今年のエルニーニョは史上最悪の可能性

97年10月6日  田中 宇


 これから来年にかけて、エルニーニョの被害が世界各地で広がりそうな状況になっている。エルニーニョとは、南アメリカの沖合い、赤道付近の太平洋海面の水温が平年より上昇する現象のこと。これによって、南北アメリカ、東南アジアからアフリカに至るまでの広い地域で、日照りや洪水などの異常気象が発生する。

 来年にかけて発生すると予測されるエルニーニョは、近代気象観測が始まって以来の、過去150年間で最大規模になるとの指摘があり、インドネシアの山火事による煙害を拡大させたほか、コーヒーやカカオ豆の相場も上昇。東南アジアではコメの収穫減も予測されている。また、フジモリ大統領の人気が落ちているペルーや、大統領選挙が来年予定されているインドネシアとフィリピンでは、エルニーニョに対する政策が政争の材料にされ始めている。

●発生のカギは貿易風

 エルニーニョの仕組みは、まだ完全には分かっていない。本格的な研究が始まったのが、1982-83年に今世紀最大規模のものが発生して以来のことだからだ。1950年以来、小規模なものを含めると、2-7年ごとに合計17回発生している。

 エルニーニョの発生メカニズムは、赤道付近の太平洋上空を一定方向に吹いている貿易風(ジェット気流)と関係しているとみられている。

 赤道付近の海では、強い日差しに照らされ、海面付近の水温は年間を通じて28度以上の高い温度になっている。太平洋の上空では、常に東から西へ風が吹いており、南米沖合いの暖かい水と上空の湿った空気は、アジアの方に風で流され、インドネシアなどに雨を降らせる。その一方で、暖かい水と空気を持ち去られる南米沖では、海の下の方から温度の低い水が上がってきて、海面の水温が下がる。

 通常は、そのようなメカニズムが働いているのだが、何かのきっかけで貿易風が弱まったり、逆向きに吹いたりすると、暖かい水と湿った空気がアジアの方に行かなくなり、インドネシアやオーストラリアで干ばつが発生する。

 野山は乾燥して山火事が多くなり、このところ東南アジア一帯を覆っている煙害の原因となる。水不足となって不衛生な水を飲まねばならない人々が増えた結果、インドネシアではコレラが流行している。インドネシアの東隣、パプアニューギニアでは、雨が降らないので川の水が減り、銅鉱山から掘り出した鉱石が川船で運べなくなり、銅相場の上昇を招いている。

 インドネシアではコメが不作となり、コメの値段は最近、最大で25%も上昇した。フィリピンでも不作が予測されている。これら2国は来年、大統領選挙を予定しているが、両国とも現職大統領に対する批判が強まっているだけに、不作は政治的な不安定要素となっている。

●市場に並ぶ見慣れぬ魚が予兆

 一方、通常より海水の温度が3-5度ほど高くなってしまう南米沖では、低温の水にしか住めないアンチョビーという魚(イワシの仲間)がいなくなり、ペルーの漁獲高が激減する。(漁業はペルーの国民総生産の4分の1を占める主要産業) ペルー沖ではアンチョビーの代わりにサメやメカジキなど、暖かい海に住む魚が獲れ出す。ペルーの首都リマでは、こうしたペルー人には見慣れぬ魚が、今年5-6月ごろから魚市場に多く並べられるようになり、「エルニーニョ魚」と呼ばれている。

 「エルニーニョ」という名前は、もともとはペルーの漁師がつけたもので、スペイン語で「神の(男の)子」という意味。クリスマス(神の子キリストの誕生日)前後にアンチョビがとれなくなり始めることからこう呼ばれた。逆に、ペルー沖の水面温度が平年より低くなることもあり、その現象は「ラニーニャ」(女の子)と呼ばれている。

 エルニーニョ被害はペルーで特にひどく、北部では洪水が発生し、南部では逆に干ばつになる。今年もすでに被害が始まっており、8月にはアンデス地域で大雪が降った。リマでは通常、6月から霧が多発する寒い時期となるのだが、今年は好天続きで、コートがいらないほどの暖かさとなった。

 今後のエルニーニョ被害の拡大に備え、フジモリ大統領は、洪水被害を減らす予防的な公共工事計画を進めている。このため、均衡予算となるはずだった今年のペルー財政は赤字見通しに変更。野党は「フジモリ大統領は、落ちた人気を回復するために、エルニーニョ被害防止を口実に、公共工事のバラマキを実施し、次の選挙にも勝てるようにしたいだけだ」などと政府批判を始めている。

●アフリカやギリシャにも被害

 このほか、エルニーニョの影響は世界各地に出ると見られている。アメリカでは西海岸で大雨が降り、中西部の気温が上がる。遠くインドやアフリカの南部や西部にも干ばつを発生させる。ギリシャ北部には大雪を降らせる。北朝鮮の干ばつもエルニーニョによって被害が拡大すると予測されている。日本では一般に、エルニーニョの年は長梅雨と冷夏、暖冬になる傾向にある。

 エルニーニョの影響は悪いものばかりではない。チリではペルーからアンチョビーが移動してくるため豊漁となるし、カリブ海沿岸ではハリケーンを発生させる気流が弱まるため、被害が少なくなる。アンチョビーが獲れないため、代わりのタンパク源となる大豆相場が上昇、大豆栽培が盛んなブラジルの農家は喜ぶ。

 エルニーニョの被害が広がるのは、10-11月ごろからで、いったん発生すると、最長で1年半は影響が続く。今年の場合、5月中旬にアメリカ政府の国家大洋大気局(NOAA)がエルニーニョの可能性を発表し、世界中に警戒感が強まった。(ペルーではその前から、獲れる魚の変化や海鳥の減少などの兆候が指摘されていた) 6月に入ると、西アフリカを大産地とするカカオ豆の国際相場が上昇、その後はブラジルやインドネシアを主産地とするコーヒー相場も上昇した。

 1982-83年には、エルニーニョを予知できなかったことが、被害を拡大させたとの教訓から、その後、アメリカや国連が音頭を取って、南米沖の海域に70個の自動観測ブイを設置するなど、最近はエルニーニョの予知が以前より正確にできるようになっている。こうしたシステムを使って調べたところ、今年7月の南米沖の水温は、過去150年間で最も高い数値となった。

 その結果を受けて8月には、国連主催のエルニーニョ対策会議が開かれ、今年のエルニーニョが1982-83年を超える大規模なものになる可能性があることが確認された。干ばつで飢饉が起きそうなモザンビークやザンビアなどアフリカ諸国には、世界銀行が融資する計画を進め、南米諸国には米州開発銀行が融資する方向で動いている。

●サンゴの「年輪」からエルニーニョを解く

 エルニーニョについては、さらに深く知るための研究が始まっている。フランスの科学者チームはこのほど、南太平洋のさんご礁から持ち帰ったサンゴのサンプルをもとに、分析を始めた。さんご礁は毎年約1センチずつ成長するが、海水の温度によって成長の様子が違い、木の年輪から昔の気候が推測できるように、サンゴからは昔の水温変化が判読できる。フランス隊は表面から深さ4メートルのところまでのサンゴをパリに持ち帰り、400年前までの水温のこまかい変化を把握しようとしている。この研究により、エルニーニョの解明はさらに進むと予測されている。

 エルニーニョの原因は、世界の工業化で二酸化炭素などが増えたことによる大気の温室効果だとする仮説もある。フランスでの研究で、エルニーニョと温室効果との関係も明らかになるとの期待もあり、自然保護派と産業界の双方が、研究結果を待っている。


田中 宇(たなか・さかい)



関連サイト

エルニーニョ現象と異常気象
東京大学気候センターのエルニーニョの解説

エルニーニョ現象とラニ−ニャ現象

Frequently Asked Questions about El Nino
本文中にも出てくるアメリカ国家大洋大気局のページ(英語)





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