タジキスタン:堅気に戻れないゲリラが和平の障害

9月22日  田中 宇


 かつてソ連の共和国だった中央アジアのタジキスタンでは1992年以来、ロシア寄りの政府と、イスラム教による統治を目指すイスラム原理主義系の反政府勢力との間で、内戦が続いてきた。今年に入り、政府側を代表するラフモノフ大統領と、反政府勢力を代表するサイード・アブドゥロ・ヌリ氏が、和平合意文書に調印した。今後、成立させる政府には、両派とも参加するという約束である。

 だがタジキスタンには、和平に反対している勢力がまだ多くおり、このところ和平を進めようとする動きと、再び内戦に引きずり戻そうとする出来事とが、交互に起きている。

 和平に向けた動きとは、内戦期間の5年間、イランに亡命していた反政府勢力のヌリ代表が先日、連立政権への参加協議のため、タジキスタンの首都ドシャンベに戻ってきたことだ。ヌリ代表はすでに2回、政府のラクモノフ大統領と会談している。反政府ゲリラの兵士200人も、ヌリ代表の帰還に先立ち、ドシャンベに次々と到着し、今後さらに260人が帰還する予定となっている。

 一方、和平を破壊する動きとしては、ヌリ代表がドシャンベ入りする直前の9月5日、同代表らが宿泊することになっていたドシャンベのホテル内にセットされた爆弾が爆発した。怪我人はなかったものの、この爆弾テロ事件は、和平交渉に反対する人々が関与しているとみられている。

●元凶はスターリンの国家政策

 タジキスタンは山岳地帯で、もともとは山間の谷ごとに有力者がいて、封建領主のように統治していたのだが、それをスターリンが強制的に一つの国家としてまとめた経緯がある。だから、ソ連が崩壊し、一つの国として維持していた外からの力が失われると、タジキスタンは間もなく国家としての求心力を失い、復活した谷ごとの領主が相互に対立し、内戦状態に陥った。

 そのうちに、北のロシアや西のウズベキスタンが支援する勢力(現政府)と、南のアフガニスタンやイランが支持するイスラム系の反政府勢力が、国内に散らばる各勢力を取り込んで対立する形になった。内戦により、もともと貧しかった国内経済は破綻した。タジキスタンは農業国だったが、まじめに農業をしても、ほとんど生活できない状態となった。若者たちは兵士とも盗賊ともつかない武装勢力に入り、強盗や、アフガニスタンで採れた麻薬の運搬などをして生きている。

 和平合意は、周辺国や国連にとっては望ましいことなのだが、いまさら堅気の人生に戻ることは簡単でない武装勢力には、必ずしも歓迎できることではない。和平交渉への威嚇と受け取れるホテルの爆弾テロが発生した背景には、そのような事情がある。

 
田中 宇(たなか・さかい)

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