なぜエジプトで観光客が殺されねばならなかったのか

97年11月19日  


 エジプト南部の有名な観光地ルクソールで、日本人やドイツ人の観光客が、テロリストグループによって銃を乱射され、死傷した。

 11月17日現地時間の午前9時ごろ、日差しが強くなる前に古代遺跡を見て回ろうと、観光客がルクソール郊外、ナイル河畔にあるハトシェプスト女王葬祭殿(デイル・アルバーリ寺院。写真はこちら)の観光を終えて外に出ようとしたところ、待ち伏せしていた6人(11人という説もある)の武装テロリストが銃を乱射し始めた。

 死亡したのは、日本人10人などの外国人59人と、エジプト人のガイド、警察官が計3人、テロリストが6人の、合計68人。日本人のほか、ドイツ人、スイス人、イギリス人が殺された。死亡した日本人のうち8人4組は、新婚旅行中だった。

 殺された日本人の遺体の脇には、犯行声明とおぼしきビラが残されていた。ロイター通信によると、ビラには「観光客はエジプトから出て行け」と書かれており、「アブドゥル・ラーマン師の破壊部隊」という組織名が書いてあったという。

 アブドゥル・ラーマンとは、イスラム原理主義の過激派組織「イスラム団」の精神的指導者で、1993年にニューヨークの世界貿易センタービル爆破事件の首謀者としてアメリカで終身刑を受けている人物である。このため、虐殺を実行したのは、イスラム団のメンバーもしくは同調者とみられている。

●エジプト政府の転覆狙うテロリスト

 今回の事件は、今年に入ってエジプトで増えてきた、観光客を狙ったテロリズムの延長としてとらえることができる。9月18日には、首都カイロにある観光地、エジプト考古学博物館の前に停まっていた観光バスが爆弾と銃で襲撃され、乗っていたドイツ人ら10人の観光客が死亡し、15人のエジプト人が負傷している。

 9月の事件の際、エジプト政府は精神異常者の犯行であり、組織的なものではないと断定したが、その見方は疑問視されている。また11月13日には、エジプト南部のテロリスト拠点となっている町の近くを通る鉄道で、観光客用の豪華列車が銃撃され、警察官など3人のエジプト人が殺された。

 観光客を狙ったテロの目的は、観光客の足をエジプトから遠のかせることによって、エジプトにとって最大の外貨収入源である観光業に打撃を与え、エジプトの経済を苦境に陥れて、政府に対する人々の不満をかきたてて政府転覆をはかることにある。テロを起こしている人々は、いずれもイスラム原理主義者とみられている。

 イスラム原理主義とは、イスラム教に基づく国造りをすべきだ、という考え方。イスラム教は、その体系の中に刑法や商法に相当する法律などを含んでおり、イスラム法だけを使って国家運営をすることができる。それを実行しているのが、イランなどイスラム急進派の国である。一方、エジプトでは政教分離を実施しており、イスラム教は宗教としてのみ存在し、政治や法律は欧米から導入したものを使っている。

●エジプト観光ブームに打撃与える目的も

 イスラム原理主義は今回の事件にみられるような残虐なテロリズムにつながっているが、半面、欧米やイスラエルにやられっぱなしのアラブ地域、イスラム社会を団結させるための思想的な道具としても使われている。

 エジプト政府は、1970年代のサダト大統領以来、政府はアメリカ寄りの姿勢を強めるとともに、アラブの仇敵イスラエルと和解し、他のアラブ諸国と一線を画すようになった。また1991年の湾岸戦争では多国籍軍の一員としてイラクを攻撃したが、アラブ社会では貧しい人々を中心に、イラク支持が多かった。

 エジプト政府の親米政策は、他のアラブ諸国の人々やイスラエル内で抑圧されているパレスチナ人の反感をかっており、その反感が、エジプト国内の反政府勢力とつながって、テロリズムを生んでいる。(アラブ社会では国が違っても、アラビア語を話すイスラム教徒ということで人々のつながりが深い)

 エジプトでイスラム原理主義の反政府テロが始まったのは、湾岸戦争翌年の1992年で、政府関係者、軍、警察官、外国人観光客、ベールをしていない女性などが襲撃の対象になった。それ以来5年間に、兵士や警察官など1100人が殺されている。このうち外国人観光客は、今回の事件以外をのぞくと34人が殺された。(日本人が殺されたのは今回が初めて) このため1993年の観光収入は、前年比42%も減った。

 エジプト政府は1995年に、イスラム原理主義に対する大規模な取り締まり(弾圧)を行い、穏健派の原理主義系元国会議員なども逮捕された。こうしたことからテロリズムは下火となり、観光客も再び増えるようになった。年間の観光客数は1993年には200万人に減ったが、昨年はこれが400万人まで回復した。

 今年はヨーロッパでエジプト観光がブームになっていたことなどから、観光客はさらに伸びると予測されていた。今回の虐殺の犯人がそこまで企んでいたかどうかは分からないが、観光客が増えてきたところを狙ってテロを敢行した可能性もある。今回の事件がエジプトの観光産業に大打撃を与えることは、ほぼ間違いないと思われる。

 また虐殺が起きた日は、政府要人の殺害を計画したとして逮捕されたイスラム団のメンバーなど66人に対する裁判が始まる日でもあり、犯行が裁判に反対する意味を持っていた可能性もある。

 1995年の弾圧後、イスラム原理主義の組織は壊滅したとみられていたが、実はそうではなく、中心を失ったものの、小さなテロ集団が互いに組織されない状態で、エジプト国内に残っていることが、次第に明らかになってきている。こうした中心を持たない過激派組織は、一つを摘発しても他のグループには波及しないことから、全体を潰すことは難しい。そのため、エジプトでのテロ行為を減らすことは簡単ではないと考えられている。

 


関連サイト

ムスリム同胞団と系列のイスラム原理主義グループ
イスラム集団についても解説している。「当方観光局」のページ。エジプト関連リンク集もあります。

エジプト関連リンク集
「エジプト探検隊」の中のページ。





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