インドネシア通貨危機の裏に「政治危機」

97年10月18日  田中 宇


 インドネシアの通貨、ルピアが急落した。ルピアの対ドル為替は、今年7月1日の1ドル=2431ルピアから、10月6日には3845ルピアまで、3ヶ月間に40%近く下がった。東南アジア各国はいずれも為替が急落したが、タイやマレーシアでは7月初め以来の下落率が30%以下であるのに比べ、インドネシアの下落幅は大きい。

 東南アジア通貨危機の口火を切ったタイバーツの急落が始まったのは5月。7月から下落し始めたインドネシアは後発で、タイ、フィリピン、マレーシアと広がった通貨危機が飛び火した。

 インドネシア政府はもともと、ルピアの対ドル為替の変動幅が一日に8%未満になるよう、為替相場が下がるとルピアを買って介入していたが、下落が目立ってきた7月11日には変動幅を12%に拡大し、さらに急落した8月14日には、ついに相場の変動幅を維持することを全てあきらめ、完全に変動相場に移行した。

 その後も下落が続いたため、10月8日には、IMF(国際通貨基金)に支援を求めるにいたった。これは、IMFからルピアを買い支える資金を貸してもらう約束をする代わりに、IMFが求める緊縮財政などの指示に従うという条件である。IMFがついていると、投機筋がルピアを売っても、インドネシア政府はIMF資金で買い続けられるので相場が下がらないという仕掛けである。

 8月の変動相場制への移行にしても、10月のIMF支援要請にしても、国際的な評判は良かった。先に通貨危機に襲われたタイでは、政府が当初は危機を重視せず、投機筋からの売りに対して中央銀行が買い続けたが負けてしまい、外貨準備を無駄にしたとの批判を受けた。IMFの命令に従いたくないという気持ちが政府に強かったため、政府が自力で解決しようとして傷を深くしてしまった。

 それに比べると、インドネシア政府の対応は素早かった。だが、こうしたプラス面は、為替相場の上昇にはつながっていない。8月の変動相場制への移行は、ほとんど効果がなかったし、今後もさらにルピアが下がるとの予測もある。

●大統領一族らの特権が国民の不満に

 なぜインドネシアは、危機が波及したのが後発組で、政府の対応も素早かったのに、大きな打撃を受けたのだろうか。その裏には、このところインドネシアの国内情勢が不安定になってきたことがある。

 インドネシアは過去20年以上にわたり、経済成長が続いてきたが、特に1980年代後半からは、日本や欧米の企業がアジアでの生産拠点を、タイやマレーシアからインドネシアに移す傾向が強まり、発展に拍車がかかった。(タイやマレーシアには多くの企業が進出したため、賃金が上がり、企業にとっての進出メリットが薄れてしまった)

 だが、インドネシアは元々、経済を握っていたのが人口の4%しかいない中国系住民(華人)であり、残りの人々(マレー系住民)はほとんどが農民出身で、商売とは関係ない生活環境にいた。そして、スハルト政権は、サリム財閥など一部の華人資本に経済を任せてきた。

 高度経済成長が始まると、スハルト一族の蓄財行為も目立つようになり、大統領一族と、それをとりまく華人系を中心とした実業家たちに富が集中するようになった。今では、わずか10数家族が、インドネシア経済の大半を支配しているのが現状だ。

 アメリカなどからの圧力を受けて、インドネシア政府は、表向きは経済自由化を進めたが、実際は役所による許認可権が強く、一般のインドネシア人が何かビジネスを始めようと思っても、役所の認可が受けられない。そして、許認可は誰のためにあるかといえば、スハルト一族と、それを取り巻く実業家たちのためにある。

 たとえば、インドネシア政府は今春、初の国民車構想というのをぶち上げた。外国車を輸入するのではなく、独自の国民車を開発して国民に買わせることで、国家の利益を増やそう、という構想だ。(マレーシアではすでに実現している)

 特定の自動車メーカーに国民車を作らせる代わりに、その企業の税金を減免しようという計画だったが、選ばれたメーカーは、スハルト大統領の末息子であるトミー・スハルト氏が経営するティモール社だった。(最大手のアストラ社は選ばれなかった) しかも、ティモールは、韓国のメーカーに作らせた乗用車を「国民車」として売り出したのである。

 またインドネシアでは小麦粉の価格が統制されているが、小麦粉の大手メーカーは、大統領の長女シティ女史が持っている会社と、30年以上前から大統領と深いつながりを持ってきた華人実業家、リム・シーリョン氏が経営する企業だ。

●政治不安がルピア下落の原因

 こうした体制的な不平等には、国民の潜在的な不満がある。インドネシア人は、いさかいを好まないという、日本人とどことなく似た気質を持っているため、普段はおとなしいが、不満がたまってくると、わずかなきっかけで暴動が起きる。

 1994年にはスマトラ島で華人の商店などが焼き討ちされたほか、似たような暴動がその後毎年、あちこちの町で発生している。来年は5年に一度の議会選挙があり、それに向けた政治的なせめぎ合いも始まっている。昨年は、野党党首メガワティ女史の追い落としをめぐり、ジャカルタで暴動が起きた。

 インドネシアは人口が2億人で、東南アジア最大の国。市場として大きいので、外資系企業からみれば前途有望な国だ。だが政治・社会が不安定になれば、国内の経済活動に打撃を与える。外資系企業がインドネシアへの投資に慎重になっているのは当然で、これがルピア下落につながった。

 インドネシアから逃避を考えているのは、外資ばかりではない。当のスハルト大統領に近いサリムグループでさえ、資産の一部をシンガポールに移したりしているのだ。

 また、ルピアの下落により、インドネシアの物価は輸入品を中心に高騰し、7月からの3ヶ月間で物価は30%も上がった。国民の生活は圧迫され、通貨危機を止めねば、社会不安が悪化する可能性もあった。

 通貨危機が波及してきたとき、インドネシア政府がすぐに対応したのも、こうした国内の不安定要因があったからとみられている。もし、タイのように自国だけで下落に対処しようとすれば、もっと大きな被害が出ていたかもしれない。

●IMF支援は諸刃の剣

 とはいえ、IMFに支援を要請したことは、インドネシア政府にとっては、新たな矛盾を抱えることになった。先進国企業の利益を代弁し、経済危機をなくすことを任務としているIMFは、インドネシア政府に対し、スハルト一族と取り巻き実業家への特権集中をやめて、経済を自由化するよう、求めるであろうからだ。

 また、IMFインドネシア政府に対して、財政の出費を減らすよう求めるだろう。そして、最初に切られるのは、燃料油など国民の生活物資に対する補助金になるとみられている。

 ルピア安により、ガソリンなどの価格はすでに高騰しており、この上さらに補助金が切られて値段が上がれば、国民の不満は高まるばかり。選挙前の微妙な時期にもかかわらず、スハルト大統領への支持が落ちる可能性が強い。

●通貨危機が各国に波及した原因は情報開示不足

 インドネシアでは、経済が政治とつながっており、その実態が不透明なことが通貨危機につながったが、同じ状況は他の東南アジア諸国の通貨危機にも当てはまる。

 タイでは政治家と企業の癒着がなかなかのものだし、マレーシアではマハティール首相一人の政治力により、経済が動いている。フィリピンではラモス大統領がその役割をになう一方、政治システムを一皮むけば、かつてのマルコス時代とあまり変わらぬ腐敗も残っている。

 政治の不透明さ自体は、経済の相場とは直接関係ないが、問題は不透明さがあるために、投資家が経済の実態を把握できず、うわさや市場の雰囲気で相場が激動してしまうことだ。

 たとえば、インドネシア政府をIMF支援要請に踏み切らせるきっかけとなった、10月上旬の下落。この時は、インドネシアの財閥が抱えるドル建ての借金が、思われていたより巨額なのではないか、との懸念が下落のきっかけだった。懸念が売りを呼び、それがさらなる売りを呼んだ。

 なぜ、懸念だけで暴落するかといえば、財閥の経営実態がほとんど分かっていないからである。東南アジアはどこも、企業や国家経済の情報開示が少ないが、これまでは、経済成長の可能性という漠然としたイメージさえあれば、投資家は金を出した。

 だが、いったんそのイメージが崩れて、不安が広がると、それを止める材料となる経済情報がないため、相場は暴落してしまう。しかも、東南アジアはどこも似たような状況だから、一国が暴落すれば、すぐに他国に波及してしまう。

 こうした悪循環を止めるには、国を挙げて経済情報を開示していくしかない。だが開示すると状況の悪さがバレてしまい、さらなる下落につながりかねないし、政治的な利権が減ることにもなるので、実現は難しいのである。

 
田中 宇(たなか・さかい)

 


関連サイト

インドネシアの経済
東方観光局」の中にある解説文。

コーランが風になる瞬間
インドネシアの人々の写真集。(インドネシア経済とは直接関係ありませんが、インドネシアの雰囲気がわかる写真集です)





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