アメリカを孤立させた策略家、サダム・フセイン

97年12月1日  


 アメリカの週刊誌などを読むと、多くの場合、イラクのサダム・フセイン大統領は、残虐で国際ルールを守らない、悪党中の悪党として描かれている。それに対してアメリカ大統領は正義を守る保安官で、悪党を倒すために国際社会を先導している・・・。というのが、1990年の湾岸戦争以来、繰り返されてきたストーリーだ。

 だが中近東に行ってみると、人々が頭の中に描いているストーリーは全く逆だ。悪の化身、アメリカは、パレスチナの人々を追い出して建国されたアラブの敵、イスラエルの最大の支援者としてアラブを敵視し、イスラエルを攻撃しようとしたイラクを経済封鎖し、罪もないイラクの庶民たちを苦しめている・・・。

 湾岸戦争の際、イラクのクウェート侵攻に対しては、アラブ諸国を含め、世界のほとんどの国がサダム・フセイン大統領を非難した。フセイン大統領を支持したのは、パレスチナ人など、アラブ世界の中でも抑圧された人々に限られていた。

 だが、その後7年たち、国連がイラクに対する経済封鎖を続けていることについて、中東やヨーロッパでの見方は、次第に変化してきている。

 中東では、アラブに対するイスラエルの強硬姿勢が強まっているため、イスラエルの後ろ盾となっているアメリカへの反発も増している。その分、アメリカ主導のイラク経済封鎖に対する批判も強くなっている。一方、フランスやロシアでは、イラクの地下に眠る石油資源が、企業や政府を引きつけている。経済封鎖を解いて、イラクの石油開発で金もうけしたい、と石油会社が考え、政府がそれを支援しているのである。

●6年かけても化学兵器を見つけられない国連

 こうした変化の結果起きたのが、10月末から始まった、国連のイラクに対する兵器査察をめぐる紛争だった。

 イラクに対する兵器査察は、湾岸戦争が終わった1991年以来、ずっと続けられている。アメリカは湾岸戦争の終結後もイラクが核兵器や、毒ガスなどの化学兵器、細菌兵器などを持っている可能性があると指摘し、兵器工場などを国際査察団に見せるように求めたが、イラクはこれを拒否した。

 このためアメリカの提案により、国連で対イラク経済制裁が決議され、イラクにある大量破壊兵器が廃棄されるまで、制裁が続けられることになった。

 イラクは国連の査察団を受け入れるところまでは譲歩したが、イラク側が兵器を上手に隠し続けているため、その後6年たっても、査察チームは、25発あるといわれている化学兵器などを見つけることができないでいる。

●メンツをつぶされた「世界の保安官」

 国連の粘り強い査察活動をめぐって変化が表れたのは、今年6月のこと。査察チームの行動が、イラク側によって妨害されることが多くなったのである。

 イラクが生物兵器を持っているという証拠を、査察チームがつかみ始めたため、イラク側の抵抗が強まったと考えられている。また、それまでは査察チームが次にどこを査察するかということが、盗聴などによってイラク側に漏れていたのだが、国連側がそれに気づいて防御措置とったので、イラク側が実力阻止に出た、との指摘もある。

 査察への妨害が続くため、アメリカは10月までにイラクが妨害を止めない場合、国連による制裁を強化する、と通告した。だがイラクはその後も査察妨害を続けたため、10月16日、アメリカとイギリスは国連の安全保障理事会で、イラクの軍事関係者の海外渡航を禁止するなどの追加制裁を提案した。渡航禁止は、イラクが外国から軍事技術や兵器の材料を入手しにくくするためである。

 だが、ここにきてアメリカは、国際社会の考え方が変化していることを思い知らされる。安全保障理事会で拒否権を持っている常任理事国5カ国のうち、アメリカとイギリス以外の3カ国(ロシア、フランス、中国)が、制裁の強化に反対したのである。

 結局、議論の末、イラクが今後も査察妨害をし続けた場合、イラク政府要員の渡航禁止などの制裁強化もありうる、という弱い内容に書き換えられた。それでも米英以外の3カ国は、棄権というかたちをとった。安保理の非常任理事国10カ国のうち、エジプトとケニヤも棄権した。こうして10月23日、ようやく安保理は決議を採択した。だがアメリカは「世界の保安官」としてのメンツをつぶされてしまったのである。

●ロシアとフランスを手玉にとったフセイン

 サダム・フセイン大統領は、バクダッドの「サダム宮殿」と呼ばれる官邸で、にんまりしながらニューヨークの国連での動向を眺めていたに違いない。というのは、アメリカの孤立は、フセイン大統領自身が仕掛けたともいえるからだ。

 イラクには今年に入って、フランスとロシアの石油会社の幹部が相次いでやってきて、イラクでの油田開発について交渉を始めている。

 ソ連崩壊後、経済的にうまく行っていないロシア。失業の増加や国営企業の相次ぐ経営難で、これまた落ち目のフランス。両国とも、サウジアラビアに次ぐ巨大な埋蔵量を持っているイラクの油田開発の契約を手に入れれば、経済回復に役立てることができる。

 しかも、常任理事国の残る一カ国である中国も、武器輸出で稼ぎたいと思い続けている。国際兵器市場では、イラクは活発な買い手だ。

 そんな各国の事情を、フセイン大統領は見抜いていたのだろう。油田開発の契約に至る条件の中に、イラクの経済封鎖を解除するために外交努力をすること、という条件が入ったとしても不思議ではない。

 また、ロシアがアメリカに反対する立場を取った背景には、中東での外交上の発言力を増したいという思惑もあったと考えられている。

●アメリカの逆上に困惑するアラブ諸国

 フセイン大統領が策略家なのは、国連安保理でのアメリカの提案が通らなかっただけでは、満足しなかったことだ。

 安保理での決議が出された5日後の10月28日、イラクは「国連の査察団のメンバーのうち、アメリカ人はイラクの国家機密を盗み出そうとするスパイなので、入国を認めない」と主張しはじめ、10月31日からは実際にアメリカ人メンバーの入国を拒否した。

 アメリカが国連で孤立したことを見届けた上で、さらなる攻撃に出たのである。翌日、国連査察チームは、アメリカ人以外の人々も含め、全員がいったんイラクから退去することを決めた。

 誇り高きアメリカは激怒した。フセイン大統領が態度を変えない限り、イラクへの武力攻撃も辞さない、と言い出した。アメリカはクウェートやサウジアラビアに協力を呼びかけ、毒ガスを積んだフセイン型ミサイルの標的にされそうなイスラエルでは、防毒マスクが店頭に並べられた。湾岸戦争が再び勃発するかもしれない、という緊張が、中東全体に走った。

 だが、そこから先のシナリオは、湾岸戦争の時とは大きく違った。フランスとロシアはアメリカの武力攻撃に反対し、アラブ諸国はアメリカの逆上に迷惑するばかりだった。ヨルダンのフセイン国王、エジプトのムバラク大統領といった、親米派のアラブ国家元首たちが、クリントン大統領をなだめ、ロシアのプリマコフ外相も中東を飛び回った。

 湾岸戦争でアメリカに救ってもらったクウェートまで、アメリカのイラク攻撃には消極的だった。湾岸戦争から7年間たっても、イラクをめぐる情勢は膠着状態が続いており、こうした状況を生み出したアメリカの中東政策自体に対して、アラブ諸国が不信感を持ってしまっていた。

 サウジアラビアなどでは、昨年あたりから、アメリカ寄りの姿勢を続ける王室への庶民の反感が強まっていると伝えられる。ヨルダンでは先の選挙戦で、野党が親米派の国王への批判を強めた。こうした状況下、誰も、アメリカに付き合って惨敗した、ベトナム戦争の時の南ベトナム政府のようにはなりたくないのだった。

●終わらない湾岸危機

 結局、危機が始まって3週間たった11月21日、ロシアの仲介によって、イラクはアメリカ人を含む国連査察団を再び受け入れると表明し、当面の危機は去った。外交手腕を発揮できたロシアのマスコミは、自慢げにこれを報道した。

 だが、イラクをめぐる情勢は、再び安定を取り戻したとは言いがたい。11月26日に、フセイン大統領は、大量破壊兵器の一部が隠されているとみられている「サダム宮殿」をも査察の対象としてもよい、と受け取れる発言をしたが、翌日にはイラク外務省が宮殿の査察は許可しない、と発表し、前言を撤回する形となった。

 これに対してクリントン大統領は、あくまでも宮殿を含めたすべての疑惑地点の査察を要求する声明を発表した。アメリカとイラク双方の懲りない面々の対立は、まだまだ続きそうな気配なのである。

 
田中 宇 (MSNニュース担当 記者兼編集者)

 


関連サイト

ヘブライの館 第2国際問題研究室
「湾岸戦争の舞台裏」など、興味深い記事が並んでいる。

フセインは中東のヒトラーか?
湾岸戦争の際の「アメリカの正義」を批判している。下落合国際政治情報部の一コーナー。





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