく似た変化が起きている。

 いずれも、大統領によるいわゆる「独裁型」の政治が続いてきた国で、最近まで、国民が大統領を批判することは、事実上、許されていなかった。それが、今では両国とも、大統領を批判するデモ行進がしばしば行われ、新聞も赤裸々に批判を書き立てるようになっている。

 インドネシアで批判の対象となっているのは、スハルト大統領である。経済危機が変化のきっかけで、1月に大統領の経済手腕に疑問が持たれるようになってから、マスコミ各社は、これまでタブーとされてきた大統領批判を、いっせいに展開するようになった。

 (詳しくは当サイトの以前の記事「インドネシア:崩壊し始めたスハルト体制」を参照)

 筆者のところにも、あるインドネシアの新聞から、インドネシア批判をした当サイトの過去の記事の転載について、人づてに問い合わせがきた。インドネシアを批判した記事が欲しいのだという。最近まで、いつインドネシアに入国拒否されるかと不安を抱きながら、インドネシアに関する記事を書いてきたことを考えると、驚きである。

●権力にしがみつくピノチェト将軍

 一方チリでは、正確にいうと批判の対象は、現職のフレイ大統領ではなく、ピノチェト元大統領である。ピノチェト氏は1974年から1990年まで大統領をつとめた後、陸軍司令官をしているが、チリ軍部の最高実力者として、政府に対して強い脅しをかけられる存在だ。

 チリでは1970年から73年まで、左翼のアジェンデ大統領の政権が、社会主義化を進めたが失敗し、経済は混乱してストライキが頻発した。アメリカの介入もあって混乱は深まり、73年に軍事クーデターが起き、ピノチェト将軍が大統領になった。

 ピノチェト政権はその後、戒厳令を実施し、左翼の支援者とおぼしき人々を3年間で13万人逮捕し、そのうち約3000人が「行方不明」となった。この時に無実の人々が拷問を受けて死亡した、との疑惑があり、ピノチェト氏はその責任者として非難を受けているわけである。

 ピノチェト氏は1988年に政治を民主化することを約束し、自分の任期を延長してもよいかどうか、国民投票にかけたが、過半数の国民から反対され、1990年の任期満了で大統領を辞めた。だがその後も軍の最高責任者の座にとどまり、軍の力で国政に目を光らせてきた。

 ピノチェト氏は今年3月、軍司令官の職からも引退する予定だが、その直後、今度は終身の上院議員(国会議員)になることが、ほぼ決まっている。徐々に権力を手放しつつも、生きている限り、何らかの権力を行使したい、ということらしい。

 自分が大統領だった間に「大統領を長くつとめた人は、その後自動的に上院議員になれる」という趣旨の条項を憲法に盛り込んであり、その適用第一号になろう、というお手盛り仕掛けである。

 これに対して、軍事政権時代に弾圧される側だった左派の人々から、強い批判が出ている。軍政時代の犠牲者の遺族は、ピノチェト氏を相手に裁判を起こした。1月には社会党員たちが一時、ピノチェト氏弾劾を求めて国会を占拠する、という事件も起きた。

 ピノチェト氏に対する非難だけでなく、軍事政権時代の人権抑圧全体について、何が起きたのか、これまで隠されてきた歴史を明らかにしよう、という動きもある。

●背景にある歴史の奇妙な一致

 かつて社会主義政権が政策に失敗して国が混乱に陥り、軍事クーデターが起きて、その指導者だった将軍が大統領に就任し、独裁型の長期政権を作る、という歴史は、奇しくも、インドネシアも全く同じである。

 インドネシアでは1965年にクーデターが発生、社会主義に傾倒していたスカルノ大統領は失脚してスハルト政権が誕生し、社会主義者を弾圧した。

 さらにスハルトとピノチェトが似ているのは、両者とも、その後の経済発展に成功し、政治的には反共独裁だが経済的には高度成長が続く、という状態を作り出した、ということだ。そして、こうした両国の状況は、冷戦時代にアメリカが考えた世界戦略に沿ったものであるといえる。

 となれば、二つの国で似たようなことが起きている背景には、冷戦の崩壊がある、といえそうだ。ソ連が崩壊して以来、スハルトやピノチェトがとってきた手法は、少なくともアメリカにとっては「用済み」になっている。

 また、ここ数年、世界中で進行している「市場経済化」は、政府が以前より情報公開を進めることを意味している。冷戦時代には、政府の情報を国民に知らせると、共産主義者がそれを利用してしまう可能性がある、などという理由で、政府は国民に情報開示をしなかった。

 ところが「市場経済」では、国民は消費者であり、小口の投資家であるので、政府は情報公開に努めねばならない。だが独裁型の政府は、情報公開をしたら独裁者の権威が失われてしまうので、それができず行き詰まってしまう、ということのように思われる。

 両国の状況を比べると、インドネシアよりチリの方が、政治的にかなり先を行っている。というのは、チリではすでに1990年の選挙で、中道左派による政権が作られ、反共独裁体制はすでに過去のもの。ピノチェト批判は、歴史の清算行為ともいえる。

 だがインドネシアでは、まだスハルト大統領が全権を掌握しており、今年3月の選挙でも再選される見通しとなっている。インドネシアの大統領は国民による直接選挙ではなく、現職大統領が圧倒的に有利な制度。この制度を変えない限り、インドネシアの政権交代はない。

●アルゼンチンの英雄の「負の遺産」

 一方、チリについて興味深いのは、チリだけでなく、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、メキシコなど、中南米のあちこちで、似たような変化が起きているということだ。すべてを説明すると、非常に長くなるので、ここではアルゼンチンのことだけを紹介する。

 アルゼンチンでは、1976年から83年までの軍事政権時代に、3万人が軍によって逮捕された後、「行方不明」になっている。

 その前は、アルゼンチン最大の英雄といわれる左翼系のペロン大統領が1974年に死去し、その妻のイザベル・ペロン(映画になった「エビータ」が死んだ後のペロンの妻)が大統領をしていた。だが、イザベルは政策に失敗し、国中が混乱した結果、76年にクーデターが起き、軍事政権となった。

 それまで政権に近かった左派や労働組合と軍部との対立は激しく、軍による徹底的な弾圧を受けた。軍事政権は人々の評判が悪く、不人気を解消するため、1981年、イギリスに占領されていたフォークランド諸島を攻撃するが、逆にイギリスに敗れてしまい、1983年の大統領選挙では、反軍部を掲げるアルフォンシン氏が大統領となった。

 とはいえ、その後すぐに軍部の犯罪が暴かれたわけではない。軍は何度も不成功のクーデター事件を起こし、抵抗した。1989年から現在まで大統領をしているメネム氏は、軍事政権が起こした犯罪に対する恩赦を実施し、過去にふたをする形で、軍と仲直りをした。国内を安定させ、経済を発展させるためだった。(同様の恩赦はチリやペルーでも実施されている)

●飛行機から大西洋に突き落とし、証拠を残さず殺した

 これで話は終わるかのように見えた。だが1995年3月、アドルフォ・シリンゴという元海軍将校が、自分が関わった軍政時代の弾圧について公的に告白したことから、問題が再発する。

 シリンゴ氏は、大西洋上を飛ぶ飛行機に左翼活動家を乗せ、海の上から一人ずつ突き落とす、という方法で、遺体を残さずに殺していたと述べた。その後、軍部はこうした行為があったことを認めた。

 さらにその年、アルゼンチンの旧宗主国であるスペインが、軍事政権時代の犯罪を問題にし始めた。スペイン国籍を持ちながらアルゼンチンに住んでいた約600人が、軍によって連行され、行方不明になったことをめぐり、スペインの裁判所が、被告人不在のまま、裁判を始めたのである。

 スペインの裁判所は、シリンゴに証言を求めてスペインに呼び出し、良心から出廷したシリンゴを逮捕・拘留してしまった。スペインはアルゼンチンだけでなく、その他の中南米諸国に関しても、軍政時代の人権抑圧について、調査を進めている。

 フランスでも同様に、当時アルゼンチンにいたフランス人尼僧を、アルゼンチン軍部が殺害したとして裁判を開始した。こちらはすでに判決が下り、当時の軍幹部が本人不在のまま、終身刑を申し渡されている。当然、この両方の出来事に対して、アルゼンチン政府は、内政干渉だとして抗議した。

●欧州の「人権外交」の裏にあるもの

 済んだはずの問題が欧州で取りざたされるのは、冷戦終結後の欧州で、歴史的な人権侵害のすべてを再調査し、処罰を逃れている人々を裁こう、という動きがあるためだ。その最大のものは、ナチスのホロコーストに関わった人々に対する裁きである。(当サイトの以前の記事「50年たって暴かれるナチス財宝の謎」参照)

 筆者は思うのだが、欧州各国がこのように、他国の人権問題に干渉する理由は、「国際社会はあんたの国の人権侵害に怒ってるよ」と言うことで、外交上、相手国に圧力を加えて有利な立場に立つためではないか。

 ミャンマー、東チモール(インドネシアが統治)、チベット(中国が統治)など、最近ノーベル平和賞をもらった人々がいる地域に対して、欧州は同じような姿勢をとっている。(ノーベル平和賞とは何か、という問題につながる)

 当然、批判された方は「ヨーロッパ人の方が、かつては世界中を植民地支配して、人権侵害やり放題だったのに、そのことを棚に上げて何を言っているのだ」と思うだろう。欧州各国が、かつての自分たちの植民地支配を徹底的に自己批判した、などという話は、今後に期待するしかない。(日本も同じではあるが)

 





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