イラク危機・最後に勝つのは誰か

98年2月16日  田中 宇


 アメリカとイラクの対立が深刻になっているが、情勢はしだいにアメリカ政府にとって不利に、そしてイラクのサダム・フセイン大統領にとっては有利な展開になりつつある。

 アメリカ政府は、イラクが大量破壊兵器に関する国連の査察を拒否し続けた場合、軍事施設への攻撃を実行する、と宣言している。そしてイラクを攻撃することに関して、国際社会での同意を得ようと、外交を展開している。だが1991年の湾岸戦争の時に比べ、イラク攻撃に賛同してくれる国は、かなり減ってしまったことに、クリントン政権は気づかされた。

 湾岸戦争の際は、国連の常任理事国は5カ国とも、イラク攻撃に賛同した。だが今回はロシア、フランス、中国が攻撃に反対している。その背景には、3カ国とも冷戦後の世界をアメリカだけが支配しているという現状を変えて、自分たちも外交上のヘゲモニーを握りたい、という意志を持っていることがある。

 イラクにある石油の利権も重要だ。現在は国連の経済制裁により、イラクは石油の輸出を制限されている。ロシアなどは、イラクへの攻撃に反対し、その後は経済制裁を早く解かせることにより、サダム・フセインに貸しを作り、イラクの石油を安く売ってもらおう、という意志が見え隠れしている。

●中東諸国の同意が重要なのだが・・・

 また、アメリカがイラクを攻撃する際に重要なのが、アラブ諸国から賛同や協力を得ることだ。湾岸戦争でアメリカがイラクと戦ったのは、クウェートやサウジアラビアという、アメリカの同盟国が、イラクによって脅威を受けたからであった。

 アメリカとしては、クウェートやサウジを救うことにより、これらの国々がアメリカの軍事力に依存しなければ存続できない状況にした。つまり、アメリカは中東の石油を押さえ続けることができたのである。(この構図は1979年のイランのイスラム革命以来、変わっていない)

 だから今回も、アメリカがイラクを攻撃する見返りとして、クウェートやサウジの政府がアメリカの味方をしてくれることが必要になる。

 だが今回は、今のところ、中東諸国でイラク爆撃に賛成しているのは、クウェートとバーレーン、オマーンのペルシャ湾岸の3つの小国と、アラブの敵であるイスラエルだけである。

 中東諸国が今回の問題をどう見ているか、ということは、中東情勢を理解する上で重要なので、ここでは国別に説明してみる。

●クウェート

 1990年にイラク軍に侵略され、国じゅうを破壊された。そのため、イラクに対してはアメリカが強い態度に出なければ、再びイラクに侵略去れる可能性があると考え、イラク攻撃に賛成している。そして、アメリカ軍が自国内からイラクを攻撃することを許可している。

 とはいえ、イラク攻撃が始まれば、イラクは報復措置として、クウェートを攻撃する可能性が強い。また万が一、サダム・フセイン体制が崩壊してイラクが内戦状態になった場合、クウェートにイラクから難民が押し寄せるかもしれない。そういった懸念から、クウェート市民の中には、イラク攻撃に反対する意見もある。

●サウジアラビア

 湾岸戦争の際は、アメリカ軍とともにイラクを攻撃したが、今回は逆に、イラク攻撃自体に反対し、外交による問題解決をアメリカに求めている。

 湾岸戦争時、イラクはクウェートに続いてサウジへの侵略も企てたため、サウジ政府はサダム・フセインの失脚を望んでいる。だがアメリカに味方しすぎれば、国内で反政府の圧力が強まってしまう。アラブ世界では、アメリカはイスラエルの後援者とみなされているためだ。

 湾岸戦争でアメリカと組み、アメリカ軍を自国内に駐屯させたサウジ政府(王室)に対しては、国内から反発が出ている。湾岸戦争によって軍事費が国家財政を圧迫した。石油価格の安値安定もあり、石油危機の直後と比べると、経済力がかなり落ちている。石油成り金国だったはずのサウジに貧困層が出現している。

 そうした矛盾は、サウジ政府がアメリカ寄りの姿勢を取っているからだ、という、イスラム原理主義的な考え方がサウジ国内で広がっている。

 民族的には、サウジもイラクも、主力はイスラム教徒のアラブ人である。なぜアメリカという異教徒と組んで、同族のイラク人を攻撃せねばならないのか、という批判もある。サウジ政府としては、ここでアメリカの側に立つことはできなくなっている。

 また、イラクが石油輸出を制限された分、サウジが産出できる石油の割当量が増えた。イラクの経済制裁が終われば減産となるわけで、その意味からもサウジの本音としては、現状維持が望ましく、アメリカに派手な動きをしてほしくない、ということになる。

●イラン

 湾岸戦争まで、イランは中東のアメリカ寄りの国々にとって、一番の敵であった。イランは、アメリカ寄りの各国指導者を非難し、彼らを倒すためのイスラム原理主義運動を輸出し続けていたためである。

 だがイランでは昨年ハタミ大統領が就任して以来、かつての宿敵イラクを含むペルシャ湾岸諸国との間の緊張緩和に動いており、アメリカとの和解も進めようとしている。イランは今回の危機の解決に向けて仲介役を買って出る意向があり、アラブ各国からの受けが良くなっている。

 とはいえイランとイラクとの間には、クルド人問題がある。イラン、イラク、トルコにまたがって住む、国家を持たない民族、クルド人の中には、イランに支援されている組織と、イラクに支援されている組織があり、イラク北部で内戦状態を続けており、不安定材料として残っている。

●トルコ

 以前からアメリカの同盟国だったため、湾岸戦争時はアメリカに協力して、兵をペルシャ湾岸に派遣した。だが今回は一転して慎重な姿勢をとっている。

 湾岸戦争に乗じて、クルド人はイラク北部で反サダム・フセインの攻勢に出たが、戦争が終わると、逆にイラク軍によって報復攻撃を受ける。この時、イラク軍はクルド人をイラクから追い出し、大量の難民がトルコ側に流入する結果となった。

 クルド人はトルコでも反政府勢力として政府から敵視されており、難民の流入はアメリカに味方したトルコへの、サダムフセインからの仕返しとも受け取れる。トルコ軍は昨年からイラク北部(国連決議によって、イラク軍の侵入が禁止されている)にひそかに侵入し、クルド人ゲリラによる反トルコの動きを封じ込めている。

 トルコは、今後拡大が予定されているEUに入りたいのだが、EU側はクルド人への弾圧などを理由に拒否している。トルコにとっては、今回のイラク攻撃によってイラク情勢が不安定になり、クルド人のゲリラ活動が活発化することを恐れている。つまりは、現状維持を望んでいる。

●シリア

 イラン・イラク戦争の際、イランに肩入れした関係で、イラクとは長いこと敵対関係にあった。そのため湾岸戦争でもアメリカの側に立った。だが湾岸戦争後、イラクはシリアに接近、昨年から外交関係が修復されている。そのためシリアは今回、アメリカによる空爆計画には、強く反対している。

 シリアからみたサダムフセインの位置づけは、イラン・イラク戦争の時はアメリカの代理人であり、イスラムの大義の敵であった。だが今では、アメリカに対抗するサダムも、イスラムの大義の一員であるとの見方に変わりつつある。シリアとイラクの接近は、トルコとイスラエルの軍事的接近に対抗する意味もある。

 湾岸戦争後、イラクは国旗に「アラーは偉大なり」という文字を入れるなど、イラクこそがイスラム教の大義を実行する者であるというシナリオ作りに努めており、これがシリアだけでなく、イスラム世界全体からのイメージ向上につながっている。

●イスラエル

 中東で最もイラクと敵対しており、戦闘が始まれば、イラクがイスラエルにミサイルを打ち込み、イスラエルも反撃する、ということになりかねない。

 とはいえ今回の危機は、ネタニヤフ政権にとって都合が良い。議会での多数派工作で、ユダヤ教の強硬派(正統派・オーソドックス)と組まざるを得ないネタニヤフ政権は、パレスチナ人に対して攻撃的な姿勢を強めている。

 イスラエルは、1993年の和平合意で約束した、ヨルダン川西岸地域からの軍の撤退などを実行していないが、このことは国の内外で非難されるようになってきていた。

 またネタニヤフ政権は、強硬派の聖職者が認定した人しかユダヤ教徒として認めないという規則を制定する動きを強めている。その規則が実施されると、アメリカ在住のユダヤ人の多くがユダヤ教徒ではなくなってしまう。(アメリカのユダヤ人の多くは保守派か改革派であり、正統派の割合は多くない) そのため、ネタニヤフ政権に対するアメリカ政府の対応が急速に厳しくなっているところだった。

 そんな折に起きたのが、今回のイラク危機である。パレスチナ和平や宗教論争の存在はかすんでしまった。イスラエルでは、危機感を煽るかのように、ガスマスクが配布された。

 アラブの新聞には、イスラエル筋がクリントンの性的スキャンダルをアメリカの新聞に書かせ、クリントンが困っているところに、イラク危機を起こして自分のスキャンダルをそらすように仕向け、結局はネタニヤフ政権が危機を回避できるようにした、という説が展開されていた。

●パレスチナ自治政府

 湾岸戦争の時は、イラクを支援した。「イスラエルの背後にはアメリカがいる」という反米意識が強いパレスチナ人には、当然の判断だったのだが、パレスチナはその後ひどい目にあった。

 イラクの攻撃対象となったクウェート、サウジなどペルシャ湾岸諸国は憤慨し、パレスチナ政府への支援を止めてしまった。湾岸諸国ではパレスチナ人が出稼ぎで働いていたが、その多くが解雇された。

 この前回の苦い教訓から、今回はパレスチナ政府はイラクを支援していない。国民にはイラク支援デモを禁じた。だが、多くのパレスチナ人が置かれている苦境は、この7年間でほとんど変わっていないため、禁を破ってイラク支援デモがあちこちで起きている。「核兵器を隠し持っているイスラエルが何の非難も受けないのに、イラクが大量破壊兵器を持っているという理由で爆撃されるのはおかしい」というロジックである。

 国民は変わっていないが、政府は変質した。1991年の湾岸戦争の時、パレスチナ政府には失うものは何もなく、民衆蜂起「インティファーダ」の真っ最中だった。だがその後、1993年のオスロ和平合意でパレスチナ政府の権利がかなり認められ、今では豊かになったアラファト議長は、イラクに味方するには失うものが多すぎる状態になっている。

●ヨルダン

 この国にも多くのパレスチナ人がいる。そのため湾岸戦争の際、ヨルダンのフセイン国王はイラク支援の側に立った。ヨルダンの経済は、イラクとの貿易によって成り立っている部分が大きいことも、背景にあった。

 その後、パレスチナ和平が進み、その影響でヨルダンでも経済発展が始まる予定だった。ヨルダンはアメリカ寄りに変化し、イラクの反政府亡命軍人たちを受け入れるようになる。だが、ネタニヤフ政権の成立によって和平の進展が止まったまま、今日に至っている。

 イラク反政府組織によるクーデター計画も、事前にサダムフセイン側に情報が漏れ、潰されてしまった。クーデターを支援したCIAの立案に無理があったともいわれている。

 そういった経緯からヨルダンは、いまさら反米親イラクを再び鮮明にするわけにもいかないが、かといって親米を打ち出すこともできない、という、中途半端な姿勢をとることになった。

●エジプト

 アメリカの重要な同盟国であり、湾岸戦争の時は、アメリカに協力して派兵した。だが今回は、アメリカの武力行使に反対し、外交交渉による解決を求めている。

 変化の一因は、やはりイスラエルのネタニヤフ政権の強硬さにある。イスラエルが国際合意を守らないなら、イラクが守らないことだけを攻撃するのはおかしい、という考え方をしている。

 またエジプトでも、サウジやヨルダンと同様、親米政策を掲げる政府に対する国民の反発が強まっている。昨年のルクソールでの日本人などに対する虐殺事件など、テロ活動も起きている。アラブ諸国の政府にとって、アメリカべったりは危険だ、という状況になっている。

●アメリカよ、しっかりしてくれ

 こうした国ごとの情勢に加え、湾岸戦争以後に中東全体で起きた変化として、アメリカの手腕に対する疑問が強まったことがある。湾岸戦争の際、中東諸国の多くがアメリカに協力したのは、アメリカがフセイン大統領を政権の座から追い出すことができると思ったからであった。

 だが戦後7年たっても、フセイン大統領の権力は全く弱まっていない。再度攻撃して、それでもフセイン大統領が生き残ったら、それこそフセインの勝ちになってしまう、そんな危険な賭けに参加できない、という思惑がある。

 中東の国境線の多くはもともと、1920年代にオスマントルコが崩壊した際、イギリスなどによって引かれたものであり、植民地支配の遺物である。その国境線の内部にそれぞれの国家が作られ、指導者として大統領や国王がいるわけだが、国境の歴史性が浅いことは、すなわち国家や指導者の権威がそれだけ少ないことにつながっている。(だから中東は独裁国家ができやすい)

 そのため、もしフセイン大統領がいなくなってイラク国家が崩壊するか、もしくはその逆にアメリカが全面撤退し、フセイン大統領を止める力が周辺諸国になくなってしまった場合、中東全体が大混乱に陥る可能性がある。

 イラク国家は崩壊せず、元首だけが穏健派の誰か別の人と入れ替わる、というのが最善の策だ、とかつてアメリカは考えた。だがCIAが操ろうとしたクーデター作戦や、クルド人による反乱計画は、内紛やイラク側への情報漏洩によってすべて失敗してしまった。もはやフセイン大統領だけを追い出すことは、ほぼ不可能になっている。

 結局、次善の策といえば、アメリカに武力行使を考え直してもらい、全員のメンツが立つような形で現状維持を続けることだ、ということになってしまうのかもしれない。

 





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